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『マイクロツーリズム×観光教育』で本質的なSDGsを探る

コロナ禍の沖縄でマイクロツーリズムが浸透しないという課題解決に向けての取り組みをする中で戦っているのは「無関心」だとつくづく思う。

なぜ沖縄のマイクロツーリズムはこんなにも浸透しないのか?

それはつまりは結局「観光」は地元の中ではマイノリティーの話題でしかないのだ。

もっと言うなら「海の観光」は尚更そうだ。

問題は「観光」に関心すらない県民が「これからの観光」についてなんて更に関心がなく、多くの県民の中で議論などされるわけがなく、マイノリティーの中だけで議論され決められるべくものになっていく事だ。

県民にとっての「観光」とは何か?

では「観光」を県民に浸透させていくにはどのような対策があるのか?

「観光」を地元の人の日常に寄り添うような「平準化」にしていく事が必要だと考える。

そこで自然の美を見るような「観光」とはいったい何かと歴史を紐解いていくと「観光」と「環境問題」と「差別」や「格差」の問題とも繋がっている事に到達する。
だから「観光」について考える事は県民にとっても大切な事なんだと言えるのだ。

「環境正義」という言葉があるのだが、環境運動は実は「余裕がある白人」から始まったものだった。原住民の有色人種の自然の使い方は雑でもったいない。もう少し自分達ならこの偉大なる自然をうまく使い守っていく事ができるという後から来た白人の勝手な思想から始まった活動だそうだ。

「正しさは立場によって違った形」になるという事だ。

「差別」「格差」「環境問題」これらは同時に解決していかないといけない問題なのだ。

なぜこんな話をするかというと、この話は実は沖縄の現状にもリンクする。

こんなに素晴らしい環境を結局は「県外の人」がやってきて「県外の人たちのため」に使っている観光という現状に、地元の人達は環境が壊れていっている事すら知らないし、もっと言うならそこがどんな環境なのかも知らないでいるし知る必要がないとも思っている。

当たり前すぎて灯台下暗し的な事もあるだろうけどもあまりにも「無関心」なのは問題だ。

なぜならこれは「体験格差」にも繋がるからだ。「観光」に関する知識の欠落は「格差」を招く。観光立県なのだが、「観光」に対して関心がない。これが日本の中でも「マイクロツーリズム」が唯一通じないエリアになる原因の一つだ。

県民にとっての「観光」は外からやってきた人達がやっている事で自分達にはあまり関係ない事なのだ。

沖縄の「観光」を支える「海の観光」に対する県民の認識

「観光」が沖縄のリーディング産業である事は間違いなく、その「沖縄の観光」を大きく支えているのが「海の観光」だという事も間違いない。

そしてその「海の観光」を知るには、観光資源である「海」そのものを知っていないとならない。

ただその「海の中」を知らない子供達があまりにも多いのは驚くべき現状だ。

例えば、沖縄の子供たちはシュノーケルをやった事がない子供達が実はたくさんいるのだ。
海の近くは行くけれど意外と海の中を見た事がないという事に驚いた。

原因としては、ホテルなどが立ちホテル前のビーチがホテルのプライベートビーチになる事で県民が自分達で入っていく事が出来る環境も少なくなっているのも一つの原因にはなるのだが、大人も子供も泳げないからか怖い所だから近づくなと言われて育った子供達が圧倒的に多い。そういう環境の中では子供も含めて大人たちも海に対しての関心がないのはうなずける。

これがマイクロツーリズムが浸透していかない一つの原因に他ならない。

「海を知る機会」を増やす

そんな環境を何とか変えたいと思い。
そのためには、「観光」とは何か?「海」とは何か?「海の観光」とは何か?を伝えていく必要がある。

その一つのアプローチが「教育」だ。

そこで始めた取り組みが学校教育として「自立した」シュノーケラーを育成するという授業だ。

泳げなくて怖いのであれば、怖くならないように正しい装備と正しい知識と技術を提供する。器材の使い方から泳ぎ方、海辺のレスキュー方法や海況判断などの知識も提供する。その上で海の生態系などの知識も提供する。

