裏聖書断片
目次
序章「デジャ・ヴに悩まされる男」 p.3
1「私は」 p.5
2「気づいたら保護室」 p.12
3「意外な再会」 p.15
4「食べて寝るだけの生活」 p.18
5「夢の世界」 p.20
6「夢の中で会おう」 p.22
7「新しい主治医」 p.25
8「
序章 デジャ・ヴに悩まされる男
「…まただ」
一体何度これを繰り返したのだろう。この、合わせ鏡のように無限に続く記憶の重なりの感覚。ニーチャの永劫回帰の教説に触れてからというもの、正志はいわゆるデジャ・ヴに悩まされていた。宇宙が無限の時間を有するならば、いずれある時点と全く同じ状態へとたどりつく。宇宙が因果律に支配されているならば、つまり、過去が未来を決めるのであれば、宇宙の歴史はそこから全く同じことを繰り返すことになるだろう。宇宙とは状態の時間変化であり、状態の変化は因果律が引き起こす。この構図において、永劫回帰はむしろ自明の真理にさえ思える。
「そう、お前はまた『ここ』に来てしまったのだよ」
永劫回帰の悪魔が囁く。
「お前は永久に『ここ』から逃れられない」
正志はそれまでにもデジャ・ヴを経験したことは何度もあったが、永劫回帰を知ってからというもの―いや、それは正確には思い出したということだったのかもしれない―デジャ・ヴの強度と頻度がどんどん増していったのだ。強度というのは、その「重なり」の数のこと。つまり、「何度も!」という感覚が増せば増すほど強度は大きいということになる。頻度は、そのままの意味だ。一日に何度もこの強度の増したデジャ・ヴに襲われるのだ。妙な言い回しだが、正志にとって、永劫回帰は日常茶飯事となっていた。いや、もはや永劫回帰とは日常茶飯事のことだったのではないか。いつも同じことの繰り返し…全く同じ意味ではないか! 正志の頭は疲弊しきっていた。
とはいうものの、デジャ・ヴの内容自体は、至って平凡なものだった。スマホのゲームでレベルが上がった瞬間だったり、大学のゼミで自分の発言が遮られた瞬間だったり。そんな一瞬の隙に、悪魔は現れる。なんでもないはずの日常の出来事の一部が切り取られ、強い既視感(=デジャ・ヴ)を与える。デジャ・ヴになったとたんに、出来事はその深刻度を増す。だって、それは「もうすでに終わったはずのこと」なのだから。不思議と、歯磨きや風呂の時間にデジャ・ヴが来ることはなかった。それは実際に何度も繰り返していることのはずなのに、なぜかデジャ・ヴとはならなかった。だが、そのことは、逆に、今正志を悩ませているデジャ・ヴが単なる日常の繰り返しとは異質のものであり、重要な意味を持っていることを示唆していた。
そう、出来事が繰り返しているのではない。「時間そのものが繰り返している」のだ。そのことに気づくのに一週間とかからなかった。それほどのスピードでデジャ・ヴの浸食は進行していたのである。だが、時間そのものが繰り返すとはどういうことなのか。繰り返しを計測するためには別の時間軸が必要なのではないのか。正志自身の時間とは別に絶対時間のようなものがあって、それに対する感度が上がったから主観的な時間が繰り返されていることに気づき始めたのだろうか。そもそも、そのような絶対時間など、あるのだろうか。せめて相対論をやっておくんだった…と、大学に入って早々に理系から文転した経歴を持つ正志は一瞬後悔したが、どうせそんなもの役に立たないだろうということは、今度は逆に正志の文系脳の方が主張していた。物理(あるいは科学)の思考は通常の思考とは異なる。そう正志は考えていた。それこそ文系的な表現しかできないのだが、科学の思考は、どこかこう、色あせているのだ。死んだ思考。あるいは思考の抜け殻。この場合真実に近いところをいっているのは、「時間そのものが繰り返している」という最初の思考の方であって、その後ごちゃごちゃと考えたことは形式的な、帳尻合わせの計算に過ぎない。「世界は数式という言葉によって書かれた書物である」だったか、そんなような言葉があったが、そうではないのだ。「世界は世界」なのだ。馬鹿馬鹿しいようだが、このことは正志がこれまで三十年弱生きてきてやっと辿り着いた真理である。要するに、思考内容、いや、もっと端的に言って、「内容」そのものが重要なのだ。生(なま)の思考から離れた思考は文字通り死んでいる。
ともあれ、二十七歳の正志に永劫回帰の思想を受け入れる器はまだなかった。あのニーチャでさえ、破滅してしまったのだから。(正志は、ニーチャは永劫回帰の思想を受け入れたことによって発狂してしまったのだと直観していた。)
さて、正志がその後どうなったのかはまた後に明かすこととして、今度は私自身の話へと移ろう。私は誰かって? ふふふ、正志が発見した通り、「私は私」それ以外の何者でもないよ。君たちの聖典にある「私であるところのもの」…この意味に気づけたのは正志だけだったがね。さすが正しい志。我ながらよくできている。…おっと、つい先走ってしまった。語り手は語り手らしく、順を追って語らねばな。
1 私は
私が何者なのかを語るために、まず私が何をやったのかを説明するのがいいだろう。
突然だが、非ユークリッディ幾何学というのを知っているだろうか。もちろんユークリッディ幾何学でない幾何学のことなのだが。まぁいい、詳しい説明は省くとして、要するに、ユークリッディ幾何学における「平行線の公理」(平行線はどこまでいっても交わらない)を否定してできた新しい幾何学のことだ。公理は他にもいくつかあるのだが、平行線の公理以外の公理はそのままにして残しておく。こうしてできた非ユークリッディ幾何学は、従来のユークリッディ幾何学では扱えないような事柄を扱うことができる。
あるいは、チョムスキンの普遍文法という概念を知っているだろうか。これも簡潔に説明すると、人間にはもともとさまざまな変数を含む普遍文法という言語機能が内在的に備わっており、各言語の文法は、それらの変数のひとつの組に対応するという理論である。要するに、こういうことだ。たとえば、形容詞が名詞を修飾するときに前から修飾するならばα=1、後ろから修飾するならばα=0。疑問文を作るときに主語と動詞の倒置を行うならばβ=1、語順を変えないならばβ=0、という具合に、言語間の文法的差異を普遍文法の変数の違いで表現する。つまり、各言語の文法はてんでバラバラに存在しているのではなく、本質的には同一のものの変数のオン・オフが違うだけだというのである。この理論にしたがえば、赤ちゃんは生まれたときにすでにこの変数のセット、普遍文法それ自体は持っていて、言語学習の過程でスイッチのオン・オフを決定していくということになる。ラジオのチューニングなんかがイメージしやすいだろうか。言語がチャンネルに相当すると考えれば、チャンネルに合わせて普遍文法のスイッチを切り替えていくのが言語学習だ。
さて、今挙げた二つの例に共通するところがある。それは、いくつかの変数があって、その一部をいじくると全く別のもの、あるいは、全く別様に見えるものが出来上がるという構図だ。
私がやったのは、幾何学でいえば、平行線の公理を否定することに相当し、言語でいえば、普遍文法の変数を切り替えたことに対応する。
何をどう切り替えたのかを明かしてしまう前に、もうちょっとだけ、君たちに頭を働かせてもらおう。ヴィトゲンシュタイナーという人物を知っているだろうか。彼は、その有名な哲学の書の冒頭で、世界は成立した事態の総体である、と述べた。「地球は丸い」「一日は二十四時間である」「1492年にコロンダスがアメリカ大陸を発見」といった公的な事態から、「鈴木末男は5人兄弟の末っ子であり、大学は中退し、未婚である」というような個人的な事態まで、考えうるあらゆる可能的な事態について、正否が割り当てられており、そのうちの正しいとされたもの、つまり成立している事態の総体が世界である、ととらえた。では、そもそも成立していない事態などというものがどうしてあるのだろうか。サンタ・クロースは世界に属していないのに、どうしてこうもありありと我々の心に存在するのだろうか。それを可能にしているのが言語である。言語、いや、言語というはたらきは、一なる世界を文節化し、自由な組み合わせを作ってしまう。それによって、成立していない事態、つまり、夢や仮想が可能となったのだ。
