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お盆にうどん

 もうすぐお盆だから去年両親と母の祖父の墓参りに行った時の話を語りたい。私の母方の祖父は北関東のとある町に住んでいたが、子供の頃毎年の盆と正月には両親に連れられてその祖父と祖母に会っていた。祖父には田舎に行く度に、また祖母を連れて上京してきた来た時によく遊んでもらったが、私が大学生になった時に病に倒れてそのまま亡くなってしまった。

 祖父が亡くなって何より一番悲しかった事はおじいちゃんの手作りのうどんが食べられなくなった事だった。私はおじいちゃん特製のうどんが大好きだった。両親もおばあちゃんも何故か遠慮して食べず、私とおじいちゃんの二人でパクパク美味しいねって言いながら食べていた。たまにおばあちゃんと母が私におじいちゃんにそんなに気を使わなくていいなんて言っていたけど子供の私は何をどう気遣っているのかさっぱりわからなかった。

 おじいちゃんは亡くなる時私に遺書を遺してくれた。亡くなった後しばらくしてからそれを読んだが遺書には精一杯頑張って書いたんだろうなっていう震える筆跡でおじいちゃん特製のうどんの作り方が書いてあった。

『まず、かけうどんを作れ。麺はシマダヤでもなんでもいい。つゆも白だしならなんでもいい。かけうどんが出来たらどんぶりの上に天かすを富士山ぐらい振りかけるのだ。決してうちのメガソーラーの禿山程度じゃダメだぞ。その次は生姜。生姜は近くを流れる川の石っ頃みたいにピカピカなものを大さじ一杯掬ってうどんに入れるのだ。最後に醤油。醤油は五回まわしでかける。ほれ、毎年お参りに行っている神社があるだろ。その神社にこんな言い伝えがある。室町時代、足利学校に受験しようとした書生が近所の坊主にどうしたら自分は登竜門に入れるのかと問うた。坊主は受験生の問いにこう答えたんだ。『かけうどんに醤油を五回まわしで入れよ。さすればそなたは五回まわしで空を飛ぶ竜となり、登竜門に入れるじゃろう』とな。その受験生は言われた通りかけうどんに醤油をかけて食べたのだが、本当に竜になってそれっきり人間界に戻れなかったというが、それはともかくとして、これでお前の好きなかけうどんは完成だ。今までこのうどんの名は誰にも教えていなかったが、お前にだけは教えよう(いや、教えなかったんじゃなくて単に名付けてなかっただけかもしれんが……)このうどんの名は天かす生姜醤油全部入りうどんという。いいからこの天かす生姜醤油全部入りうどんはワシの形見だ。寂し過ぎて淋しい病気になった時には天かす生姜醤油全部入りうどんを食べてワシを思い出せ。じゃあの。今までおじいちゃんのうどん食べてくれてありがとうな』

 しかしそんな渾身の気持ちで書いた遺言を読んだところでなんの慰めにもならなかった。おじいちゃんの名付けた天かす生姜醤油全部入りうどんはおじいちゃんが作っていたからこそ意味のあるものだった。おじいちゃん亡きうどんなんて食堂の店前のウィンドウに飾られているレプリカでしかなかったのだ。そうして時が経つうちに私はいつの間にかおじいちゃんのうどんの記憶を隅っこに置きやってしまっていた。

 だけど田舎に来ておじいちゃんの仏壇の前で両親とおばあちゃんと母の弟の叔父さん夫婦でおじいちゃんの思い出話に華を咲かせているうちに突然おじいちゃんのうどんの記憶が蘇ってきた。それで私はみんなにおじいちゃんのうどんの事を話したのだ。

「そういえばおじいちゃんが作ってたうどんあるじゃん。なんで知らないけどみんな食べなかったやつ。あれって天かす生姜醤油全部入りうどんって言うんだって。みんな知ってた?」