環境問題である温暖化、海洋プラスチックゴミ問題やら、サンゴの白化現象、多様性の問題など

子供たちはそんな自然にまつわるアレコレを、体現的に学んでいく事が可能だ。

そして自分達の海がいかに貴重な海だという事を知り、
海が貴重だという事を伝える事ができる技術を提供する。

地域作りに生かせる「海の観光」の知識を提供する。

「海の中」を見る機会を作るために始めた取り組みだ。

シュノーケルをただ楽しかっただけでなく「地域教育」としての「ツール」として捉える事で自分達地域を考える事にも繋がる。

環境問題というものを小難しく語り伝えていくと、対象を関心のある人たちに絞り込んでしまいがちで多くに浸透していかない。
また自分達はどちらかというと環境問題を調べている専門家や教授ではない。
ただインタープリターとして海の楽しさを伝える現場の楽しさを知るものの役割として
「正しい事を教える」というよりまずは、「楽しいを共感」させていかないと前に進んでいかないという事を知っている。

「楽しんで知ってもらえること」がまず一歩だ。 
その上でそれを「教育」に乗せていく
海の貴重さ大切さを伝えていく事は「海の観光」に関わるものとしての重要な役割だ。

「観光教育」を「地域教育」として捉える事の可能性

また教える事が「シュノーケル」とか「海」とか「環境教育」とかだと狭くなりがちなトピックなので、必要性が低くなる。これを「SDGs」と「地域教育」として広く捉えていく事が大事だ。

つまり「観光教育」は「地域教育」に繋がるのだ。

「観光」を通した学びはその地域の特性を「リスペクト」する習慣を養う事にも繋がる。

自分達の地域を知る事は自分達の地域を活かして「自立していく力」を養う事にも繋がる。

「観光」は地域の「光」を「観せる」産業であり、あくまで地域住民の暮らしを良くするための「手段」なのだと認識してもらう事が必要だ。

「観光」を知る事は「地域」を知る事に繋がり、その事は「地域作り」や「人作り」にも繋がるのだ。

そんな「観光教育」の中で地域の特性を知る手段として「シュノーケリング教育」を取り入れていくのだ。

そうする事で主体的に自分達地域の事を自分達自身で考える事が出来る。

本質的に「自立した」海を楽しみ知ろうとする海の観察者である「シュノーケラー」を作る事が目的だ。

これは地方創生やSDGsにも繋がる面白い取り組みだ。

観光×キャリア教育

「観光」は何もない中で大きな効果を生み出す事ができる「持たざるもの」を救う産業だという。

例えばカンボジアでは戦後の遺産としてアンコールワットが残りそれを利用した観光をする事でいち早く復興を遂げた。自然などの資源も豊富な場所だ。沖縄に似ている。その後は地域が「観光」に対する知識がなくオーバーツーリズムなどで観光地が壊れていってしまったようだ。

だからどんな観光地にさせるのか「観光」とはどういう仕事なのかを地域の人たちが理解しなくてはならない。
だから地域の人たちと色んな事を相対的に見ながらバランスの良いものを一緒に作っていく事が大切だ。

そのためには地域の人たちに対して「観光」に対してのメリットを明確にしていかなくてはならない。「観光」から恩恵を受けているという認識が必要となってくる。
ただそれは一時的なものではなく、中長期的なものでなければならない。

例えば、諸外国での貧困の層へ支援策として食べ物を与えるだけではなく、魚の釣り方を教えて、売り方を教える事で、ビジネスで生活していく事ができるという事を教える支援をしている。地域が自立して自走していける仕組みを作る事が大切だ。