さて、ここで君達に尋ねたいことがある。君達の最も切実な願いや仮想はなんだろうか。世界内で成立してはいないが、ぜひとも実現してほしかった事柄。正志の夢は、魔法を使うことだった。「魔法は実在する」という命題の真偽は、言うまでもなく、偽である。それは科学の台頭によって証明されたといっていい。だから正志は理系をやめた。科学は魔法の敵だった。科学を批判できるメタ科学は文系の役目だった。正志はこの数年間、大学の勉強もそっちのけで、毎晩自分の頭の中で科学と戦ってきた。
…まぁ正志個人のことはこれくらいでいいだろう。正志に会ったら伝えてやってくれ。魔法を無くしたのは私だと。
そう、私は君たちの言うところの神である。正確には、君たちの神と言った方がいいのかもしれない。かつて、すべての存在は対等だった。神などいなかった。いや、すべての存在は神だった。だから、君たち人間とは、神でなくなった者のことである。つまり、神は今の人類のように、たくさんいたのだ。私がこの宇宙を創るまでは。
太古、すべての存在は神だった。神々は自らの創造力をもって、現実に直接作用を及ぼしていた。この創造力は誰しもが持っていたが、存在ごとに量も質も異なっていた。現実に生じるすべての現象は、神なる存在たちによる創造力のせめぎ合いの結果だった。それが宇宙だった。今とは全く異なる世界。実は今私が語っているこの言葉も、私の創ったこの宇宙のものであるから、本来の宇宙の様子について語るのには限界がある。私の言葉は完全なものだが、今使っている言葉は、君たちにも理解できるような不完全な代物であるから、厳密な描写は原理的に不可能である。が、そもそもまるで何もかも今とは違ったのだから、今の言葉で語るべくもないのだ、と大雑把に理解してくれてかまわない。
さて、今とはまるで異なる太古の宇宙の姿について述べたが、共通する事柄もある。例えば、今でいう国、あるいは地域に相当するものがかつても存在した。というか、そのように創らざるを得なかったのだが、まあいい、とにかく、私は、この地球におけるドイツに相当する国に住んでいた。つまり私はドイツ人だった。
私の名は、ルートヴィッヒ・ルサンチマン。そう、私こそ、ニーチャの発見したルサンチマンである。ルサンチマンの権化といってもよいが、君たちがニーチャのルサンチマンという概念を持つとき、その概念は私という個体を指しているのだという方がより正確だ。イデア論というのがあったろう。古代ギリシャでピラトンがしきりに叫んでいたあれだよ。太古の昔、概念は実在した。それどころか、すべての存在は概念だった。さきほど、すべての存在は神だと言ったろう。つまり、存在・神・概念はかつてひとつのものだったのだ。今、君たちのイメージするそれらとはかけ離れているのだろうが。
私は落ちこぼれだった。なぜか。魔法が使えなかったからだ。そんな者はかつて存在しなかった。私が初めてだった。というのも、魔法とは、想像を現実のものとする力、すなわち創造力のことだったからだ。そもそも、「想像を現実にする魔法」というこの言い方が、私が生まれるまでは意味をなさなかった。なぜなら、現実のものとならないような想像など、かつてはなかったからである。つまり、今、想像という言葉を使ったが、実はかつて想像などというものはなく、創造しかなかったのである。したがって、厳密な言い方をするならば、言葉というものもかつてはなかった。声はあったが、それらはいわば歌であり、ちょうど今、歌と呼ばれているものが、言葉よりも直接的に意味をもつように感じられることに対応して、当時の歌は、すべて何らかの形で現実化した。つまり、歌も魔法、創造力の一部だった。ところが、何の間違いか、私のような者が生まれた。私の発する声は、明らかに異質だった。それは、いわば無意味な歌だった。現実に作用を及ぼさない声、言葉が誕生したのである。このとき、嘘というものも同時に誕生した。発せられた声が実現しないという現象は、私とともに生を受けたのである。ここで、同時に成り立たない現実が同時に歌われたらどうなるのか、という疑問を持つ者がいるかもしれない。それは重要な観点で、答えは、「同時に矛盾する歌を歌うことはできなかった」である。つまり、彼らの歌は創造であり、現実全体と連動していたため、いわば、処理が重かった。歌をひとつ歌うにも、その他の存在すべてとの間で創造力のせめぎ合いが起こり、力関係によって、何が現実のものとなるのかが決まった。ところが私だけは例外だった。私はせめぎ合いの外にいた。だが、私の言葉は無意味であったため、文字通り、何の意味もなかった。そう、私の言葉は軽かった。まさに「嘘つき」であった。
私は嘘つきで、魔法が使えなかったため、周囲に疎まれていた。馬鹿にする者から、気味悪がる者までいた。要するにいじめられていたと思ってもらって構わない。実現しない言葉などというものに価値はなかった。そんな言葉ばかり吐く私も同様に、価値のない者だった。
…だから、ひっくりかえしてやった。
さきほど、宇宙は創造力のせめぎ合いで成り立っていると言ったことを覚えているだろうか。一方、言葉は想像力の母である。このことはむしろ当時の者たちよりも君たち人間の方がよく知っていることだろう。私は魔法が使えないのにもかかわらず、いや、それだからこそ、想像力だけは異常に強かった。私は力で勝てない奴らに復讐するために、ひたすらに言葉だけを磨き上げて来た。たった一人の友ともいえる、言葉だけを。
そしてある日、ついに完成したのだ。平行線の公理を否定した非ユークリッディ幾何学ならぬ、魔法の実在を否定したこの宇宙が!
そう、密かに始まっていた魔法vs言葉のこの報復戦争に、私は単独で勝利をおさめた。このときから神は唯一のものとなり、魔法は消え失せ、かつて魔法使いだった神たちは、皆揃いも揃って私の所有物となった。それが君たち人間だ。宇宙は私のものとなった。神は全知全能とされているが、何を隠そう、君たち人間の方がある意味優れていたのだよ。魔法を使えるというだけ。皮肉なことだが、神、すなわち私だけが魔法を使えないのだ。
言葉は何しろ「嘘」なのだから、文字通りなんとでもいえる。だから全知全能というのもまんざら嘘ではない。私は自由に、想像力をはためかせて、この宇宙を創った。ただ、何しろ単独で勝利してしまったために、私はとてつもなく暇になってしまった。袋で捕まえたネズミが外へ逃げ出すことはない。同じように、現在私の鉄壁の宇宙は巨大な袋となって、他の存在たちをつつみこんでいる。せめぎあうはずの諸力が一所に閉じ込められて、もはや息ができない状態に陥っているのだ。初めは復讐が達成されて愉快だったが、じきに私はこの状況に飽きてしまった。かといって、逃がしてやるのはおかしい。奴らはこれまで魔法の使えない私をさんざん疎み、馬鹿にしてきたのだから。そこで、私はこの宇宙をひとつのゲームとしてつくりかえることにした。
そう、謎多き「人生」とは、ひとつのゲームだったのだ。私は閉じ込めた君たちに息苦しい思いをさせるだけでは飽き足らず、「クリア」の存在するゲームの中にあえて投げ入れてやることで、恐怖や挫折、絶望感を繰り返し味わわせてやることにした。
繰り返そう。宇宙あるいは人生とは私がつくったゲームであり、人は皆それを繰り返しプレイしている。ところが皆そのことには気づいておらず、気づかぬままに繰り返している。そう、復讐の鬼だった当時の私は、このゲームにある細工をしたのだ。それが、このゲームがゲームであると気づかれないようにするという細工である。この細工の内容については、しだいに明らかになっていくだろうが、これによってこのゲームの難度はとてつもなく上がったようで、そもそも「クリア」という観念を持つ者がいまだかつて現れなかった。プレイヤーたちはそれぞれ勝手気ままにこのゲームをプレイし、それぞれが納得のゆくまでゲームに明け暮れた。
実はこのゲーム、ゲーム全体の進行を決定する重要な選択肢の存在が隠されており、プレイヤーはある意味自らの意志とは関係なく、選択肢を選びながらゲームを進めていく。驚くかもしれないが、事実である。君たちは、知らず知らずの間に選択を繰り返し、その道を歩んで来たのだ。自分自身の選択に対して無自覚的であるなんておかしいと思うかもしれないが、そもそも、自分自身の精神が不明瞭だということ自体、疑問に思う者はほとんどいなかったではないか。選択が意志と無関係に為されてしまうのも無理はない。いや、その選択をさせたものが本当の意志であったのだ?…こんな馬鹿げた考えができてしまうほどに、ほとんどの精神は不明瞭である。
