フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第十回:フォルテシモとロマンティックの結婚
さて、我らがカリスマフォルテシモマエストロ大振拓人がロマンティックヴィルトゥオーゾの諸般リストを抱えて共に救急車で空港から消えた後、現場はとんでもない大騒ぎになった。大振と共に空港に来たマスコミはすぐさまスマホでググってそこら中の病院に大振と諸般はいるかと電話しまくった。二人のファンや野次馬も同様の行動をしたが、その中の一部の過激なファンはなんと空港警察に大振と諸般の捜索願まで出した。フォルテシモで名高いカリスママエストロとロマンティックヴィルトゥオーゾピアニストの突然の失踪は空港をパニックに陥れるほどの騒ぎになった。空港は大振と諸般の失踪のため業務ができないとの理由を挙げて全ての業務を停止した。しばらくしてマスコミの記者の一人が何故かフェイスタオルで頬かむりをしてこっそり人混みの間を抜けようとした。すると他の連中がすぐさまそいつを摘み上げ誰かが持っていた十字架に吊し上げて拷問を始めた。
「貴様!抜け駆けしおって!大振と諸般の居場所はどこだ!さっさと白状しろ!でないとライターで貴様を火あぶりにしてやるぞ!」
このその場にいた全員の着火したライターを掲げたあまりに本気の脅しに記者はあっさりと屈服し、すぐさま大振と諸般のいる病院の名を白状した。するとそれを聞いたマスコミと二人のファンと野次馬はすぐさま病院へと向かったのだった。もう各々の事情などどうでもよかった。今はただこのフォルテシモなカリスマ・マエストロとロマンティック・ヴィルトゥオーゾピアニストの行方を探すことがすべてであった。ああ!ここまで人を混乱に陥れるとは!この事実だけで世間が二人の共演にどれほど注目していたかがわかるだろう。東西を代表するクラシック界の超新星。そのシリウスの如き輝きを今観なければいつ観るのか。その期待が人を狂わせ、空港を止め、そして大挙して二人のいる病院へと駆けつける事態を引き起こしたのであった。
だがいざ病院の前に駆けつけてみたものの、肝心の大振と諸般の現れる気配は一向になかった。病院は警備員総勢千人超の警備員で四方完全にガードされ、来院や見舞いは大振と諸般のせいで一切停止となり、妻や親や兄弟の死に目にも会えない状態であった。マスコミとファンと野次馬は病院前の周りに畑と空地しかないあまりに殺風景な場所でずっと大振と諸般の現れるのを待っていたのだが、三日三晩待ち続けても二人は全く姿を現さなかった。
それでもファンは大振と諸般が現れるのを待った。待つ過程でファン同士の国際交流が生まれ、その中で今現在交戦中の某国出身のファンの間で友情が生まれた。また今まで人種差別をしていたファンは自分が忌み嫌う人にもピュアに大振と諸般を慕う人間がいる事を知って自らの愚かな人種差別を捨てた。ああ!何ということだ。クラシック界の超新星と呼ばれるこの二人はまさか現代のイエス・キリストでもあったとは。邪な心を持ったファンが改心してゆく様をみて心あるファンは一斉に大振拓人と諸般リストの降臨を願った。ああ!タクリス!(大振拓人と諸般リストのカップリング名)早くわたしたの前に現れて!世界にはあなたたちが必要なのよ!
