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電話だけの関係

「あのとき好きだったよ」


電話越しにそう言われた

あのとき、で今も通じる程、
ふたりにとっての「あのとき」は
「あのとき」としか言いようがない


携帯電話のアンテナを目一杯伸ばして
夜空に向けて電波を探していた頃、
わたしたちはネットの海で知り合った
十七歳だった


十数年の音信不通を経て
彼はわたしを探し当てた
「話せる?」
そう訊かれて通話をしているときの
前触れのない告白だった


「それは、」

彼は電話の向こうで沈黙していて
わたしの次の言葉を
待ってくれているのがわかった

「そのとき言ってよ」

なんでもないような声で、
なんでもないことみたいに笑った

"どうにかなりそうなとき" を
とうに過ぎてしまったことを
わたしたちは知っていて
今さら答え合わせをしたところで
どこにもたどり着かないことを
お互いにわかっていた
大人になってもう随分経っていて
会おうと思えばいくらでも会えたけれど
わたしたちはそうはしなかった

「言わないぎりぎりを楽しんでたんだよ」
「何それ」
「お互いにね?」
「ははっ」


「わたしも好きだった」

『とか言ったほうがいい?』
とつけ足すよりも早く、
「やめてよそういうの」と遮られた


「しかも過去形だし」
「そりゃそうでしょ」
「今は?好きじゃないの?」
「さあ、どうだろ」


「あのとき」の
電話はいつだって夜だったけれど
大人になったわたしたちは
昼間の僅かな時間に話すだけで
夜という時間を共有することはない
春の終わりの晴れた午後
外に出てみると、光が眩しかった


「貴女に会ったらおれもう思い残すことないよ」
「会ったら死ぬって聞こえるんですけど」
「どうだろ、会ったら生きたくなるかも」
「適当だなぁ」
「会いに来てよ」
「やだよ遠いし」
「まあ来られてもね」


ひとしきり笑って
うつくしく淡い思い出を
「なんでもない話」
に ふたりで着地させた
センチメンタルにならないように


「もう人生に満足してるんだよ。
仕事も軌道に乗ったし、また家庭を持てたし」
「『家族のために生きる』じゃないの、そこは」
「女の人は強いよ。おれがいなくても生きてけるんだよ」


その日の連絡を境に
彼とはまたしても音信不通となった
このまま会うことなく今世が過ぎたとしたら
わたしたちは会う必要がなかった
ただそれだけのことだ


ほとんど「声」しか知らないまま
わたしたちはそれぞれに
内側にある深く暗い海のなかを
今も ひとりで漂っている


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