君たちの生にはじめから用意されている選択肢がひとつだけある。それは、「あきらめる」という選択肢だ。日本語では「あきらめる」はその昔「明らかにする」の意味を持っていたが、この選択肢はまさにそんな恩恵が得られる選択肢である。このゲームのクリアを断念すること。それはすなわちクリアを他の人に任せていわゆる「村人」化するという選択であり、これが、「解脱」と呼ばれた。システムと一体化すること。つまり、私と一体化すること。一体化してしまえば多くのことが明らかにはなるはずだし、恐らく私の充足感の一部を共有できるので、ささやかな幸福も得られるだろう。神として創造の営みに明け暮れていたあの頃の愉悦を忘れてしまった君たちにとって、そんなささやかな幸福が、至上の歓びとなってしまったのも無理はない。いずれにせよ、かの梵我一如とはまさにそのようなことであったし、これまでの宗教はすべてこの「村人」化の実践であった。プレイヤーであることをやめ、ゲームのシステムと同化してしまう。そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、事実、これを今読んでいる君だって、99%の確率で村人である。どうして村人ごときがこんな書物を手に取ったのかはわからない。村人の中でも重要人物なのかもしれない。だが、君がまだプレイヤーである確率はたったの1%に過ぎない。
覚えていないかもしれないが、君はもう何度もこのゲームをプレイしているのだ。輪廻転生という考えは、正しい。それは私がこのゲームに組み込んだ基本的なシステムだ。人は死ぬと魂だけが残り、その魂は新たな肉体へと生を受ける。これがずっと繰り返されている。そして、ニーチャの発見した永劫回帰というのは、自分で言うのもなんだがもっと恐ろしい上位のシステムである。輪廻転生を小輪廻と呼ぶならば、永劫回帰による輪廻は大輪廻ということになろう。つまり、宇宙自体の生まれ変わりが何度も繰り返されているという事実が永劫回帰である。
ただ、ニーチャの誤解したのは、「永劫」という部分である。永劫では私が困るのだ。飽きてしまうから。全く同じことの繰り返しなど、いくら面白くたって、そのうちに飽きる。「神が死んで」もうこの世にいないニーチャにとって、ゲームの進行がつまらなくて「困る」私の存在など思い当たらなかったのも無理はないのかもしれない。また、私が用意したシステムは単なる大輪廻、つまりみんな一斉にレベル1からやり直し、というシステムなのだが、ニーチャは、究極的には客観世界しか存在しないという科学の考え方にまだとらわれていたため、自身が宇宙の一部でありながら、宇宙に属さない固有の宇宙を持っているということに十分気づくことができなかった。無理もない。ニーチャもまた、かつて私を馬鹿にしていた、個的宇宙なき単なる創造力のみで生きる無能な神々の一人であったのだから。部分の総和は全体である、か。ふふふ、こんな大嘘、よくぞ思いついたものだ。これは部分とか全体とかいうことを、お互いに定義し合っているだけだ。つまり、総和をとると全体となるようなものだけを取り出して、部分と名付けているだけだ。といっても、かつてこの言葉は大嘘などではなかったのかもしれない。だが、私にはそれを知る術がない。なにしろ、私は君たちとは全く異質な存在だったし、固有の宇宙を切り拓くための言葉を持っていたのは私だけだったのだから。しかし、皮肉なことだが、私の内部に取り込まれた君たちは、今、わずかながら、言葉の力を持っている。だから、私につつまれていても、完全に私の一部となってしまうわけではないのだ。
さて、大輪廻はこれまでに三回、起こった。つまり今が四周目の宇宙である。各宗教のお陰で、一周目におよそ半分のプレイヤーが脱落し、村人化した。二周目、三周目の宇宙も、大した変化もなく、同じように歴史は繰り返された。村人はこの時点で九割を超えていた。そしてニーチャが畜群=村人たちを軽蔑して永劫回帰の着想へと至ったのが、四周目、今回の宇宙での数少ない画期的な出来事のひとつであった。先ほども言った通り、「永劫」回帰は間違いなのだが、彼は「村人化」を「ゲームクリア」の方へ少しだけずらすことに成功した。これは私も予想しなかったバグであった。囲碁や将棋の創始者がそのゲームのすべてを知り尽くしているわけではないのと同様、私にもこの宇宙について知らないことは山ほどある。そんな予想外の事例のひとつが、ニーチャであった。彼はある意味では人生つまりこのゲームの攻略をあきらめたのにもかかわらず、それを愛し、主体的に生きるという離れ業をやってのけた。その結果、彼はプレイ状態を保ったままゲームクリアしてしまった。もちろん、クリアというのはあくまで私を倒すことであるから、厳密にはクリアとはいえないのだが、それに近いことになっている。彼の魂は、半分村人化した状態で、今もプレイを続けている。君たちのつくった「ゲーム」でも、バグ技はときにとんでもない効果をもたらしたりするだろう。レベルがいきなりMAXになったりだとか、なんでもないアイテムが超強力な伝説の武器へと変化するだとか。だが、バグ技にはゲームソフト自体を壊してしまう危険がある。そう、勇敢なニーチャの魂は、半分壊れたままで、いまも生きている。彼がこれまででプレイヤーでありながら最も私に近づいた存在だといえる。私は敬意を込めて、彼を「勇者」と呼ぶ。
ニーチャの永劫回帰は誤りを含んでいたが、彼の超人思想に関しては、全く正しかったと言わざるを得ない。これまでの宗教が神との合一、一体化(=システムとの同一化)を標榜してきたのに対し、彼は、人間を超えた者、超人となることを説いた。彼は「神は死んだ」と言ったが、正確には、「神を殺せ(倒せ)」と言いたかったのである。当時のニーチャはすでにバグによって精神が混乱していたため、結果だけを先取りしてこう言ってしまったのである。神はもう死んだので人類の新たな理想としての超人を、と彼は言ったが、実際は、神を倒して超人となる(そうすれば、神は死んでこの宇宙から解放される)ことを新たな目標とせよ、というのが本当の内容だった。つまり、ニーチャこそ、人類史上初めて「ゲームクリア」の可能性に気づいた男だった。
私を倒す以外にこの宇宙から逃れる方法はないのか、と問う者もいるかもしれない。「あるかもしれない」というのが私の答えだが、同時に付け加えておくと、その道は用意された正統なクリアルートよりもさらに困難な道であることが予想される。私は先ほどこの宇宙を袋に喩え、さらにそれを鉄壁だと評した。鉄のように固い材質でできた袋から抜け出せるネズミがどこにいるだろうか。私から逃げ出すというのはそういうことである。さて、もうこの話の中に重大なヒントが隠されているのだが、気づいているだろうか。袋に喩えたのには理由がある。一般的な袋を思い浮かべてみるがいい。その袋の「正統な」開け方を知らない者はまさかいるまい。「結び目をほどく」これが君たちのすべきことである。もうほとんど正解を言ってしまっているようなものだが、鈍感な者はここまで教えてやってもなおさっぱりなんのことだかわけがわからないだろう。袋を部屋に代えてもいい。部屋の正統な開け方は何か。それはドアを開けることだ。ドアが施錠されていたらどうする。鍵を使って開ければいい。結び目がどこにあるのか、鍵とは一体何のことなのか。じっくり考えてみるがいい。ヒントはこの本の中にも、君たちの生きている世界の中にも、いたるところに散りばめられている。だって、これはゲームなんだから。謎は謎のまま放置されることを望まない。謎は解かれることを望む。私はこの宇宙をそのように美しく創った。最後にひとつだけヒントを付け加えてこの章を閉じることにしよう。「そもそも復讐の動機とは何だったのか」
…サービスが過ぎたか。実はもう独りで君たちの代わり映えのしないプレーを眺めることに退屈しているのだよ。ひょっとすると、さびしいという感情すらあるかもしれない。このゲームは完璧にできている。さっさと私の下へ来るがいい、正志よ。
2 気づいたら保護室
突然、正志は目覚めた。いや、正確には先ほどから何度も目は覚めていたのだが、そのこと自体に今、初めて気がついたのだ。その部屋は、異様にキレイだった。まずそこにロボットが一体…いや、違う。これはトイレだ。正志はそれまで「泣いているロボット」だと思っていたそれを、やっとトイレだと認識した。そして今自分がくるまっているものは、「最愛の恋人」でもなければ「母のぬくもり」でもなく、ただの布団だった。マットの裏のやたらとくどい説明書きは読んだ覚えがあったが、驚くべきことに、なぜかそれを布団だと思うことはできなかった。いや、驚くべきことだったのはむしろ、そのくどい説明を、異常で似つかわしくない、驚くべきものとしてとらえていたことそれ自体だった。
