日本伝統のレイキと西洋レイキ
これまで、「西洋レイキ」という言葉を使ってきましたが、ここではその説明をしましょう。
「西洋レイキ」に対応する言葉は、「日本伝統のレイキ」です。
そもそも、大正末期に日本で始まったのがレイキ(正確には「心身改善臼井靈氣療法」と言います)です。
戦前は、百万人もの施術者がいると言われるほど広まりましたが、戦後は廃れてしまい、現代ではほとんど知られていません。
ところが海外では、特にアメリカやヨーロッパでは、「REIKI」と言えばほとんどの人が知っているのです。
日本では「気功」という言葉を知らない人はほとんどいませんが、西欧では、「QIGONG(気功)」は知らなくても「REIKI」は知っているという人が多いのです。
西洋レイキの誕生
いわゆる「西洋レイキ」は、ハワイで生まれました。
詳しい経緯は、ネットで調べれば出てきますから、ここでは簡単に説明しましょう。
「西洋レイキ」の創設者は、ハワイ在住日系二世の高田ハワヨ氏です。
高田氏は、「日本伝統のレイキ」を、林忠次郎(はやし・ちゅうじろう)氏から習います。
林氏は、臼井甕男氏が育てた20人(あるいは21人)の弟子の1人です。
元海軍の医師だったこともあり、レイキを治療目的で堂々と使えた人です。
戦前、ハワイに移住した日本人は多く、その日系人社会の中で、レイキは広まっていきました。
林氏も、ハワイに行ってレイキの講習会を開くなどし、その動向は日系人向けの新聞にも載ったほどです。
しかし、戦争の間に、そのレイキも廃れて行きました。
高田氏は、細々とヒーリングサロンでレイキの施術を続けていましたが、なぜか弟子を育成しようとされませんでした。
高田氏は晩年になって、やっと弟子の育成を始めました。
1970年代になって、22人の弟子を育成し、高田氏は1980年に亡くなります。
高田氏の没後、弟子たちが集まって受け継いだ内容を整理統合し始めたのが、いわゆる「西洋レイキ」です。
「西洋レイキ」の組織は、その後分裂し、弟子の21人が参加した「レイキ・アライアンス」が主流となります。
残りの1人(高田氏の孫)は、「アメリカン・インターナショナル・レイキアソシエーション(現ラディアンス・テクニーク)」を設立します。
これらから多くのレイキ・マスターが生まれ、それぞれの活動を展開していくことになります。
西洋レイキが広まった訳
なぜ、アメリカやヨーロッパでレイキが広まったのか?
その理由はいろいろ考えられますが、1つにニューエイジブームがあります。
宗教ではなく、人間はスピリチュアル(魂的)な存在だとし、身体よりも魂を重視しようとしたムーブメントです。
このブームに乗って、東洋から来た神秘的なレイキが受け入れられ、広まっていったのではないかと考えられます。
そのため、本来の「日本伝統のレイキ」では、まったく語っていないオーラとかチャクラなど、インド系の要素を取り込んで、いっしょくたに「レイキ」としてしまっています。
その後はさらに、「天使とつながる」とか、「ヒプノセラピー(前世療法)」の要素を取り入れるなど、元々の「日本伝統のレイキ」とはまったく違うスタイルになったものもあります。
日本への逆輸入
戦後、本家の日本では、レイキはすっかり廃れてしまいました。
これは、「臼井靈氣療法学会」が、表立った活動をやめたことにも起因します。
おそらくは、統治していたGHQを刺激しないために、自ら活動を自粛したのではないかと思われます。
「臼井靈氣療法学会」には、多くの軍関係者(特に海軍関係者)が所属していましたから。
そんな日本に、「西洋レイキ」が初めてもたらされたのは、1984年の三井三重子氏によるレイキ講座です。
ただ、三井氏は、マスターを養成できるレベルではなかったので、わずかな人がレイキを習っただけで終わりました。
その後、1993年になって、ドイツ人のフランク・アジャバ・ペッター氏が札幌で、レイキの講座を始めました。
ペッター氏は、マスター養成講座も行ったため、ここで多くの日本人マスターが生まれました。
これが、日本に「西洋レイキ」を根付かせることにつながったのです。
※ペッター氏は後に日本伝統のレイキである直傳靈氣の創設にも寄与され、今は直傳靈氣の代表代行をされています。
日本伝統のレイキは存続していた
すっかり廃れてしまった日本のレイキですが、「臼井靈氣療法学会」は、その後も細々と存続していました。
そのことを明らかにしたのは、後に「現代レイキ」を立ち上げた土居裕氏です。
ひょんなことから同会の存在を知り、たまたま入会できたことから、その伝統的な手法と「西洋レイキ」の良さをかけ合わせ、独自のレイキを創りました。
しかし、「臼井靈氣療法学会」は、相変わらず門戸を閉ざしたままで、一般の人はそこに入って学ぶことができません。
それに、長年活動を行っていないため、正しくレイキを伝えることさえおぼつかない状態であると言われています。
そんな時、林忠次郎氏から直接レイキを習い、それをずっと実践して来られた方が見つかります。
それが、山口千代子氏です。
その後、千代子氏は、息子の山口忠夫氏と共に、「直傳靈氣(じきでんれいき)」を立ち上げます。
廃れてしまった「日本伝統のレイキ」を、林氏直伝のレイキとして復活させるためです。
千代子氏は亡くなられましたが、息子の忠夫氏が代表となり、また、ペッター氏も代表代行となって、日本伝統のレイキを世界に広める活動をされています。
ほぼ同じ時期に林氏からレイキを習った高田氏と山口氏。このお二人が、世界にレイキを広める重要な役割を果たされました。
日本のレイキは、このようにして、世界に広まっているのです。