SOUL TWO SOUL 後編 その1
SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 上曽根愛子 その3
山上達郎氏のインタビューが終わると私はまっすぐレコード屋に駆け込んだ。達郎氏がインタビューの最後に言った一言が引っかかったせいだ。KIYOSHI YAMAKAWAのアルバムはレコードを聴かなければわからない。CDをちょろっと聴いただけではKIYOSHI YAMAKAWAの音楽なんてわからない。達郎氏が冗談めかして言ったのはそういうことだった。どうせ冗談なのでそのままやり過ごすことは出来た。だけど私は氏の口ぶりに所詮は女的なものが無意識に出ているのを感じてしまった。私は本気でKIYOSHI YAMAKAWAの歌に惚れ、大げさでもなんでもなくライター人生をかけてその人生を追っている。バカにされてなるものか、よし!KIYOSHI YAMAKAWAのレコードを買って聴いてやろうじゃないか!そう思ってレコード屋に駆け込んだ私を待ち受けていたのは、愛とかでは決して叶えられない現実というものの厳しさだった。
KIYOSHI YAMAKAWAのレコードはたしかにあった。私の愛する『SOUL TWO SOUL』も『アドベンチャー・ナイト』もあった。しかしそれらのレコードは壁に飾られ、とてもじゃないが手持ちのお金では買える値段じゃなかった。ああ!どうしたらいいのだろう!見ると私の周りにも恨めしそうに壁のレコードを見ている人たちがいる。彼らはレコードの値段を見るなりため息をついてその場を離れる。しかしその中にいつまでもKIYOSHI YAMAKAWAのレコードを見ている若い男がいた。おそらく私より年下だろうその男の子は一心にKIYOSHI YAMAKAWAのレコードを見ていた。私は彼に同士みたいなものを感じてその子に声をかけた。
「あなたもKIYOSHI YAMAKAWA好きなんですか?」
突然見知らぬきれいな(おいおい!)お姉さんから話かけられた男の子はビクッと震えて私を見ると、声を震わせて答えた。
「あ、あ……好きですけど……それが何か?」
私は、別にあなたをパクリと食べるわけじゃないのよ、と彼を安心させるために必死で愛想笑いを浮かべてもう一度彼に話しかけた。
「レコード高いですよね。私KIYOSHI YAMAKAWAのレコード買いここにきたんですけど、値段見てこりゃダメだって諦めました」
そうやって話したら男の子は警戒心が解けたようで、私に向かってフランクに話しかけてきた。
「ああ……そうなんですか。俺なんか大学の帰りに毎回ここに来てますよ。俺KIYOSHI YAMAKAWA『アドベンチャー・ナイト』欲しくてここだけじゃなくていろいろ廻ったんですけど、結局どこもなくて……。今の時点でレコードあるのこの店だけなんてすよ!今このレコード買うために必死でバイトしてるんですよ。そのためにここに来てはレコードがまだあるか確認してるんです。なんでもついこの間まではKIYOSHI YAMAKAWAのレコードは100円コーナーの常連だったみたいなんですけど、ブームになってから急に値段が跳ね上がっちゃったみたいですよ。こんなバカ高いレコードを買う人間なんてそうはいないし安心はしてるんですけど。でも正直に言うとこんなレコード一枚買うために必死こいてバイトしてる自分がバカバカしくなりますよ。どっかの店の100円コーナーに『アドベンチャー・ナイト』置いてねえかなぁ~!」
「そうだよね!」
「あっ、でもこの間ミアミス見たいのはあったんですよ!俺あるレコード屋でKIYOSHI YAMAKAWAのレコード見つけたんです。それで高い金出して買ったら中身が全く違ってたんですよ!なんかひっでえ歌謡曲みたいなやつで。で、レコードのレーベル面見たらそっくり同じスペルでKIYOSHI YAMAKAWAって印刷されてる。それで何だこりゃって思って翌日レコードに駆け込んだんですけど、来てみたらそのレコード屋、昨日で閉店したとか張り紙出してて……。まったくムカつきましたよ。ムカつきついでに中身はフリスビーして割ってやりましたけどね!」
「それはちょっと気の毒だね」