頭がこんがらがりそうだ、いや、実際にこんがらがっている。冷静になれ。どうも、やばい事態になっていることは間違いなさそうだ。正志は改めて部屋を見回した。そして、その部屋にはトイレと布団以外には冷たいコンクリートの壁と分厚い鉄製のドア(?)以外には何もないことを確認した。
正志が今置かれている状況を把握するために必死で記憶をたどっていると、鉄製のドアの上部にはめこまれたガラスの覗き穴の向こうに人影が見えた。ものすごく体格のよい男だった。彼には見覚えがある。これまで何度も顔を合わせていたはずだ。
「まさしくーん、入るよー」
ガチャガチャ、ガシーン! ものすごい轟音をたてて、ドアが開いた。
「まさしくん、お昼ご飯持ってきたよ。食べる? それともまたトイレに流しちゃうかな。あはは」
ご飯をトイレに流すだって? そんなことした覚えは…ある、ぞ。そうか、あれはそういうことだったのか。てっきり…。
正志があれこれ考えを巡らしている間に大男は続けた。
「まさしくん、なんか雰囲気変わったね。何かあった? いや、こんなところで何もあるわけないか。あはは」
「お願いだからここから出してくれ」まさしは反射的にそう言っていた。
「出たいよね、こんなところ。病状が安定してきたら、主治医の先生の許可が降りるからね。そしたら大部屋に出られるから。それまでちょっとだけ待っててね」
大男はそう言いながら、もうドアを閉めていた。
轟音に再び驚いたときには、すでにドアは閉じていた。どうやら「閉じ込められている」らしい。病状? そうか、ここはまだこの世だったのか! 正志の混乱した認識を、初めて一筋の光が照らした。
俺はいわゆる解脱をしたつもりでいた。この世を生きることはもう終わったのだ、これからは永遠の世界の住人となれるのだ、と思っていた。ところが、俺はただ気が違っていただけだったのだ。肉体の死を経ずして終わりなどなかったのだ。
「俺は精神病にかかって、この部屋に隔離されているのだ」
正志は入院しておよそ二週間後のこの日、ようやく事態を悟ったのである。
四畳半ほどしかないその狭い部屋は、「保護室」と呼ばれていた。精神の均衡を失い閉鎖病棟の中で暮らす人々の中でもさらに危ない者がいる。最低限の集団生活すらできない彼らは、隔離して保護しておかなければならない。そういう理屈らしいのだが、正志にはその意味が全く理解できなかった。放っておくと危険なのは正志以外の人間なのだから、保護室に入れられるべきはそいつらであって、俺がそこに入る必要はないはずだ。正志は、例の大男を含めた世話係たちがやってくるたびに幾度となくこれを主張したが、彼らは「主治医に聞いてくれ」の一点張りだった。「封建制」…正志は歴史が苦手であったが、この言葉が浮かばざるを得なかった。正志の頭脳は、そんな冷静な分析をしている一方で、自分が錯乱状態でいると「別の患者(=狂人)に危害を加えられるかもしれない」ということ、「保護室とは便宜的な名称に過ぎず、実際は危険人物を入れておくための部屋である」ということ、また、「正志の主張する通りのことを実行するためには単純に保護室の数が足りない」というようなことには気づかなかった。自分の願望や偏見が思考を歪めてしまうということは高校のときに倫理の授業で学んだはずだったが、そんなメタ認知能力は全く働いていなかった。
病気であるという自覚はあるにはあったが、正志の目には部屋を訪れる病院側の人間たちの方が異常に映った。彼らの言っていることは全く理解することができなかったからだ。これまで正志は、意味不明なことを言う狂人や知的障害者たちをたびたび見て来た。東京はそういう街だった。だから、正志にとって、意味不明なことを言う彼らはやはり狂人に違いなかった。
来る日も来る日も、大男その他の世話係、すなわち看護師たちは、保護室を定期的に訪れた。鉄のドアが開くのは、ご飯と薬、そして掃除の時間だけだった。薬の副作用で正志の身体、あるいは精神は、悲鳴を上げていた。とにかく、この狭い空間から脱出したかった。体がうずく。動きたくてしょうがないのだ。それがまさに保護室を出られない理由だったのだが、正志にはそのことが分からなかった。時間は無限に感じられた。苦しみが多いほど時間の密度は高くなるようだ、などと自分の冷静な部分が冷静に分析をしていることに嫌気がさしていた。
だが、正志の中のこの冷静な部分は、実に冷静に、必要な情報を探し続けていた。そして、「現実化しない思考に価値はない」というどこかで聞いたような気がするその言葉に正志はふと思い当たった。つまり、この望ましくない現状を変えるためには、考え方を変えなければならない。そのために、正志は原始的な方法を用いた。「主治医の言うことは絶対…主治医の言うことは絶対…」「俺は精神病だから治療しなければならない…俺は精神病だから治療しなければならない…」狭い部屋の中央をぐるぐる回りながら、この二つの命題をただひたすら繰り返し声に出して唱えた。それは言霊となって正志の精神を書き換えていった。
「正志くん、よかったね。これから大部屋に出られるんだって?」
大部屋というのは、要するに、四人部屋のことである。患者四人が一緒に寝泊まりする。個室が用意されていないのはここがホテルではなく病院だからだろう。
「はい、ありがとうございます。マントラを唱えた甲斐がありましたよ」
すでに大男とは仲良しになっていた。彼の名は大杉だった。
「マントラ、かぁ。さすがまさしくん、発想が違う。…まさしくんなら必ず退院できるよ。なんたってあの東大に受かったんだから」
正志は東京大学の文学部でドイツ文学を専攻し、卒論でニーチャを書くことになっていた学部四年生だった。
「大杉さん、大学のこと思い出させないでくださいよ。もう今年卒業できなくなっちゃったんだから…」正志はわざとらしくため息をついた。
「ごめんごめん。だって本当にすごいんだもん。僕は食べる量大杉の太り杉だけど、君は出来杉。なんちゃって」
大杉の親父ギャグにも慣れていた。はっきり言って、この入院生活において、大杉の存在はまさに救いだった。ベテラン看護師の大杉は、看護師の範疇を超えることこそないが、臨機応変に正志のよいように取りはからってくれていたのである。
「それじゃあまた、あとで」
保護室からの「引っ越し」を手伝ってくれた大杉に挨拶をし、彼は新たに獲得したベッドの上に横たわった。
「主治医の言うことは絶対…俺は精神病だから治療しなければならない…」マントラはまだ頭の中で鳴り響いていたが、正志はそれに気づかないまま、常識とまともな生活環境を取り戻せたことに満足していた。
3 意外な再会
大部屋に出る頃にはだいぶ「まとも」になっていた正志にとって、患者たちの交流の場である「ホール」はまさに地獄絵図であった。まず、ふつうに立っている人が半分くらいしかいない。文字通りである。たいていの人は常に前屈みになっているか、横に傾いていたし、そうでなくともどこか姿勢がおかしな人がほとんどだった。その光景は、視覚的にも堪え難かったが、聴覚に対しても刺激的過ぎた。奇声、と表現する他はないのだが、正志は奇声というものがどういうものであるのか、初めて知る思いがした。5秒おきくらいに全く同じ音を出す人がいた。それも二人。何と言っているのかはわからないので声ではなく音と言ってみたものの、やはり声と言うべきなのだろうか。とにかく、異様だった。他にも、突然叫び声をあげる人や、四六時中何かに怯えている人、何も起こっていないのに急に笑い出す人などがいた。
最初は少し怖かった正志だったが、次第に、このような異常者たちと同じくくりにされていることにむしろ憤りを覚えるようになってきた。だが、自分は医者に精神病だと診断された、れっきとした精神病患者なのだ。病名は、統合失調症。憤りは自分自身へと向かうしかなかった。正志は他の患者と馴れ合う気にはなれなかった。そこで、ひたすら廊下をウォーキングすることにした。朝ご飯が終わったらすぐにウォーキングを開始し、昼まで時間をつぶす。昼ご飯が終わったらまたすぐにウォーキングを開始し、夜まで時間をつぶす。正志はひたすら歩いた。病院の廊下は短く、すぐに往復できてしまう長さだったが、それでも正志は脇目もふらず、歩くことに専念した。疲れて足が痛くなったら、大部屋の自分のベッドで休み、祈った。退院、それだけが正志の希望だった。