 私がうどんの事を話した途端にみんな急に口を閉じて一斉にこっちを見た。

「ああ、あれね……」

 とまず母が苦笑いしてコチラをみた。叔父さんは姉ちゃんとその母に声をかけてから私に向かって言った。

「おめさよくオヤジにあそこまで付き合ってくれたなぁ。あんな天かす?そのなんちゃらって不味そうなうどんいっそに啜ってよぉ。生きてる時オヤジが喜んでたべ。おめさがオラのうどん食べてくれたって言っでよぉ〜。ほんとおめさには感謝だべ」

「ああ、くわばらくわばら!おっとうもあんな不味いうどん食ってなきゃ早死にするごたなぁなかったべよぉ。情けねぇ話すだべ」

「ちょ、ちょっと!みんなおじいちゃんのうどんにそんな風に見てたわけ?それじゃおじいちゃん浮かばれないじゃない!みんなに食べてもらいたかったのにそんな反応されてさ!一度ぐらい食べてあげればよかったじゃない!」

「だってどう見たって不味いうどんだべよ。そんなものたんべなくたって見た目でわかるべよ。工業の廃棄物とそこから滲み出た油みてえな天かす。カビが広がったみてえな生姜。止めはまっくろくろすけの重油みてえな醤油だべ。オヤジのやつよくもまぁあんな肥溜め食べていただべな。全く信じられねえだよ」

「んだんだ。おっとうのやつあの肥溜めうどん。いぐらやめれやめれって言っでも聞かねえで毎晩食べてっからポックリ逝っちまうだよ!」

 母は流石に自分の親と弟の故人への遠慮なしの軽口には乗らなかったが、それでも二人に同調しているように思えた。父と叔父さんの奥さんは空気を読んでまあまあと二人を宥めていたが、やっぱり二人もおばあちゃんと叔父さんの側に立っているように見えた。全くなんでみんな食べもしないでおじいちゃんのうどんを不味いだなんて判断できるんだろう。私は頭に来て立ち上がって台所の方に向かった。

「おいどうすたんだべさ。なんか食べていんならオラが作るだ」

 おばあちゃんがこう言って私を呼び止めた。私はそのおばあちゃんと、そしてその場にいた全員に言った。

「みんな今からおじいちゃんの天かす生姜醤油全部入りうどん作るからそこで座ってて。みんなにおじいちゃんのうどんがどんだけ美味しかったのか分からせてやるわ!」

 こう啖呵を切ったらみんな黙って俯いてしまった。やっぱりみんな生前におじいちゃんのうどんを食べてあげなかった事にどこか罪悪感を持っていたのだろうか。もしかしたら叔父さんとおばあちゃんの行き過ぎた軽口もそうやって笑い話にする事で罪悪感から逃れたかったのかもしれない。そんなわけで私はみんなに天かす生姜醤油全部入りうどんを作ろうと準備を始めたのだが、作ろうとした瞬間自分が天かす生姜醤油全部入りうどんの作り方を何も覚えていないのに気づいて唖然となった。しかしその時突然耳元で誰かが喋り出したのだ。

「おじいちゃんだ。あのな、冷蔵庫の中にワシが昨日買っておいたシマダヤのうどん麺の三個入りパックが二袋あるじゃろ。その隣にあまりものも一個あるじゃろ。それを全て鍋に入れて綿の表面がツルツルになるまで茹であげるのじゃ。うどんが茹で上がったらつゆを白だしで作るのじゃ。これもワシが昨日買ってきておる」

 それはあの懐かしいおじいちゃんの声だった。ああ!いつかの記憶が蘇ったのかと思ったけど、よく考えてみたらそんな記憶は一切なかった。だけど私はその謎のおじいちゃんの言葉でおじいちゃんの遺言を全て思い出して天かす生姜醤油全部入りうどんを作ってしまったのだった。だけどおじいちゃんの言葉のままによく考えもせず勢いでうどん全部茹でちゃったから、麺が一人分余ってしまった。これは後で私がもう一杯食べるからいいとして、とりあえず出来上がったものを一人ずつ運ぶ事にした。