「俺も正直なんでKIYOSHI YAMAKAWAにこんなにハマっているのかわかりませんよ。だって俺音源もロクに聴いてないんですよ。CD持ってないし。まあKIYOSHI YAMAKAWAのパチもんみたいな奴は嫌になるぐらい聴かされてるんですけど。さっきのレコードもそうだけど、シティポップの帝王とかいうやつ」
シティポップの帝王?私は達郎さんがインタビュー中にその究極にダサいキャッチコピーのことを言っていたのを事を思い出した。そういえばそのシティポップの帝王のなんとか川キヨシとかいう人はKIYOSHI YAMAKAWAと同じ事務所だったはずだ。そしてその事務所には日本歌謡曲界を代表する大御所の後川清がいて、彼は一時期KIYOSHI YAMAKAWAとそのシティポップの帝王のなんとか川キヨシでトリオを組んでいる。しかし私にとって完全に専門外の分野だし、どうやってコンタクトをとっていいかすらわからない。だけどKIYOSHI YAMAKAWAのすべてを知るには後川清は絶対にインタビューしなくてはならない。彼を避けてはKIYOSHI YAMAKAWAのすべてを知ることは出来ないのだ。
私は男の子にお別れの挨拶をすると編集室に戻り、編集長に後川清にインタビューをしたいと希望を伝えた。KIYOSHI YAMAKAWAを知るためには彼の事務所の先輩であった後川清のインタビューがどうしても必要なのだ。だが編集長も歌謡曲の世界は知らず、二人で悩んだ末、とりあえずメールしてダメだったら電話で対応しようということになった。その相談のついでに編集長からあることを教えてもらった。なんでも御茶ノ水にレンタルレコード屋さんがあって、そこではプレミア物のレコードが一週間レンタルできるそうだ。
それを聞いた私は仕事が終わるとまっすぐレンタルレコード屋さんに駆けつけてKIYOSHI YAMAKAWAのアルバムを探した。案外すぐ見つかった。KIYOSHI YAMAKAWAのレコードはここでもやはり壁に飾られていたが、レンタル価格は通常のレンタルレコード価格の二割増しぐらいで決して借りられない値段ではなかった。それでも出費はかさんだが、しかし愛するKIYOSHI YAMAKAWAのためにこれぐらいのことは出来なくてどうする。私は店員に向かって壁のKIYOSHI YAMAKAWAのレコードをすべて借りたいと言い、そして会員証を作って代金を支払うと、袋に入れてもらったKIYOSHI YAMAKAWAの五枚のレコードを持って家に帰った。
家に帰ってジャケットからレコードを取り出した途端、年季の入ったポリ塩化ビニールの匂いがツンと鼻を突き刺した。その匂いは私にKIYOSHI YAMAKAWAが生きていた当時の雰囲気を想像させて、何故か懐かしい気分になった。そしてレコードをプレイヤーにかけると、いきなりKIYOSHI YAMAKAWAのボイスがCDよりも遥かにダイレクトに私の耳に届いた。彼のボイスはCDよりも遥かに生々しく人間の熱いうめきを感じさせる。私は彼のボイスを聞きながら、『ミュージカル・マッサージ』『セクシャル・ヒーリング』などソウルの名盤のタイトルを思い浮かべていた。彼のボイスはまさにミュージカル・マッサージであり、セクシャル・ヒーリングだった。私はKIYOSHI YAMAKAWAの熱く激しく、そして優しいボイスに一晩中愛撫されていた。
翌日、私は一晩中セックスした後のような気だるい気分で目を覚ました。そして虚ろな目で何故か隣に誰かいないかとベッドを見た。しかし見てもそこにはKIYOSHI YAMAKAWAのレコードがあるだけだ。私は頬を叩いてベッドから抜け出してシャワーを浴びた。そしてさっと着替えてバッグを持つと、仕事場に向かって駆け出した。KIYOSHI YAMAKAWAの取材に行くために。
編集部につくと編集長から呼び出され、昨日私が送ったはずの取材要請のメールが相手方に届いていないと言われた。なんでもホームページの更新自体が10年も前の事らしく、アドレス自体も間違って入力されているかも知れないと言うことだった。
「まあ、古くせえ演歌の事務所だし、PC扱える人間なんかほとんどいねえみたいだから、もう電話で対応するしかねえよ。お前電話かけろ。だってこれはお前の仕事なんだから責任を持ってやり遂げろよ!」