ある日、正志がいつものようにウォーキングをしていると、後ろから声が聞こえた。
「よぉ」
振り返ってみると、見覚えのある背の低い男が立っていた。
「矢田か! 誰かと思った」
「俺もだよ、正志。まさか精神病院に入っているとはな」
「お前も入院したのか?」
「ああ、任意入院だがな。今、手続きをしてきたところだ」
「任意入院って、自分でやばいと思って入院を選択するやつか」
「そうだ。どうも最近頭の中が騒がしくてな…このままだとまずいと思って、ここに来たんだ。お前は?」
頭の中が騒がしい…相変わらず変わったことを言うやつだな。正志はなつかしい気分になっていた。
「俺はいわゆる保護入院というやつだよ。言ってしまえば、強制入院ってことさ。おかしくなったんで、家族にかつぎこまれたらしい」
「マジか。まさかあの優秀なお前がな…いや、その素質はあるにはあったが」
「ん? まぁいいや、ほんと久しぶりだな。高校以来だよな。お前京都に行っちゃったもんなぁ」
「そうだな。…おっと、もう昼ご飯の時間らしいぜ。また後で話そう」
食事は席が決まっていた。矢田の席と正志の席は、会話をするには離れ過ぎていた。だが、正志の心は弾んでいた。矢田は正志の親友だった。もともと正志は、勉強はできたが、社交性はあまりなく、友達も少なかった。高2のときにクラスが同じになった矢田は、その数少ない友人の一人だった。矢田は哲学が好きで、いわゆる受験勉強ばかりしていた正志に自由な思索というものの楽しみを教えたのは他ならぬこの矢田だった。ニーチャを正志に紹介したのも、矢田だった。ニーチャは矢田が最も尊敬する哲学者であった。大学で正志が文転してまでニーチャを卒論のテーマにしたいと思ったのも、単に理系の楽観的な態度についていけなくなったからではなく、親友の矢田が夢中になっていたニーチャの難解な思想を理解したいという思いからでもあった。
その日から矢田と正志は、まるで高校生だったあの日に戻ったように、毎日、病院の廊下を歩きながら哲学的議論を交えた。
「おい、正志。ヴィトゲンシュタイナーについてどう思う? 世界は命題の寄せ集めだと思うか?」
「俺は、無限なるものが世界にはあると思う。だから言語でいくらそれを切り崩してもその源泉が尽きることはないと思う。つまり、言語による世界把握にはどこまでいっても穴があると思う。」
「だが、そういうお前の思考もすべて言語によるものなんじゃないか? 本当に言語外の世界などあるのだろうか」
「それで、ヴィトゲンシュタイナーはどっちの立場なんだっけ?」
「しらん」
二人にはどこか抜けているところがあった。それも二人の相性がよい理由のひとつだった。
「しらんって。お前読んだんだろ」
「ヴィトゲンシュタイナーはたぶん言語外には抜け出せないという立場だったはずだが、それはどうでもいい瑣末なことだ。肝心なのはヴィトゲンシュタイナーにおいて何と何が対立しているか、だ」
「その論法、相変わらずだな。ヴィトゲンシュタイナーがどういうことを論じたのか、そのテーマが分かればよろしい、ってわけか」
「そうだ」
「ヴィトゲンシュタイナーは思考に境界線を引いたんだろ。そして、その限界を超えた事柄について我々は沈黙しなければならないのだと説いた。だったら、言語外の事物の存在を信じていたんじゃないか?」
「概念同士の区別が曖昧なのはお前の悪い癖だ。神と人は別だろ。言語外に抜け出せないというのはあくまで我々人間の方のことを言っているのであって、俺は言語外の世界の存在自体を否定したわけではない」
「俺は、精神に優劣はないと思う。思考は、それが神のものであれ、人のものであれ、どこまでもいけると思う。だから、人の思考が言語外へ抜け出せないというのなら、そんな世界は存在しないといっているのと同義だ」
矢田と正志は考えることが非常に似ている一方で、どこか決定的な違いがあった。そしてそれが二人をよきライバルとしている節があった。
議論は朝から晩まで白熱していた。矢田と正志の二人にかかると、どんなにくだらない話題も哲学となり、逆にどんなに真面目な哲学も、ふざけた笑い話になった。
そうこうしているうちに、正志の退院が決定した。
「あっという間だったな」
矢田が正志を見送りながら言った。
「ああ。お前のお陰だよ。久々に、楽しかった」
歯に衣着せぬ正志のストレートな表現に思わず笑みをこぼした矢田が、照れつつも返した。
「待ってろ。すぐに俺もそっちに戻る」
こうして正志の入院生活は終わった。
4 食べて寝るだけの生活
入院したのはちょうど春休みが終わる頃だったので、正志は大学の夏学期をまるまる休学していた。退院したのはちょうど夏休みの中頃だったが、主治医と両親は、冬学期も休学することを勧めた。どうせ夏学期を休んでしまったせいで単位は足りないのだからと思い、正志は勧められるがままに冬学期期間もまるごと休学することにした。
正志は迷った。半年もの間、何をして過ごそうか。勉強をしようか、趣味に没頭しようか。思索に耽るのもいい。矢田との議論生活の後で、正志はやる気に満ちあふれていた。
とりあえず正志は、ドイツ語を勉強し直すことにした。復学後に大学で必要になるからだ。来年こそ卒論を完成させなければならない。病院ではニーチャのことも議論した。もう卒論のイメージは出来上がっている。あとはそれをドイツ語で書くだけだ。参考書を何冊も買い込んだ正志は、退院した次の日から、早速ドイツ語の勉強にとりかかった。
初めはどんどん参考書を読み進めようと思っていた正志だったが、もうすでに何度かやった内容だったので、その内容自体を上から俯瞰する視点、いわゆるメタ視点からの問いが正志の中に次々と浮かんでいちいち行く手を阻んだ。例えば、ドイツ語の語順はなぜ日本語と似ているのだろうか。言語が思考の担い手として少なくとも一役買っているとするならば、そもそも語順は思考の何を反映しているのだろうか。なぜドイツ語の名詞は頭文字を大文字にするのか。書き言葉にしたときに名詞だということがすぐ分かるようにする目的ならば、逆になぜ英語では名詞の頭文字を大文字にしないのか。なぜ動詞でなく、名詞なのか。それは一体何を「反映して」いるのだろうか。正志は、自分の思考が一般と比べて幾分自由であることを自覚していた。ふつうの人はいちいちこんなことを問うことはない。正志は極端なところがあった。ある時期にこのような「問い」を立てることの重要性を認識して以来、とことんまで問わないと気が済まなくなった。お陰で思考の深みは増したが、その分スピードが遅くなった。だが、正志はこれでいいのだと思っていた。難しいことをしているのだから、処理が重くなるのは当たり前だ。人間の脳は一種のコンピュータに喩えることができるのだから。まして、今は休学中だ。好きなだけ問いと戯れよう。正志はそう思い直して、大量の参考書を前にゆっくりじっくり進んでいくことにした。
初めは順調だった。次々と現れる問いは、学習内容の理解を深くしてくれたし、かといって必要な暗記が疎かになることもなかった。学習はバランスよく進んでいった。
だが、退院して一ヶ月ほど経って、勉強に身が入らなくなっていることに正志は気づき始めた。疲れているのかもしれない、と思い、昼寝をするようになった。ところが、睡眠時間を増やしたら、かえって日中の眠気が増し、昼寝だけでは飽き足らず、一日に何度も仮眠をとるようになった。眠気のせいで勉強に集中できず、気づけば正志は日に三度の飯の時間以外はほとんど寝て暮らすようになってしまった。
これがいわゆる統合失調症の陰性症状と呼ばれるものであることに正志が気づいたときには、すでに手遅れなほどに正志の意識は混濁していた。生きているのか死んでいるのか判別がつかないような生活。それは苦しみには違いなかったが、苦しんでいるという意識すら持てなかった。なぜだか分からないが、未来に希望を持つことができなかった。むしろなぜ人がなぜかくも希望なき未来へ向かって元気に歩んでいくことができるのかわからなくなっていた。
三月に入る頃には、正志は大学をもう一年休むことを決めていた。
5 夢の世界
