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東京都美術館エゴン・シーレ展を見て

 以前記事でも書いたのですが、私はとにかく美術鑑賞能力が絶望的になく展覧会で美術作品を見てもあまり感動できない人間であります。

 だけどそれにもかかわらず結構展覧会には行っているんです。伊藤若冲展も行きましたし、故宮博物館展にも行きたしたし、ミケランジェロ展にも行きましたし、フランシス・ベーコン展にも行きましたし、バルテュス展にも行きましたし、その他有名な芸術家の展覧会にも行っています。しかしその理由は結局のところ本物をこの目で見たいという非常につまらない、ありきたりな理由でなんですね。

 まぁ、そんな私ですが昨日東京都立美術館で四月までやっているエゴン・シーレ展に行って来ました。

 私エゴン・シーレは非常に好きな画家でして今回の展覧会も本当に楽しみにしておりました。やっと画集や本に載っていたあのシーレの本物が見れる。そんな期待を胸にウィーン分離派なシーレーっとした気分で都立美術館に行きました。駅を降りて都立美術館まで上野公園を歩いたのですが、やっぱり日曜だからかやたら人が多かったです。私は展覧会も人が多かったら嫌だなぁ、でも意外とチケット売れてないらしいと噂を聞いていたので、もしかしたら半ば独占状態でシーレ見れるかもと、不安半分期待半分で美術館に入りましたが、見事に不安の方が的中してしまいました。館内にはやっぱり老若男女様々な人たちがシーレ目当てに大挙して駆けつけていたのです。展覧会に入ると早速絵の前に人だかり。シーレを独り占めにしたいという私の願いは見事に砕け散りました。だけどせっかく来たのだからとにかく全部見るだけ見なきゃと思って人並みをかいくぐって人にぶつかって謝りながらとにかく展示されている作品を全部見ました。

 結論から書いちゃいますが、大満足でした。この展覧会はシーレの他にもクリムトやココシュカなどウィーン分離派の芸術家の作品が展示されていたのですが、その中にも結構有名な作品が展示されており、事前にそれを知らなかった私はこの予想外のサプライズに少し感激しました。勿論シーレの作品も『ほおずきのある自画像』などの代表作が目白押しで私にとっては非常に満足のいくものでした。SNSではシーレ自身の作品が少ないとの意見もありましたが、私にとっては充分すぎるぐらい充分です。

 展示の並びはカタログとかを見ないで回ったので、ざっくりとしか把握していないのですが、まずシーレの作品が年代とテーマごとに分けられて展示され、その合間にクリムトやココシュカ他ウィーン分離派の面々の作品が展示されているような感じでした。ココシュカの『ピエタ』なんてメイン級の作品もありました。

ちなみに一階のシーレの風景画の展示エリアは撮影可能。こんな風にバシバシ撮ってやりました。

 あとはシーレでお馴染みの女性のヌードデッサンを集めたコーナーがありました。それらは真っ暗な部屋に展示されていましたが、残念というか安全というかあまり露骨な作品は展示されていません。というより他の裸婦画より布面積がだいぶ大きい!

 というわけで私はシーレと他のウィーン分離派の芸術家たちの作品を観て回ったのですが、観てまずビックリしたのか。展示されているシーレの作品が画集やその他の雑誌で見る写真と全く印象が変わらなかった事です。つまりコンビニで春あたりに限定発売されているAFURIというお店のカップラーメンが実際の店舗で出されているものと全く同じであったという体験に近い衝撃でした。

 なんじゃそりゃと思われる方が大半だと思いますが、私にとってはそれがすごい衝撃だったんです。冒頭で書いているように私は美術鑑賞能力が極端に低く本物を見てもこれだったら写真の方がいいんじゃないかと思ってしまう人間です。写真は当たり前ですが見栄えのいいように撮られているわけですから。しかしエゴン・シーレだけは写真と印象が全く同じであった。勿論写真では筆の跡とか細かいものは確認はできません。しかしそれでも写真で見た時に感じたシーレ作品の印象と、本物を見た時に感じた印象は寸分狂わず同じでした。う〜ん、実に不思議だ。やっぱりこれはシーレの魔に囚われてしまったせいなのか。

 さてシーレ作品を見てから一日経って改めてエゴン・シーレを見た印象をまとめると、やっぱりシーレは特異な画家で師匠のクリムトや兄弟子かな?のココシュカ。あるいは彼が影響を受けたらしいゴッホともまるで違う画家だと感じました。今回の展覧会ではそのクリムトやココシュカも含めたウィーン分離派の芸術家の作品されているから見比べてみるとハッキリと違いがわかりました。シーレと他の分離派の画家と画風にはさほど大きな違いはないと思います。勿論シーレにはあの特徴的なまるで静脈か動脈かっていう異様な線ってものがありますが、それだって彼を分離派から隔てるほどのものではないです。画風に関してはやはりシーレはウィーン分離派の末尾に並ぶ人だったと思います。私がハッキリとシーレと他の画家が違うと感じたのは作品の芸術性の提示の仕方の違いなんです。例えばわかりやすい例を挙げればピカソは明らかに自分の作品を芸術として提示している。セザンヌもそう。クリムトやココシュカだってそうです。シーレに一番近いと思われるゴッホも明らかに自らの作品を芸術として提示したでしょう。だけどシーレはそこが曖昧なんです。勿論彼の作品は素晴らしいのですが、どこら芸術と呼ぶには妙な後ろめたさを感じてしまうんです。どこか芸術というより他人のプライベートな日記を見せられているような。まぁあの線のせいでそんな事を感じてしまうのでしょうが。まぁこんなことを思っているのは私だけかもしれません。

 というわけでそろそろこの取り留めのないレポートを終わりにしたいと思いますが、シーレという人は二十八歳という若さで亡くなり夭折の天才と世間で語られるようになりますが、美術史では表現主義に接近し独自の画風を築いた兄弟子のココシュカと違いクリムトの影響から生涯逃れられなかったといわれています。個人的にはシーレの表現はクリムトのネガ版だと思っていて、だけどシーレの場合そのネガっぷりがあまりに突き抜けてしまっているのです。突き抜けてウィーン分離派の底の下の下まで行ってしまったのがシーレの作品だと私は考えています。しかしそれはシーレが若くして死んだから言える事で、もしシーレがココシュカみたいに90過ぎまで生きていたら全く違う話になります。彼がココシュカのように大巨匠となったらどんな絵を描いていたでしょうか。また自分が若き日に描いた絵を見てどんな事を思い語ったでしょうか。

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