【子育て振り返り】親がまるっと引き受けるべきこと
こんにちは。
さくまゆうこです。
昨日の記事「劇的だった高校受験」で
息子の高校受験が感動的だったことを書きました。
今でも鮮明浮かぶ合格発表のワンシーン。
しかし。
彼が入りたくて入りたくて
心から望んで入った高校は、
親子共々想像を絶する厳しい序列のある学校でした。
【知ってたら入らなかった】
高校1年の4月も下旬、
彼の様子からは、
慣れない生活の疲れとは
明らかに別な消耗を感じて
毎日の状況を心配していました。
あたしにできるのは、
どんなにきつい日常があったとしても
ひもじい思いをしないように
食べ物をたっぷり用意することくらい。
毎日毎日家族の分も含めて5合のお米を炊いて
せめて毎日の食事だけでも
たっぷりたっぷり満足いくまでと思って
一生懸命料理していたことを思い出します。
ほんと、いっつもご飯炊いてたなぁ(笑)
ある日、疲れ果てて帰宅した彼が
「自分が望んで入ったんじゃなかったらやめたかも」
と言いました。
そして、
「こんなに厳しいって知ってたら選ばなかった」
とも言いました。
勉強も部活動も本当に大変だったし、
キャラ立ち度合いがハンパない
クラスメイトたちとの関わりも
なかなかに大変そうでした。
あのときの彼は、
「自分が選んだんだ」という事実だけに
支えられていたのだと思います。
【親にできるのは見守ることだけ】
いつの時代もそうですが、
親は子どものことが心配です。
いじめられやしないか、
けがしたりしないか、
勉強にはついて行ってるのか
うまくやれてるのか
心配の種は尽きません。
でも、どんなに心配でも、
親にできることなんて些細なことです。
変わってあげることができないんだもん。
お手上げなのです。
あの頃のあたしにできたのは、
さっきも書いたけど、
せめて家ではのんびりしてもらうこと。
彼が外でいろいろなものに神経を使える
体力の基板を作ることだけでした。
自分が心から望んで納得していなければ
踏ん張る力を発揮することはできないんだなと
高校時代の彼を見ていて実感していました。
それは、なにも彼だけじゃないなとも
思っていました。
【経験からのレールを引っ込める勇気を持とう】
大人は、子どもよりたくさんの経験をしています。
だから、
こうした方がうまくいくとか、
これをチョイスした方が有利だとか、
さまざまな「転ばぬ先の杖」を持っています。
でも、
子どもの人生を親が代わりに生きることはできない。
どんなに経験からの助言をしても、
本人が腑に落ちた状態でなければ
力を発揮するのは難しいでしょうし、
何かがあったときに
立ち向かう勇気やエネルギーはわかない。
それに、
いろんな失敗をするから
成功にたどりつくんだ。
なのに、
口を出したり手を出したりする。
それが親切だとすら思ってる。
本当は、すごい無責任なことだって思います。
親という役割は、
生活するお金を持って帰ってくること、
子どもが生きるために必要な最低限のことを支えるだけ。
手出し口出しをしないで
見守るだけって結構つらい。
でも、それをするのが親の役目です。
親になると決めたあたしが
まるっと引き受けるべきことです。
子どものためにレールを敷くことでは
決してないんです。
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