貧困というのはただ低所得の事ではなく、生きるための何かを欠いている事だ。

貧困や弱者が自立できるようなビジネスを生み出す力が「観光」にはある。

「観光」はこのように「キャリア教育」にも繋がる。

世界の観光の潮流とは

そんな大きな可能性のある「観光」がコロナ禍で無価値だと追い詰められた

そこで世の中のニーズは何かという事を考える機会が増える。
同時に「観光」に対する社会問題や課題も考える機会が増える。

「観光」の必要性やあり方を考える際に「日本の観光」の歴史を紐解くと日本の観光は昔から「迷惑産業」と言われているようだ。オーバーツーリズムなどの「観光公害」もそう呼ばれる要因の一つだ。

それは日本の昔からのことわざがそれを表しているように思える。「旅の恥は掻き捨て」ということわざだ。
旅先では知っている人もいないし、長く滞在するわけでもないから、恥をかいてもその場限りのものであるので何をしたって大丈夫というようなとても悪しき風潮だ。

無責任な旅の楽しみ方では旅の仕方や旅を提供する側も無責任なものにしかならない。

ただこれが昔からの日本での旅のとらえ方であるの事は間違いない。

その理由としては昔の日本人は実は普段からミニマニストでしっかりと学び誠実に生きていた。だから昔の日本人にとっての旅は羽目を外せるいい機会であり、学ぶ機会ではないという事である。そのDNAを今も引き継いでいるのが日本の観光スタイルなのだ。

ただ世界の潮流は変わっていっている。

ラーニングツーリズム(学習要素の高い観光)、リスポンシブルツーリズム(地域の人や環境に敬意を持ったツーリストを作る観光)、ローカルツーリズム(地域の伝統的なものを追体験するような観光)、コミュニティーツーリズム(地域の人たちが主体となり作る観光)というものもキーになるっていくだろう。

旅慣れた経験値が上がった人達は、責任をもった旅をしようと地域に対する影響や繋がりを重視する傾向を強めている。旅行者にも責任があるという考え方だ。
地元と旅行者が地域の価値を共有する事が重要になってくる。

こうやってつまりは観光公害などの社会問題を解決する手段として「様々なテーマ性のあるツーリズム」は、社会問題を解決すると同時に旅行者に対するニーズも満たしていくソーシャルビジネスとなるのだ。

バランスよく地域住民の生活を圧迫しないものや仕組みを地域の人たちと一緒に作っていく事が持続可能な観光を作っていく。

世界と沖縄の観光の未来

沖縄の観光産業は「伸びしろ」のある成長分野だと言われている。

「旅で世界は変えられる」

コロナ禍の今も、世界の観光関係者はこのような意識で「観光」に向き合っている
こうやって掲げるものの大きさの違いで努力する力も変わってくるのだと思う。

だから世界の人たちが考える観光の意義を感じながら地元に対してその意義を伝えアプローチしていく事が大切だ。

地元の子供達に「海の教育」と「海の観光教育」を支援する事は、本質的な「地域教育」を支援する活動だ。

これが最終的には地元の人たちの「観光」に対する意識を変える事に繋がる。「マイクロツーリズム」として新しい市場の開拓に繋がるのだ。

また地域が主体となった観光は、高付加価値な質の高いコミュニティーツーリズムとして県外の方へ提供していく事にも繋がる。

こうやって地元に対する貢献は実は新しい仕事を生み出す仕事にもなっていくのだ。

グローバルな視点で考えローカルに行動していくという
これがSDGsでいう所のまさに「グローカル」な取り組みだ。

だから観光の「平準化」と「特別化」は繋がるのだ。

一見すると対局しているように見えるものだが、ここは繋がりがあり、かつ同時に解決していく事ができると考える。

県内に対しての「観光教育の提供」により「平準化」を図る事は、県外に対しての「質の高い観光の提供」という「特別化」に繋がる。

これは、本質的なSDGs達成に貢献できる観光だと感じる。沖縄の観光を変える未来を作る活動だと信じてコツコツと楽しみながら頑張ろう。

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