18年勤めた職場を退職して分かった執着からの解放
今朝、しずくさんのこの記事に出会いました。
「未練たらたらの時はたらしておく」
という表現がとても気に入って、
言い換えれば「感情を味わいきるまで」ということだと思うのですが、
しずくさんの言い方のほうが実感がこもっているように感じて、
伝わるなぁと思ったのでした。
そして、印象的だった
「彼はわたしの一番ではなくなったんだなと思ったら泣けた」
というフレーズ。
わたし、まだ泣けてないなとその時は思ったのです。
わたしは、昨日付で退職しました。
18年務めた職場では、いろんな出来事がありました。
なかでも、カルチャーショックともいえる出会いと
それがきっかけとなって訪れた自己変容の嵐。
マジョリティーで正論の枠の中にいた私は、
そこがどんなに小さく窮屈で
愛のないところなのかを実感してゆくことになりました。
無気力で「仕事は暇つぶし」だと考えていた私は、
いつしか、目の前のことに真剣になってみよう、
一生懸命やってみよう
そんな風に考えられる人になってゆきました。
どこかで刺激を受けると、
それは自分の全体をかえてゆき、
わたしには家族と職場以外に、
学ぶ仲間、趣味の仲間ができ、
好きなことに気づくようになりました。
どんどん人生に色がついていく。
そんなことを感じて過ごせるようになってゆきました。
もちろん、大変だったこと、しんどかったこと、
むかついたことだってたくさんあるけど、
総じてありがたいことが圧倒的に多かった職場でした。
悪者がいたとすれば、それはコロナウイルス。
あの騒動が世界を変え、
今までできた楽しいことを奪ってゆきました。
それが起こした弊害は甚大で、
職場の環境は大変な打撃を受けました。
それでも、わたしの周りのスタッフは
助け合いながらやっていました。
でも環境は容赦なく
自由を奪い、人を奪ってゆきました。
それでもみんなで乗り切った。
そう思っていました。
ぷつりと途切れてしまった私に、
職場のみんなはやっぱり優しかった。
長いお休み中も、変わらず声をかけてくれました。
休職中も大好きなことはやめちゃだめだと、
身体を動かすことは続けた方がいいと、
ランニングを続けるように言い続けてくれたのは
同僚や上司でした。
そんなある日「組織改正」の説明を受けました。
そして、勤めていた部屋が物理的になくなりました。
わたしは、以前勤めていたがらんとした部屋で、
自分が使っていた仕事の資料をひとり整理し、
自分が戻れる机がなくなったことを実感しました。
そして、考えました。
ここはわたしの居場所ではなくなっているのではないだろうか。
それからの1か月は、いろんな不安とともに過ごしました。
10月から復帰はできても、
自分は社会生活を送れるだろうか。
それが私の望みなんだろうか。
そして思いました。
何をしても不安は消えない。
今まで頭で理解していたことが肚落ちした瞬間でした。
やめてみよう。
退職の手続きはあっけなく、
それでも、同僚や上司は優しく送り出してくれました。
そして、リハビリのために作っていた
新しくできたわたしのよりどころを
ほめて喜んでくれたのも同僚や上司でした。
恵まれていた以外の言葉がみつからない。
大好きな職場でした。
しずくさんの記事を読んだあと
家族を送り出し
家事をしながら
職場でのこと
かかってくださったたくさんの人たちのことを
振り返っていました。
そして、
幸せな18年間だったなあと思ったとたん
涙があふれてきました。
執着していた大好きだった職場から
心が解放された瞬間。
大切な思い出にします。