 みんなおじいちゃんの天かす生姜醤油全部入りうどんを本当に不快そうな顔で見ていた。たしかに叔父さんの言った通りどんぶりには浮いた天かすとそこから漏れる油や、カビの生えたような生姜が浮いているし、重油のように醤油が五回まわしでかけられている。パッと見てこんなもの食べられない!って拒絶する人の気持ちも今ならなんとなくわかる。っていうか私はなんで最初っから特に抵抗なく食べれたのだろうか。やっぱりおじいちゃんが好きだったからなのか。みんなまだ箸に手もつけないで苦み走った顔でじっと天かす生姜醤油全部いりうどんを見つめている。私はもう腹が立ってきてお行儀のわるさもなんのそのでいきなり箸をぶっ込んでそのまま天かす生姜醤油全部入りうどんを頬張ってしまった。

 口の中に天かすとうどんを入れた瞬間、あの懐かしいおじいちゃんの味が口の中に広がった。本当におじいちゃんのうどんそのままで自分が作ったものとは思えなかった。一口噛むたびに懐かしさが込み上げてくる。おじいちゃんは遺言で辛い時は天かす生姜醤油全部入りうどんを食べて自分の事を思い出せと書いていた。なのに私はそのおじいちゃんの遺言をずっと無視していた。それはおじいちゃんの死に本当の意味で向き合いたくなかったからだ。だけど私はいつの間にか無意識におじいちゃんの存在そのものを遠ざけるようになってしまった。今こうしておじいちゃんのうどんを食べていてその事が悔やまれる。ああ!あんだけ優しくしてくれたおじいちゃんのうどんをどうして長い事避けていたんだろう。こんなに、こんなにも美味しいうどんなのに!天かすはここの近所の川がどっかで繋がっているかもしれない富士山の雲を思わせるほど白く柔らかい衣でうどんを包んでくれるし、子供の頃ここの近所の川でたまたま拾った翡翠のように輝く生姜はその香ばしさで味に広がりを与えてくれるし、そして五回まわしでうどんにかけられた醤油はまるで神社の竜のようにうどんをたち登らせてくれる。ああ!なんて最高のうどんなんだろうと思って食べ終えると、なんとおばあちゃんたちもうどんを食べ始めていた。

「なんだべさこれはオヤジのやつこんな美味いものまいにつ食べとったんだべか?」

「おっとうはぶきっちょでなんもでけねえ人だったのにこんなうめさうどん作れたのか!この天かす、まるで赤ちゃんのおべべみたいだべ!この生姜は琥珀色の飴玉だ!そしてこの五回まわしでかけられた醤油!もう龍神様だべさ!ああ!おっとうオラが悪かっただべよ!なんもわかってなかったのはオラだべよ!」

「いやおっかあだけがわるかねえべ、オラも悪いんだべさ!オヤジにこんな産業廃棄物みたいなの食えるか?って言ったのオラだからな。ああ!どうすてオヤジが生きている時にこのうどん食べてあげなかったんだべか!オラ自分が情けねえだよ!」

 うどんをあっという間に平らげたおばあちゃんと叔父さんは泣きながらこう言った。泣いていたのは二人だけじゃなかった。お母さんも泣いていた。叔母さんも泣いていた。お父さんは目薬差して強引に泣いていた。そして勿論私も泣いていた。ああ!おじいちゃんやっとみんなが天かす生姜醤油全部入りうどん食べてくれたよ。おじいちゃんみんなを許してあげて。これからはみんなでおじいちゃんの天かす生姜醤油全部入りうどん食べるから。

「いや、わしは奴らを許さんぞ!奴らが許しを請いたくば今すぐ残りの麺で天かす生姜醤油全部入りうどんを持ってわしの墓へ来るようにいえ!」

 再び聞こえたおじいちゃんボイスだった。もしかして怨霊かとゾッとしかけたが、よく考えれば怨霊といっても所詮はおじいちゃんなので怖がる必要はなかった。今聞こえたひたすらコチラをびっくりさせようと涙ぐましい努力の果てに出された声だって妙に上擦って情けなく聞こえた。しかしそれは私だからそう思う事で他のみんなにおじいちゃんの怨霊だと言ったら恐怖のあまり卒倒するかもしれない。特におばあちゃんなんかショック死してしまうかもしれない。だから私はおじいちゃんの怨霊の事は隠してみんなにおじいちゃんの墓参りに行こうと言った。するとおばあちゃんがこう言ってきた。