そのファンの願いが通じたのかついに大振拓人と諸般リストが病院の門に現れた。ファンはイエスの復活のように眩しい光に包まれて登場したは二人を見て驚愕した。車椅子に乗った諸般とその車椅子を押している大振はまさに天国の住人であった。しかも二人とも純白の衣装を着て天真爛漫に笑っていたのだ。ああ!ファンは大振と諸般の仲睦まじさに目が眩んだ。ファンの一人はその天使の如き二人を見て卒倒してしまったほどだ。
しかしその降臨も一瞬で終わった。病院の門前を占拠するファンに気づいた大振がさっと諸般の車椅子をUターンさせて病院の敷地内に戻ってしまったのである。
大振拓人は諸般リストの介護をするまで誰かのために何かをしようとした事はまるでなかった。彼は事実上の皇帝であるから部下に救済を命じても彼自身の手は絶対に汚さなかったのだ。だが今大振は率先して諸般の身の回りの世話をし、しかもそれに喜びさえ感じていた。彼の諸般を労り想うその感情はどこか恋に似ていた。恋、そう恋。我らがフォルテシモ指揮者大振はあまりにモテすぎるが故に恋する人間の自然な感情を身につける事が出来ずに生きてきた。彼にとって女は召使と一緒であり、ああせいこうせいで動くロボットでしかなかった。いつかの週刊誌に書かれた大振拓人はマグロ男という暴露記事は全て事実である。彼にとって大半の女はそのような存在であった。確かに大振はイリーナ・ボロソワを激しく愛した。そして彼は今だにイリーナへの未練に囚われている。しかし彼女との愛は自然の愛とは程遠く、まるで彼がかの女のために振った『トリスタンとイゾルデ』のような嵐のような劇的な愛であった。今大振は諸般に対して生まれて初めて普通の少年少女が抱くピュアな恋に似た感情を覚えていた。諸般はその大振の思いを知ってか知らずか、度々自分を見つめる大振を揶揄った。しかし意外にも大振は諸般に対して激昂せず、ただ呆れて笑うのだった。
実際諸般はまるで女子のようであった。とてもロマンティックに髪を靡かせて指をピアノの鍵盤に滑らせるあのヴィルトゥオーゾとは思えなかった。ロマンティックの服を脱いだらそこから天然のヤンキーガールが現れたのだ。彼はヤンキーガールとして大振にわがままの限りを尽くした。諸般は大振に髪を靡かせるために背中につけるロマンティックサーキュレーターが欲しいと頼んだが、大振が買ってきたそれが自分の好みではまるでなかったのでロマンティックに髪を振り乱してブチ切れた。
「違う、これじゃない!こんなのじゃ僕の髪はロマンティックに靡くわけないよ!」
だが大振はその諸般のわがままにさえ怒らなかった。それどころか謝罪までしたのである。彼は真心を込めてすまなかった。今度はお前に似合うサーキュレーターを見つけるよと謝った。彼が他人に対して心から謝罪したのはこれが初めてだった。
暖かい日に病院の敷地内を二人で散歩をしたとき、すれ違った看護師が振り返ってまるでハリウッドスターとスーパーモデルのカップルみたいだと小声で言った。そのヒソヒソ話を耳にした二人は恥ずかしさのあまり思いっきり顔を赤くした。
「ねぇ、僕たちパートナーだって思われているよ?」
「バカ者!なぜ俺が貴様とパートナーにならなきゃいかんのだ。俺たちは男同士ではないか」
「それでも嬉しい……」
大振はその諸般のヤンキーガールに中に隠されたヤマトナデシコの如き恥じらいを見て思わず赤面した。
「バカ者!人をからかうでない!」
ああ!この共に恋に破れた二人の男はこのだだっ広い畑ばかりの世間から隔絶された場所で少年少女に帰っていた。共にクラシックの超新星。未来の巨匠ともてはやされ休む間もなく演奏してきた二人。その二人が今互いに天才の仮面を外して素顔で接している。ああ!こんな二人を見たら二人を誰だって二人をそっとしてあげてと思うだろう。だが残念な事に天才として生きていかねばならぬ二人にはそんな猶予などなかったのだ。
