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2度目の病気で気づいたこと。
私が体験談をお話させていただくとき、いまだと二部構成になります。一部は乳がんで余命1ヶ月だったとき、二部は転移性脳腫瘍が判明したとき。なんと人生で二度も、髪を失うというおまけ付き。
どんな方でも、余命1ヶ月を経験すれば、人生がまるで違ったもののように、生まれ変わったかのように受け止められるのでは、と思います。
ところが、私はバカでした。筋金入りで。
余命1ヶ月から奇跡的に回復したまでは良かったのですが、その体験談をお話するときに、ドヤ顔でやっていました「復活した私ってすごいでしょ?」。
助けてくださった病院のドクターやナース、経済的に支えてくれた両親、心配してくれた兄弟や親戚のみなさん、話を聞いて支えてくれた友人たち、ほかにも多くの方々の愛と支えをぶっちぎり、さも一人で治りました~☆みたいな顔をしていたのです。
そして、起こるべきことが起こります。
2020年10月末、私は突然のけいれん発作を起こし、ぶっ倒れました。運良く両親がいるときだったので、そのまま病院で検査を受けました。結果、右脳と小脳に明らかに影があると。
「おそらく乳がんからの転移性脳腫瘍でしょう」
それまでPETを2回受け、脳に異常があると言われたことはありません。
乳がんの抗がん剤点滴を受けることが治療と思っていましたが、新たに病名が加わった瞬間でした。
そして、そのときが、まさにターニングポイントといっても過言ではありません。
私は人生の折々で、師のような方と出会います。
そのときも、ちょうど師から話を聞いていたのです。
「撒いた種の花を咲かせる」
これで非常に腑に落ちました。
瀕死の私を助けてくださり、支えてくださり、守ってくださった方々の思いを、私はさも、自分の手柄であるかのように語って得意になっていました。
これが撒いた種です。
その結果、いままで検査には出なかったはずの脳腫瘍が花として咲いたのです。
因果応報ともいうでしょう。自分がやったことは、すべて自分に帰ってきます。
それが「分かった」というのかも知れません。
私は脳腫瘍だと言われたことを全く不幸とは思わず、当然の結果だと受け止めました。
むしろ、けいれんが起こるまで、脳腫瘍だと気づかないで生活させてもらえたことに大感謝でした。
脳の手術と放射線治療で、6週間の入院でしたが、その間、私は人が変わったかのように、出会う方々すべてに感謝をしていました。
ドクターやナースの方々をはじめ、お茶をくんでくださる方、部屋の掃除をしてくださる方、食事を持って来てくださる方、検査をしてくださる方などなど。こういう方々がいて、私の治療は成り立っているんだと。
そして、夜に眠れること、朝に起きれること、トイレに歩いて行けること、呼吸ができること、食事が食べられること、などなど。
もう生きていること自体が素晴らしくありがたいのです。
自然とできてる方や分かってらっしゃる方には、なあんだと思われるかもしれません。
ですが、私にとっては、本当に心から感謝を学んだ瞬間でした。これがあったからこそ、学びが深まり、そして他の人の気持ちにも配慮することを覚えて、調和するにはどうすれば良いか、を目指す出来事になりました。
読んでいただき、ありがとうございます。