そう編集長にハッパをかけられた私はこれもKIYOSHI YAMAKAWAのためと思い、震える手で受話器を手に取って電話をかけた。なんと言っても相手は芸能界の大物後川清なのだ。インタビューすると言っても何から話を切り出していいか分からない。私は話せばわかるという2.26事件で殺された政治家の言った言葉を思い出し、緊張しながら相手が出るのを待った。しばらくすると相手が出た。野太い声の男だ。私は受話器を持った手が震えるのを押さえながら用件を言った。すると、電話口の相手はいきなり怒鳴りだした。
「ああん?いきなり電話してきたと思ったらインタビューさせろだあ?お前、誰に向かって話してると思ってるんだゴラァ!お前なぁどこの雑誌のもんだ!後川さんに挨拶するんなら菓子ぐらい持ってくるのが常識じゃねえか!ああん?音楽サイトのSOUL MACHINE?なんだそりゃ!で、その韓国機械さんが何のようなんだ!えっ、キヨシヤマカワ?何だソイツは!昔うちの事務所にいたぁ?知らねえよバカ!なんで後川さんにわざわざそんな奴の事聞くんだゴラァ!」
けんもほろろの対応だった。私は一方的に相手に押され、ずっと相槌を打つしかなく、やっと向こうの話が終わってのでこちらの言い分を説明しようとしたら突然電話が切られてしまった。さすがにいきなり電話したのはまずかったかもしれないと今では冷静に考えることが出来るけど、その日の私は悔しくて悔しくて思わず編集部の奥にあるスピーカーの音量を最大にしてジェームス・ブラウンの『セックス・マシーン』をかけまくってみんなに怒鳴られた。その後も後川清とは何度かコンタクトを取ろうと試みたけど、電話にすら出ずガチャ切りされる始末だった。
それからも私はKIYOSHI YAMAKAWAの取材を続け、いろんなつてを当たったが、彼の新情報は何も発見することが出来なかった。唯一彼と会ったことのあるOSIGIクンに再度KIYOSHI YAMAKAWAの事を聞いても、彼はKIYOSHI YAMAKAWAの住所も知らず、連絡もとっていないと言う。そして私に向かってもう一度警告するようにこう言った。『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いるんだ!姉さん気をつけろよ!』
私はKIYOSHI YAMAKAWAを求めて取材を続けているうちに、もしかしたら、彼は蜃気楼のようなもので世間からその身を守っていると思うようになった。私のような特に音楽的な才能のない普通の音楽ファンは、蜃気楼に遮られて決して彼には近づけないのだ。OSUGIクンが一回だけでも彼に会うことが出来たのは彼が才能あるアーチストだったからだ。もしかしたらKIYOSHI YAMAKAWAはこのままみんなにほっとかれるのを望んでいるかも知れない。昔のとある有名な人が言った言葉がある。『芸術は作者が死んでから初めて生き始める』KIYOSHI YAMAKAWAが残したアルバムもそうだろう。KIYOSHI YAMAKAWAは音楽的にはとっくの昔に死んだ人間だが、彼のソウルが詰まったアルバムは今確かに生き始めている。その圧倒的な官能性に満ちたソウルは私たちを幸福に導き、しばしこの世知辛い現実を忘れさせてくれる特効薬になるだろう。私はこれからもKIYOSHI YAMAKAWAを追うつもりだが、今は一旦この連載を閉じることにする。読者の皆さん、本連載に短い間でしたがお付き合いいただきありがとうございます。またどこかでお会いしましょう!
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上曽根愛子の連載はここで終わっている。彼女はその後もKIYOSHI YAMAKAWAの取材は続けると本文で書いているが、しかしそれから彼女の書く記事にはKIYOSHI YAMAKAWAの名前が一言も出なくなった。彼女はそれからいつものように昔のソウルや最新のR&Bについて語り、邦楽について全く触れなくなった。邦楽で触れるのは個人的に交流のあるDJ.OSIGIぐらいのものだ。彼女はKIYOSHI YAMAKAWAのことなど忘れてしまったのか?いや、忘れていなかった。彼女はKIYOSHI YAMAKAWAについてそれからも書いていた。しかし彼女はそれを絶対にあらゆる媒体に載せることを拒否した。これから紹介するのは彼女の特別の許可を得て初めて公開されるKIYOSHI YAMAKAWAとの対面記事だ。みんな心して読んでくれ!
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