「墓参りって今からだべか?まだ暑いだべさ。もう少し涼しくなってからの方がいいだ」

「いや、でもおじいちゃんに早く天かす生姜醤油全部入りうどんのお供えしないといけないから。ほら、麺のコシがあるうちに持って行かないとおじいちゃんブー垂れるから。早く行こ?」

「なすてそうせかすだべか。オラ、暑いのはイヤだべ」

「そうだ、おっかあの言う通りだべさ。すかすおめえどすてそんなに墓参り行きたがるだ」

「いや、それは……」と私が言いかけた時、部屋の中にクーラーよりもずっと冷たい冷気が通った。その冷気を浴びておばあちゃんが突然震え上がり私に向かって今すぐに天かす生姜醤油全部入りうどん持っておっとうのところにいくだと言い出した。おばあちゃんもみんなもこの異様な事態に気づいていたのか、みんなして墓参りに行きたがった。

 外に出ると閑散とした光景が広がっていた。おじさんによるとこの村は隣の市に統合されたらしく、そのせいですっかり寂れてしまったという。近くの小学校は今年の入学者が一人らしく、再来年には廃校になるという。私はそれを聞いてもしかしたらこのおじいちゃんの村そのものがなくなってしまうんじゃないかと想像して悲しくなった。

 やがて私たちは墓地の前についた。墓地といっても埋められているのはおじいちゃんだけだ。墓地の管理者もなく、普段は叔父さん夫婦が掃除したりしている。おじいちゃんの墓には丸い墓石が乗っかっていたように記憶していたが、今目にしているものは墓石の上半分がくり抜かれお椀型になっていた。私は叔父さんにこれどうしたの?と聞いたが、叔父さんはわがんねえだと言って首を振った。

「誰がこんなイダずらすたのかまるでわがんねえだ。ここにはわけえのいねえだし、墓石上半分はどこ探すてもみつがらねえしどうすたらいいのがわがんねえだよ」

 私は想像以上に荒れていた墓を見て悲しくなったが、その時またおじいちゃんの声が聞こえた。

「何をちんたらしておるのじゃ!早く天かす生姜醤油全部入りうどんをわしに捧げるのじゃ!はようせい!」

 私はおじいちゃんの声を聞いてすぐに叔父さんに言った。

「あの、もうおじいちゃんの天かす生姜醤油全部入りうどん捧げていい?早くしないと麺伸びちゃうから!」

「いいべさけどおめえなすてそんな急ぐだべさ」

「麺が伸びちゃうからに決まっているじゃない!あのね、叔父さん、おばあちゃん。おじいちゃんは麺のコシに凄いうるさい人なの!麺のコシは天かすと生姜と醤油の旨さを引き立てるってよく言ってたから」

 私はおじいちゃんの墓前に天かす生姜醤油全部入りうどんを捧げた。するといきなり墓石が宙に浮きその下から死んだはずのおじいちゃんが現れた。白装束のおじいちゃんは墓前に置かれた天かす生姜醤油全部入りうどんを美味しそうに食べてまいう〜とか喚いていた。これにはおじいちゃんの怨霊に勘付いていた私もびっくりした。まさかここまで生前の姿そのまんまで怨霊になるとは。おばあちゃんはいればを外したまま固まり、叔父さん夫婦と両親は目玉が飛び出すほどびっくりし、もう墓場は阿鼻叫喚状態だった。だがみんなすぐに我を取り戻し食べ終わったどんぶりを差し出しておかわりをせがんでいるおじいちゃんに向かって全力でこう突っ込んだ。

「お前お盆だからって生きてくんじゃねえよ!さっさと墓の下に帰れ!」

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