諸般リストの体調は大振の愛情に満ちた介護のおかげでみるみるうちに戻っていった。枯れ木にしか見えなかった諸般の体はロマンティックな白樺の木に戻りつつあった。諸般は歩く事が可能になり病院の仲をあちこちと歩き回れるようになっていた。大振はそれを喜んだが、しかしその一方で不安になった。諸般は入院中一度もピアノに触れようとしなかった。それどころか演奏会の話をする事を極端に避けた。大振はこれを最初は病気で弱っていてピアノを弾く体力がないせいだと考えていた。しかし諸般は完全に動けるようになった今もピアノに触れようとしない。大振は諸般とのコンサートが間近に迫っている事をふと思い出し一刻も早く稽古を始めねばと焦った。
大振はいつものようにお口あーんと甘えてくる諸般に向かって病気はほとんど治ったのだからピアノの稽古をせぬかと言った。しかし諸般はピアノという言葉を聞いた途端顔をこわばらせ頑として首を横に振った。
「ピアノを弾けだって?なんてことを言うんだい!今の僕にピアノなんて弾けるわけがないだろう!」
「何故ってお前はピアニストだからではないか!ピアニストならピアノを弾くのは当たり前だろう!」
「ああ〜!君まで僕を苦しめるのか!今ピアノなんか弾いたらホセに毎夜ロマンティックに回された日々が思い浮かんで僕を発狂させてしまうじゃないか!お願いだよ!二度とピアノの事は口に出さないでおくれ!」
ああ!諸般の病はまだ癒えていなかったのだ。ホセに毎夜ロマンティックに回されていた日々。その恋人の裏切りがこれほど彼を苦しめるとは。大振現実から逃げようとする諸般に自身の失恋を重ね、痛ましい思いで彼を見ていた。大振もイリーナにさられてしばらくこのような状態であった。度々クラシックもオーケストラも全て投げ捨てたいような衝動に駆られた。コンサートの時はいつも逃げ出したい思いを抑えながら指揮棒を振っていた。だが大振は見事そこから立ち直った。イリーナは今もなお彼を苦しめるが、彼はその絶望を乗り越えるにはクラシックをやり続けるしかない事を悟り、そして見事絶望を乗り越えたのである。それに引き換えこの男はと大振はピアノを弾きたくないと子供のように駄々をこねる諸般に怒りすら覚えた。この甘ったれめ、所詮こいつもバカメリカン。子供のころから人口着色料のキャンディーをたっぷり嘗め回してきた連中。こいつを無理やりピアノにくぎ付けにして一から芸術の厳しさを叩きこんでやりたい。大振は甘ったれの諸般に叩きなおしてやろうと拳を握りしめた。だが、大振は目の前の涙に濡れる諸般を見て拳を下ろした。いや、だめだ。このロマンティックなまでに絶望に沈んでいるこの男にそんな事をしてはだめだ。諸般に今必要なのは優しさだ。天国から差し伸べる手だ。俺がこの男に手を差し伸べねばならないのだ。大振は諸般に手を差し伸べた。
「諸般、この手をとれ」
諸般は大振が神々しく見えた。その姿は闇を照らす一閃の光であった。だがその光は失恋のショックで現実から逃げてしまった彼を呼び戻すには不十分であった。
「でも、でも僕はダメだよ。僕は君みたいに強くないんだ。この諸般リストはちょっとチカラを入れたらポキリと折れてしまう繊細なほどロマンティックな小枝なのさ。僕はもうピアニストなんかじゃない!もう何もできないんだ!」
「バカヤロウ!」と大振は諸般に向かって叫び、そして彼を熱く抱擁した。
「なんて甘ったれ野郎なんだ!全くお前は俺がいないと何も出来んのか!何が僕はピアニストじゃないだ!なにがもう何もできないだ!俺がいるじゃないか!俺がお前を苦しめている過去を残らず消してやる!さぁ、俺と共に立て!俺とお前の協奏曲で過去なんか吹き飛ばすのだ!」
諸般は大振に強く抱かれて恍惚となった。彼なら自分を絶望から救ってくれると思った。ああ!言葉にならない感情は涙となってナイヤガラの滝のように流れる。諸般は大振に抱きついて激しく号泣した。その諸般を抱いていた大振もまたこの哀れなるロマンティックな子羊を思って号泣した。ああ!この二人の号泣の二重奏はどれほど病院を震わせただろう。病院内のあらゆる医療機械は故障し、軽病患者も重病患者も入院者は全員危篤状態に陥ったが、二人の守護神たる音楽の神の計らいで何とか命だけは食い止めた。