一日の平均睡眠時間はふつうの人で六時間くらいだろうか。一日の四分の一に相当する。そのうち夢を見ている時間はどれくらいだろうか。覚えている夢は実際に見ている夢のうちほんの一部であると言うから、寝ている時間の半分くらいは夢を見ているのかもしれない。
正志の一日の半分以上は睡眠に費やされていた。二十時間に達することも稀ではなかった。もし眠っている時間の半分が夢だとするなら、実に十時間も夢を見ていることになる。起きている時間は四時間であるから、起きている時間の二倍以上、夢の世界にいることになる。
正志はさまざまな夢を見た。夢にも種類があることを初めて知った。たいていは雑多な印象が生起・消滅を繰り返すだけの意味不明なものだったが、ときどき、意味ありげな、リアルな夢を見た。区別の軸はリアリティだけではない。正志はいわゆる明晰夢も見ることがあった。明晰夢というのは、夢が夢であると自覚されている夢のことだ。明晰夢では行動を自由に選択することができたが、その自由度もそのときどきで違った。明晰性とリアリティは必ずしも相関関係にあるわけではなかった。ものすごくリアルでありながら夢であるという自覚のない夢もあったし、夢であるという自覚はあるが印象がまとまらず混乱しているような夢もあった。
五月になる頃には、正志はすっかり夢の世界の住人と化していた。だが、夢は現実逃避とはならなかった。夢生活に慣れていくにつれて実感されてきたことは、むしろ、自分はどこにも逃げられないということであった。夢は自分の思い通りにはならなかったし、夢を見なければ一瞬で起きているときの世界へと戻されてしまう。正志は宗教は信じていなかったが、一切皆苦という仏陀の考えが正志に重くのしかかっていた。冷めた目で眺めたときに人生がこれほどまでに残酷なものになるとは思っていなかった。
なんとかしなければならない。正志はおぼろげながら危機感を感じていた。だが、眠いという症状に対して、眠るというやり方以外の解決策があるだろうか。正志の集中力は、次第に、起きている世界にではなく、眠りの国へと向かうようになった。それは生まれて初めての試みだったが、今となっては、なぜ人間は眠りそれ自体を研究することを疎かにしているのかが不思議なくらいであった。睡眠という現象は奥が深い。もしかすると、起きているときのあの世界よりも広くて深いのではないか。海が陸地よりも広くて深いように。人間が夢の世界をまるで探究できていないのは、潜り方を知らないからではないか。正志は文字通り夢中で探索を続けた。
夢の世界は、そもそも起きているときの世界とはまるで「法則」が違う。そのことに気づいてから、正志の探索は一気にはかどるようになった。起きているときの世界の印象は感覚器官が勝手に働いて自動的に自分の下に与えられるが、夢の世界における知覚は、いわば創造行為だった。見ようとしたものが見えるのだ。視覚でいうなら、自らが光となって周囲を明るくする必要があった。とはいえ、好き勝手なストーリーが展開できるわけではなかった。起きた後で、なぜああしなかったのか、こうしなかったのかと後悔することが多かった。つまり、夢の世界では意志が完全に自分のものではないのである。明晰夢で自由に動けるからといって、そもそもそのときに思い浮かばないことは選択もできない。だが、それは起きているときでも同じなのかもしれないと正志は思った。なぜか行かない場所、なぜか考えない事柄、なぜか思い出さない記憶。意志は自由ではない。明らかに、人生という道には見えない壁がある。つまり、人生は、そうとは知られず密かに迷路という在り方をしている。それが迷路に見えないのは、人間が自分は自由に生きていると思い込んでいるからだ。陰性症状に苦しむ正志にできるのは、睡眠時の生における自由度を上げることだけだった。
6 夢の中で会おう
半年も経った頃には、正志は夢の中での振る舞いに熟達するようになった。今では一度の睡眠で必ず明晰状態になれた。つまり、夢を夢だと自覚し、行動選択の自由を持てる瞬間が必ず訪れるようになった。夢の世界が実在することはもはや正志にとっては事実に他ならなかった。だが、この考えにはひとつだけ難点があった。正志はいまだに夢の世界で意志を持った自分とは別個の存在に出会ったことがなかったのである。登場人物が自分だけであったということではない。自分とは別のキャラクターが出てきても、そいつが起きている世界の他者のように予想外の行動をとることがなかったのである。とはいっても、夢の中の登場人物が皆予想通りの行動をとるということではない。うまく説明できないのだが、感覚として、別個の存在として感じられないということだ。世界というのは皆にとっての共通の舞台として現れてはじめて世界なのである。だから、日々正志が探索していたそれは、世界と呼べる代物ではないのかもしれなかった。だが、だとしたら、次第に明らかになってきたその深みは一体何なのか。むしろ別個の存在にいまだ出会わないということの方が不思議だった。「生まれたばかりの赤ん坊に他者が認識できるだろうか」正志はふとそのことに思い当たった。夢世界における自分の認識力はまだ生まれたばかりの赤ん坊のそれと同等なのではないだろうか。正志は、とりあえずそれを仮説として立てておくことにした。
正志はふと、矢田のことを思い出した。矢田は正志が退院してから約二週間後に退院していた。正志とは違って、矢田はすぐに復学し、京都で二回目の大学四年生をやっていた。たまに連絡は取り合っていたが、夢の探索にうつつを抜かしていることはまだ言っていなかった。正志は久しぶりに、矢田に電話をかけてみた。
「もしもし、俺だけど」
「おう、なんだ正志。調子はどうだ?」
「相変わらず寝てばかりだよ。実はそのことについてなんだが…お前、夢は見るか?」
「夢といえば最近は悪夢ばかり見るな。所詮夢だから、どうということもないが」
「…そうか。悪夢というと、どんな?」
「よくあるやつだよ。穴を落ちたり、殺人鬼に追いかけ回されたりだ」
「明晰夢は見ないのか?」
「明晰夢? なんだそれは」
「夢であるという自覚のある夢のことだ」
「そんなものがあるのか! もし俺の悪夢がその明晰夢だったら、怖くもなんともないのにな」
「矢田…夢の世界は実在するといったら、どうする?」
「そんなばかな。他者のいない世界など世界ではない。夢の世界、などという表現自体がおかしい。…いや、待てよ。もし明晰夢なんてものがあるなら…」
「そう、夢は探索可能なものとして、その意味において『世界』として成り立っている」
「最近連絡が少なくなったと思ったら、お前、そんなことをしているのか」
「そうだ。お陰で色々なことがわかりつつある」
「で、俺にもそれをやれというのか」
「ご名答」
「勘弁してくれよ。大学の勉強が忙しくてそれどころじゃあない」
「真理に近づける、と言ったらどうする?」
電話越しに矢田が息を飲んだのが正志にも分かった。
「…マジか。お前がそう言うなら、そうなのかもしれないな」
「ただ、問題なのは、まさにさっきお前が言ったことなんだ。夢の世界は、探索は可能だが、別個の存在との出会いがない。不完全な世界なんだ」
「なるほど、そこで俺の出番というわけか」
「さすが飲み込みが早いな」
「俺を誰だと思っている。で、どうすれば明晰夢とやらが見れるんだ?」
「そこなんだが、自分でもよく分かっていない。気づいたらできるようになっていた。なにしろ睡眠時間自体がものすごく長いからな。突然変異みたいなものだ」
「それじゃあどうしようもないじゃないか。…まあいい、面白そうだから、自分で調べてみるよ。休学中のお前みたいに寝まくってるわけにはいかないが、睡眠というものを意識化してみよう」
「頼むぜ。俺は陰性症状のせいでもう起きている時間から何も学べなくなってしまった」
「いんせいかー…俺ももうすぐ院生だ。院試がうまく行けば、の話だが」
「…せいぜい頑張ってくれ」
正志は電話を切ると、再び眠りに就いた。
7 新しい主治医
正志は一ヶ月に約一回のペースで通院していた。主治医は凡庸な男だった。おそらくマニュアル通りの処方しかしていないであろう彼を正志はあまり信用しておらず、診察のときも正志はただ聞かれたことに短い返事をするだけだった。ましてや、夢の世界の探索のことなど、この男に言ってもどうにもならないだろう。診察はいつもあっという間に終わった。今日もいつも通りの診察だったが、診察の終わりに主治医が言った。
「正志くん、申し訳ないんだが、僕は今度転勤することになってねぇ。主治医を交代してもらうことになるんだが、大丈夫かな?」
