私の中の小さな少女に出会う~内笑瞑想の旅~
最近、好んでやっているセルフワークがある。
それが内笑瞑想。
英語で書いたら inner smile 瞑想。
自分の内臓に向かって微笑みを向けて瞑想します。
微笑みを向けるとは私が長年、受けて学んでいる
野口整体の愉気にも通じます。
愉気は天心のぽかんとした気持ちで
自分や相手に気を向けること。
内笑瞑想は、そこに微笑みを付けて
自分の内臓に気を向けることです。
具体的には内笑瞑想は
肝臓・心臓・脾臓膵臓胃・肺・腎臓の
それぞれに微笑みを向けます。
さらには
・肝臓 「親切」
・心臓 「愛」
・脾臓 膵臓 胃 「公平さ」
・肺 「正直」
・腎臓 「優しさ」
この性質を意識して微笑みます。
言葉に書くと難しそうだけど、
やるとたった5~10分でできるワークです。
これをしてから・・・
他人のさまざまな面をOKと思えるように、
少しづつですが、なれるようになりました。
「あの人のココはキライ」
「あの人のココはダメ」
「あの人のココには勝ってる」
今までの私は
他人にこんなダメ出しやマウントをしながら
その人らしさや美徳を切り捨ててきて
それを中々やめられないと感じていたのですが…
この瞑想をしたら
他人のさまざまな面を自然に少し認めるようになって
かつその多面性の美しさに気づけるようになってきたんです。
これは他人と同じように自分の内面も
さまざまに切り捨ててきたこと。
他人にも自分にもそれでは、
内面の平和も
現実社会の平和も
どちらも、なかなか得られないよね。
それが内笑瞑想をすることで
自分はたった1つの存在ではなく
ざっくり5つの内臓があって
それぞれに性質があることを学ぶ。
そしてそれに微笑みかけていると、
自分自身が複数の性質の集まりで
たった1つの性質には、なれっこないこと。
なったとして、そこに幸せはないこと。
それは過去にも指摘を頂いたところだったんだけど
今、ジワジワと自分の感覚としてつかめるようになってきた。
そして今日、授業のワークでみんなで瞑想をしたら・・・
峠の道のぽつんとした小屋に
小さな女の子が住んでいるイメージが湧いた。
それは孤独でも心満ちた少女の姿だった。
自分の中で「この子だったんだ」という強い静かな感情が湧く。
失って、失ったことも忘れてしまっていて、
でもどこかで大事な子だったと思っていた人。
その少女が孤独でも心満ちているのは、
少女は世界の神秘を知っているから。
自分のタオを知っているから。
その子に内笑瞑想をして自分の中に
ぽつんと変わらない姿を見つけた。
それは小さくてとても静かだけど
すごく大きな喜びだった。
道を踏み外してばかりの自分だった。
でも、この子にまた会いたい。
自分にならずに誰かになろうとしたり
自分を切り捨てたりしないで
自分のタオをこの子のように
小さなともしびと共に歩いていきたい。
旅行が好きで
いろんなところに行ってきた。
でも、
本当に行きたい所は自分の中にある。