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ありがとうと言わない夫、ありがとうと言ってほしい私

この話のつづき。
しわしわシャツが気にならない夫と、ピンとしたシャツを着てほしい私の話。


クローゼットも同じことが起きていて。夫のクローゼットの中は、いつだってぐちゃぐちゃ。

洗濯物をしまう度に「あーもう、またぐちゃぐちゃだ」と思いながら、すっすっすっと手を動かして片付ける。すっきりしたクローゼットを眺めて、よしよしよしとにんまりする。そう、夫はクローゼットの中もどうだっていいのだ。ぐちゃぐちゃでも、きれいでも。どうでもよくないのは私だけ。ぐちゃぐちゃで「もうー」と思うのも、片付いて「きれいになったぞー」とうれしくなるのも、私だけ。


クローゼットを片付けていて、時々思うことがある。私だったら、勝手に片付けられちゃ、嫌だな。たとえぐちゃぐちゃでも、自分で片付けたいし、好きなように片付けたい。

と思うと、自分の領域なのに、好きにさせてくれる夫ってすごいなって思う。アイロンをかけても、クローゼットを片付けても、夫はありがとうと言わないけれど、よく考えてみたらあたりまえだ。だって夫は「やってほしい」と思ってるわけじゃないし、きれいな状態を望んでいるわけでもない。勝手にやっておいて「あなた、ありがとうって言わないよね」なんて、悪徳業者の押し売りみたい。勝手に品物押し付けて、お金払って!って言ってるようなもんだ。


アイロンのことも、クローゼットのことも、思い出して納得し直す度に「勝手にいろいろさせてくれて、ありがとう」というところにたどりつく。やってもらったほうが、やってくれた人にありがとうと言うのがよくある形なのかもしれないけれど、そうじゃないものもある。この場合は、私が「ありがとう」って思う方が、ずっと自然。

このことについてありがとうと言ってほしいと思ったことはないけれど、私は誰かが私の物になにかをしてくれた時に反射的に「ありがとう」と言ってしまうので「この人はあんまりありがとうって言わない人だなぁ」って思ってた。

でも、夫のほうがずっと、ちゃんと「ありがとう」を使ってるのかもしれない。ありがとうの気持ちがある時に、ありがとうを言う、という、至極あたりまえのことを。そして私のほうが形だけのありがとうになっていて、その至極あたりまえのことができていないのかもしれない。


私たちのけんかの原因は(いや、けんかはほとんどしない。私が勝手にぷんぷんするのがいつものパターンだ)たいてい「ごめんって言ってほしかったのに、なんにも言ってくれない」「ありがとうって言ってほしかったのに、なんにも言ってくれない」というところにある。

だから「なんで私が!」とアイロンをかける時、クローゼットを片付ける時は「あぁ、私のためにやってるんだな」というところにまず辿り着き、そして「ありがとうをほしがる自分」に気付き、「そこまで思ってないのにありがとうと言っている自分」に気付く。

「ありがとう」と思った時に「ありがとう」を言う夫。
「ありがとう」という言葉が、私たちの間を心地よくしてくれるから言う私。

どっちが正しいってことじゃなくてね。ただ、ちがうんだなぁってこと。きれいなクローゼットが好きか、どんなクローゼットでも構わないと思っているか、ちがうように。


ちがうことは、悪くない。ちがうって分かっていること。あなたのそれもok、私のこれもokとすること。それが大事。分かっているんだけど、忘れちゃう。ついつい自分の視点で見ては相手に「もー」って思っちゃう。しわしわのシャツとクローゼットはいつも私と夫がちがうことを思い出させてくれる。

そう、夫も私も好きなようにすればいいのだ。夫は好きなだけシャツをしわしわにしてクローゼットにポイポイすればいい。私は好きなだけシャツにアイロンをかければいいし、クローゼットを片付けていいのだ。いや、夫婦って上手い具合に噛み合うものなんですな。


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