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「成長したい」への違和感

学生が発する言葉の中に違和感があるものがいくつかあるのだけれど、そのうちの一つが「成長したい」という言葉だ。

もちろん悪いことじゃない。だからこそ、面と向かって否定することも出来ない。逆に20歳くらいで「もう成長しなくていいや」と本気で思われてしまうとそれはそれで「ちょっと待って」とも思うかもしれない。

人によって事情も性格も異なるので、その人それぞれの「成長したい」があると思う。実際、その言葉を聞いても違和感がない人もいる。

では、違和感の正体は何なのか、ということなんだけど…。

多分それは、この「成長」というものは手段であって然るべきなのに、目的になっているケースなのかもしれない。

目的になってしまうと、それは強迫観念じみてきて、「成長したい」は空中分解してしまう。で、バラバラになったものを追いかけて疲れちゃう。

また、「成長」が目的になっている時は、自分に意識が集中しすぎて、自分以外の世界とのアクセスが不全になっているようにも思う。

どんな環境にそう思わされているんだろう。

もっと力を抜いてもいいのにな。

毎日の暮らしが生む轍のようなもの、じゃないのだろうか。

「成長」とは。



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