「おめでとう」「ありがとう」(詩、ポエム)
「おめでとう」の言葉を発する度、心が苦しくなる時がある
おめでたいこと、幸せなこと、良いことに対しての言葉だから、こんな風に痛くなるのはおかしいし、間違っている
だから「おめでとう」と、笑って伝える
もちろん、ただ発しているだけではない
祝いたい気持ちだってあるし、少なくとも、本当に良かった、幸せなんだなと、感じる心だってある
だけど、やっぱり片隅に、この変わった心もあることは確かなんだ
羨ましいのかと問われれば、そうなのかもしれない
幸せになんてなれないと、幸せになってはいけないと、幸せなんて願ってはいけないと、幸せなんて望んではいけないと、自分の前に設けた大きな壁の向こう側で、笑って過ごす人たちのことを、羨ましいと思わないことはない
自分だって、壁の向こうに行けたんだ
壁の向こうにいたはずなんだ
でも、今となっては、そんな記憶すら薄れて、壁の向こうのことなど、忘れてしまった
この大きな壁に囲まれて生きることが、普通だと思うようになってしまった
壁を登ろうとも、壊そうとも、消そうとも思わなくなってしまった
ここが自分のいるべき場所なんだと、思ってしまった
別に壁の中にだって、いいことも、楽しいことも、幸せなこともある
だけど、不意に壁の向こう側の声が聞こえてくると、酷く惨めになる
自分以外、みんな壁の外にいるからだ
外へ連れ出してくれる人を待つのも、とうの昔に諦めた
一生、この壁の中で生きていく覚悟だってした
なのに、何故目からあふれるものは止まってくれないのだろうか
まだ何かに期待してしまっているのだろうか
全部を捨てて、壁に引き籠って、何も望まない自分を苦しめるのは、一体何なのか
こんなものを生み出した神様に、「ありがとう」なんて言えるだろうか