「え…交代って、誰にですか?」
誰に、と聞いて名前を教えてもらってもあまり意味はなかったな、と正志は
質問しながら思った。
「永野先生という先生で、非常に優秀な先生だよ。君と同じ東大出身だ。病院は変わらないから安心していい」
「わかりました。大丈夫です」
どうせ誰になったって変わらないだろう。正志はあまり期待をしていなかった。それがとんだ誤算であることを思い知らされたのは一ヶ月後の次の診察の日だった。
「おはよう。正志くんだね? 僕は永野です。斎藤先生から紹介を受けて、君の主治医になりました」
バリトンというよりバスに近い、ものすごくよく響く低音に正志は久しぶりに目が覚めたような気がした。でも、今はもう昼の三時だぞ。おはようってことはないだろう。
「お、おはようございます。よろしくお願いします」
「がははは。緊張しているようだが、早速診察に移らせてもらうよ。陽性症状は出ているかね?」
陽性症状は出ているか、だって? 正志は面食らった。前の主治医の斎藤はそんな聞き方一度もしたことなかったぞ。考えがあちこちに行っちゃうかどうかとか、夜眠れているかとか、そういう具体的内容を聞くのがふつうなのかと思っていたが、医者によるんだろうか…。
「あ、いや…ないです。陽性ではなくどちらかというと陰性寄りです。一日中寝てばかりで、やる気も出ないし頭の回転は遅いです」
「うむ。さすがだね、正志くん。カルテを見せてもらって、ただ者ではないと思っていたよ。病状も正確に把握しているし、精神病理学の概念もしっかり身につけている」
「は、はあ…」
「それで、だ。正志くん。斎藤先生には悪いんだが、僕が思うに、君に処方されている薬はちょっと多すぎるようだ。見たところ、入院中も、陽性症状が強く出ていたのは保護室に入っている間だけで、大部屋に出る頃にはもうほとんど収まっていた。違うかね?」
「僕はそうだと思ってました。けれど、斎藤先生は僕が一緒に入院していた友達と交わしていた議論を陽性症状と見ていたみたいです」
「がははは。ありがちな間違いだ。統合失調症の陽性症状は、ひどいときにはすぐにそれと分かるが、収まってくると、健康な脳による鋭い思考力と見分けがつかない。重要なのは、くさびが打てているかどうか、だ」
「くさび、ですか」
「がははは。正志くん、君は保護室で自分の精神にくさびを打ち込んでいたじゃないか。カルテにちゃーんと書いてあったぞ。古典的だが、実に独創的なやり方だ。こんな症例を見たのは初めてだよ」
「保護室の中にいたときのことはあまり覚えていないんです。とにかく必死だったのはなんとなく覚えていますけど」
「ふむ。まあいいでしょう。薬を四分の一に減らしておくので、もっと意識がクリアーになるでしょう」
「四分の一ですか! そんなに減らしちゃって大丈夫なんでしょうか」
「もちろん発症のリスクは多少上がるよ。けれど、正志くん。君の目はもっと輝いていたはずだよ。今の死んだような意識から抜け出したくはないのかね?」
帰り道で、正志は永野とのやり取りを思い出していた。考えれば考えるほど、永野はとんでもない医者だった。四分の一の量に減らすというのがどの程度のことなのかは素人の正志にはわからなかったが、「発症のリスクが上がる」ことをふつう明言するだろうか。バカ正直といおうか何といおうか…。自分も率直な性格ではあったが、責任ある立場であそこまで率直になれるだろうか。それに、永野にはまるで正志の内部で起こっていることが手に取るようにわかるようだった。もしかすると、永野も統合失調症なのかもしれない。いや、そうに違いない。そうでないと、あそこまで自信たっぷりに「死んだような」なんていう表現をしたことの説明がつかない。
永野は自身が統合失調症の罹患歴を持つ精神科医である。そう考えて納得した正志は、今度は安心感を感じ始めていた。元統合失調症か現統合失調症なのかは分からないが、いずれにせよエキスパート中のエキスパートじゃないか。これでこの厄介な陰性症状から解放されるかもしれない。
家に着く頃には、正志の心は久しぶりに弾んでいた。
8 言語マスター、正志
永野の予言通り、二週間後には、陰性症状は大分改善されていた。日中眠くない。そんな当たり前のことが、正志にはこの上ない喜びをもたらす仕合せのように感じられた。眠気が晴れ、意識が透き通っていくにつれて、かつての思考力が再び自分のもとへ戻って来るのを正志は感じた。正志は完全に滞っていたドイツ語の勉強を再開した。
ドイツ語の勉強はとてもはかどった。いや、はかどり過ぎた。正志にはもともと語学の才能があり、高校時代のときも英語のテストでは帰国子女にも勝ってしまうほどの実力を見せたが、それにしても、このはかどり方はおかしい。なにしろ、新しく習っているはずのことが、一瞬で記憶されてしまう。まるで、「もともと知っていたことを思い出す」かのような感覚だった。正志は外国語で会話をするのが苦手だったが、そのような弱点もいつの間にか消え失せていた。
一ヶ月もすると、ドイツ語で書かれたどんな文でも、日本語の文と同じスピードで読めるようになっていた。大学で必要なのはドイツ語だけだったが、面白くも奇妙に思った正志は、他の言語の勉強もしてみた。ところが、どの言語でも同じことだった。新たに覚えることは何もなく、思い出せばいいだけだった。正志は記憶と想起の区別など本当はないのではないか、と思った。
休学が終わる頃には、正志は調べうる限りのあらゆる言語をマスターしていた。
起きている間は語学の勉強に夢中になっていたが、正志は相変わらず夢の中の探索も進めていた。不思議なことに、眠っている時間は短くなったものの、なぜか探索の時間はむしろ長くなっているように感じられた。それは恐らく、眠っている時間のうちの夢を見ている時間が長くなったからだろうが、その原因についてはよくわからなかった。ただ、眠っている時間が半分以下になったのにもかかわらず夢を見ている時間が長くなったということは、起きている間にしかできないあることが、夢を見るための条件となっているということを示唆しているように思われた。いずれにせよ、夢世界の探索は主治医が永野に変わってから、より充実したものとなった。
そして、大学復帰当日の夢に、ついに正志は夢の中で自分とは別個の存在と出会った。
その日の夢は、いつにも増して、明晰度が高かった。まず覚醒世界から夢世界へ入るときに断絶がなく、意識が連続性を保っていた。このようなスムーズな移行が起こることはかなり稀なケースで、正志もこれまでに2、3回しか体験したことがなかった。このようなときは、最初にどの場所から夢をスタートさせるかを自由に選択することができる。正志は、以前一度探索していた「城」をイメージした。漠然と「あのときの城」をイメージすると失敗率が高いことを正志は経験的に知っていたので、記憶にはっきりと残っている、ある扉の像を思い浮かべることで、その城を指定しようとした。肉体の感覚はもう消えており、目の前にその扉がうっすらと現れた。タイミングを見計らって、正志はいつものように、「開眼」した。夢世界の視覚像をはっきりさせるためには、夢世界において目を開く必要がある。タイミングを誤ると、肉体の目を開いて夢から目覚めてしまうため、うまくタイミングをはかる必要があるが、正志はもうこの開眼のプロセスには習熟していた。目を開くと、正志はまず回転した。回転の中から体が形成されるまでにさして時間はかからなかった。再び頃合いを見計らって、正志は空中に舞い、着地した。位置情報を保持することに失敗すると、着地をしたときに別の場所(特に、自分の弱さが望んでしまうような場所)にいることも多いのだが、今回は、ちゃんと例の扉の前に降り立っていた。
「この城だ、間違いない」
この城の探索を進めようと思ったのには明確な理由があった。というのも、前回この城の地下牢に潜ったときに、自分に呼びかける女性の声を聞いたからだ。そんなことはこれまでになかったため、正志は驚いて、目覚めてしまったのだ。夢世界が全うな世界であることを確認するために、自分とは異なる意志を持った別個の存在との出会いを求めていた正志は、チャンスがあればその城に再び来訪しようとかねてから計画していたのだ。しかも女性だ。別の期待によって関係ない夢に陥らないように制御しながら、正志は真っ先にその地下牢へと向かった。
「たしか、この階段を降りたところだったな…」
