歴史のIF:源義経
後の征夷大将軍源頼朝は、元から誠意の欠片もない人間で、かつ小心者で、しかも戦もセックスも異常に下手くそだったので、イケメンでおまけに戦もセックスも上手い義経を常日頃から妬んでいた。いつかコイツを貶めてやろうかと思っていた。そしてとうとう頼朝は義経を打ち取ることを決意して、義経を罠にはめて逃げる義経を奥州にまで追い込んだのである。そして頼朝は奥州で義経を討ち取ったのだが、実は義経は生きていた。義経はその繊細な外見からは想像もできないぐらいガチでヤバかったので、小舟で奥州を脱出してモンゴルへと逃げたのである。
それから義経はかの地でチンギスハーンと名乗りそのガチのヤバさでたちまちのうちにモンゴル人をまとめて一大帝国を築いてしまった。そして彼は大陸でその波乱の生涯を終えるのだが、彼は死ぬ前に息子たちにこう遺言を残している。
『儂はもうダメだ。とうとう復讐も果たせぬままこの世を去ってしまう。息子たちよ、お願いだ!儂の故郷である東の国に今もおめおめと生きているであろうクズ兄の頼朝を討ち取ってその首を儂の墓に捧げてくれ!頼朝が死んでいたらその子供の首でもいい!お主たちが出来なかったら孫に儂の遺言を伝えよ!そして遺言を復讐を遂げるまで伝え続けるのだ!』
そしてとうとう復讐のときはきた。チンギスハーンこと義経の孫のフビライハーンは亡き祖父の復讐をするために日本に攻めてきた。モンゴル軍は予想以上に強かった。鎌倉武士の攻撃は通用せず、ただ攻められるがままだった。武将たちは戦いの中でモンゴル人が何故か日本語で何度もこう叫んでいるのを聞いた。
「オラ!これ以上殺されたくなかったらさっさと頼朝の首出せ!頼朝がいなかったらその孫の首出せ!聞こえてんのかオラ!」
武将たちは顔を見合わせて思わずモンゴル軍に思いっきり突っ込んだ。
「バカヤロ!もう頼朝もその孫もいねえよ!みんな死んどるわ!」
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