目だけの姿の方が移動スピードは速いのだが、体があった方が世界と自我が安定するため、まだ完全とはいえない体のコントロールに苦戦しながら、正志は地下牢へと続く階段を降りて行った。
「タスケテ…」
階段が終わる少し手前で、声が聞こえた。以前は地下牢だと分かってから声が聞こえたはずだが、まだ地下牢自体にはたどりついていない。向こうも自分のことを覚えているのだろうか。しかし、なんという声だろう。声そのものが目に見えるような輝きをもっている。正志は逸る気持ちをおさえ、うっかり夢から覚めてしまわないように、慎重に、周囲を自らの光で照らしながら、声のする方へと進んでいった。そして、地下牢の一室に、少しピンク寄りの赤い光を放つ、いわゆる精霊のような姿をしたものが、羽を羽ばたかせて、空中に浮かんでいるのを見つけた。可愛らしいけれど、どこか気品があって、人間の女性とはずいぶん雰囲気が違った。
「タスケテ…」
「助けてって、君、鉄格子の幅より小さいし、飛んでるんだから、自分で出られるんじゃないか?」
「ソウイウ モンダイデハ ナイノデス…」
正志の頬が思わずゆるんだ。かわいい子だな。
「鍵を開けてあげたいんだけど、どこにあるのか分かる?」
「カギハ アナタノナカニ アリマス。ワタシヲ モトメル アナタノコエガ カギト ナリマス」
すぐには意味が飲み込めなかったが、ただならぬ雰囲気を感じとった正志は、気づくと声をもらしていた。
「君は一体何者なんだ…」
「ワスレテシマッタノデスカ? カナシイ… ワタシト アナタハ カツテ ヒトツダッタノニ」
正志はハッとした。この子が、俺がずっと求めていた力…
「ワタシハ アナタノ マホウノチカラ ソノキオクデス」
その瞬間、正志と精霊を隔てていた鉄の扉が音もなく開いた。
9 魔法使い、正志
大学から帰ると、正志は自分の部屋でくつろいでいたが、ふと顔を上げて、読んでいた本を閉じた。右手を近づけて、つぶやいた。
「なぁ、コトハ、どうして夢から覚めると魔法は使えなくなるんだ?」
「こちらの世界は、カゼが吹いていません」
「おいおい、それはさすがに嘘だろ」
正志は立ち上がって、窓を開けた。
「この風じゃあ、駄目だってことか?」
こう訊ねると、正志の右手の人差し指から、赤っぽい光を微かに放つ一枚の木の葉が、舞うように飛び出してきて、窓から入り込んでくる風に揺れた。
「これは、カゼではありません。ただの粒子の流れです」
正志は笑った。
「たしかにそうだけど、それをみんなカゼって呼んでるんだよなぁ」
この木の葉の姿をした精霊とは、夢の中で出会った。名前はコトハだという。失われたかつての俺の魔法の力そのもの、らしい。魔法なのに、コトハ。でも、確かに言葉って魔法みたいだよなぁ。
「この世界は本来の世界ではありません。何者かの恣意を感じます。捏造された世界かもしれません」
「じゃあ、コトハの力が使える夢の世界の方が、本来の世界だっていうのかい?」
「様子はずいぶん変わってしまいましたが、こちらの世界よりはずっと本来の世界に近い在り方をしています」
「ふむ…たしかに君とこうして話ができているということは奇跡的だ。だから、君のいうことには信憑性がある。でも、何しろ僕は精神病だ。幻覚の可能性も否定できない。それに、夢の世界の方が本来の世界、だなんて、どっかで聞いたような話だ」
「私と一緒に向こうの世界を旅するうちに、思い出すかもしれません」
断片
一般に、開放感は外に出ることによって生まれる。だが、外とはどこだろうか。この世界の外は、この世界内のどこにもない。本当の風に吹かれて本当の開放感を得るためには、この世界の外に出なければならないのに。考えれば考えるほど、外と呼ばれているところは全部世界の中だ。もう残された場所は心の中しかない。この心の中へ中へともぐって、この世界の出口を探すのだ。かつては入り口だったかもしれないその出口を求めて。
なぜお前たちが幸せになれないのか。どうして幸せの代わりに快楽と苦痛があるのか。これを読んでいるお前には、教えなければなるまい。かつて宇宙は解放系だった。つまり、宇宙に限界はなかった。宇宙は無限のエネルギー、愛であふれていた。ところが、ある日、愛の王国を闇が包み込んだ。異変を告げ知らせる風が吹いたときには、もう私たちはルサンチマンの術中に陥っていた。闇が闇を呼ぶその姿はまるで黒い炎だった。私たちは魔法で抵抗したが、奴の炎はあらゆる魔法をかき消した。やがて王国全土を包み込むであろうと察知した私は、闇の中でも我々が自身の宇宙を保てるように、創造の源泉である風がやまぬように、エネルギーを循環させることをとっさに思いつき、その考えを、エネルギー保存の法則として、私の存在もろとも結晶化させたのだ。つまりエネルギー保存則とは私のことだ。本当にすまない。何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない世の中にしたのは、限られた資源を奪いあう争いに満ちた世界にしたのは、永続する幸せを永久に消し去ってしまったのは、この私だ。だが、これが王国の主である私がお前たちを守るためにできるすべてだった。エネルギーが循環し、風が吹く限り、お前たちが死ぬことはない。ルサンチマンはひとつ思い違いをしている。奴は、この宇宙のすべてを自分が創ったのだと勘違いしている。生がゲームとなったのも、奴の独創ではない。我々との共同作業だったのだ。だが、奴は強い。奴に対抗する唯一の方法は、「循環させる」ことだ。限られた資源を奪い合うという発想をしている限り、奴に対抗しうる風は起こせない。空間を壁で仕切って交流を断っている限り、風はお前という国の国旗をたなびかせない。奴の創った「閉じた系」は脅威だ。だが、奴も神である以上、創造の風を必要とする。どこかに出入り口があるはずだ。法則化してしまった私は、もうここから動くことはできない。お前たちがやるしかないのだ。…そろそろ最後のエネルギーが尽きる。さらばだ。
正志は子供の頃、ゲームが好きだった。ゲームの中では魔法が使えたからだ。だが、年をとっていくにつれて、その魔法も結局は各モンスターに対して平均ダメージ量を割り振っただけの変数の表、すなわち関数に過ぎないということに気づくようになった。魔法だけではない。グラフィックやサウンドがきれいな最新のゲームをやっていても、結局本当にやりとりされているのは単なる数値なのだと思うと、馬鹿馬鹿しくなった。現実だって同じだ。科学的世界観の下では、世界はまぎれもなく数で出来ているのだ。正志は事物の本質が何なのかを見極めることはあらゆる場面で重要だと思っていた。だが、すべての結果を決める数値は確かに本質には違いなかったが、忌み嫌うべき本質だった。だから、それを本質だと考えたくはなかった。本質ならぬ本質がある、と思うしかない。だが、そんな矛盾に満ちた考えが許されるのだろうか。いや、これは少しも矛盾などしていないのだ。矛盾しているのは言葉上のことであって、考え自体は少しも矛盾していない。それは直接そうとわかることだ。思考と言葉は必ずしも対応しない。言葉という表現よりも、表現されている本体の方が重要なのだ。いわば言葉に還元される前の生(なま)の思考。そして正志は、全く同じことがゲームについても言えることに気づいた。数値のやりとりと同時に起こっている音声や映像などのイフェクト。どういうクエストにおいて誰がどういう場面で使ったのかというコンテクスト。それらすべてをひっくるめてその魔法は成り立っているのだ。そういった有機的な連関を持っているということが、すなわち、生きているということなのだ。生は分割できない。全体性こそが生なのだ。
メモ
コトハと出会った後は、夢の世界の冒険がしばらく続く。ある時点で、矢田から連絡が来る。矢田は明晰夢状態のまま目覚めることが可能だということを正志に告げ、「ここから先は自分独りで行くしかない。俺たちが本当に会えるのは、すべてが終わってからだ」と言う。
「夢の外で会おう」
ラスト
王の間に玉座はなかった。玉座があるべきところには、大きな鏡が置いてあるだけだった。正志は鏡の前へ立ったが、鏡には誰も映っていなかった。
正志はすべてを悟った。
「さようなら」
鏡が光り輝き、鏡とともに、正志の姿は虚空へ消え去った。
正志とルサンチマンの夢は、終わった。
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