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すべてはモノクローム

 過去への追想なんて別にマドレーヌじゃなくたっていい。片付けの最中に押し入れでおもちゃとか服だって容易に追想の材料になる。私の場合それはたまたまブックオフに寄った時に見つけたCDだった。ただ適当に眺めていたCDの均一コーナーのカ行にそれはあった。それを見た瞬間、私の中に紅茶が沁み込んだマドレーヌのように過去が広がって行った。私はその傷だらけのCDを手に取ってすぐにレジに持っていった。そして帰路の電車の中でCDのケースと歌詞カードを交互に見ながらあの頃の事を思い出していた。

 私は、個人的なことかもしれないが、音楽ははやっぱり過去に聴いていた音源で聴きたいと思っている。いくらリマスター盤で音が格段に良くなっても、ハイレゾとかで音がマスタテープに近いオリジナルの音源であってもやっぱり過去に聴いていた音源の方がやっぱり好きだ。どんなに音がしょぼくても、どんなノイズだらけでも、むしろそれだから最高だと思う。その音源が収録される記憶媒体はCDの他にレコードやテープやもしかしたらソシノートなんてのもあるかもしれないが私の世代にとってそれはやっぱりCDだ。CDについてはその耐久性とか、レコードに比べての音域の狭さなどいろいろ指摘されるがそれでもやっぱりCDが好きだ。CDはレコードと違って収納には困らないし、テープのように絡むなんてこともない。そしてネットなんかのサービスのように契約終了である日突然すべてが消える事もなく、音源が聴けなくなったとしてもジャケットだけは手元に残る。別に音源なんてどうでもいいのかもしれない。当時に流れていた音楽を聴いてただノスタルジーに浸りたいだけなのかもしれない。

 家に帰ってゾワゾウした緊張感を感じながら私は何年も使っていなかった埃だらけのコンボに電源を入れてトレーにCDを入れた。やすりのような音がかすかに鳴った後流れ出した音は紅茶に浸され切ったマドレーヌのように私を過去に浸して行った。

「覚えてる?あの嵐の夜のことを」

 不意にそんな安い映画みたいなセリフを言って笑った彼女。覚えているさ勿論。いや、正確にはしばらく思い出す暇なんてなかったけど。でも思い出すと胸が高まってどうにもならなくなる。君と過ごした春夏秋冬が自分の人生で一番の全盛期だったって思うよ。昼も夜も君のことばかり思い浮かべてさ。あの覚えているかい?あの終電に乗ろうとした僕を君がずっと一緒にいたいって改札で泣いて引き留めたことを。しょうがねえななんて言って近くのホテルに泊まって事が終わってからポータブルCDプレイヤーで左右のイヤホン分けて二人でこのCD聴いたんだ。嵐の夜に僕の部屋でこのCDかけながらバカみたいにしたキス。翌朝君は口紅で隠せないほど腫れ上がった唇に驚いて僕にマスク貸してくれって頼んだね。こんな事今更のように思い出すのは僕だけかな。ありきたりの理由で別れた僕ら。あの時僕はこれからはお互い違う道をいこうなんて賢しらなこと言ったんだっけ。君はそれを聞いて泣いていたように思う。思うっていうのはやっぱり人間ってのはどうしても自分の過去を美化しがちなんだよ。だから君の思い出だってとんでもなく美化しているのかもしれない。君にもしテレパシーがあったら今すぐ僕にそれは間違ってるって指摘してくれ。あの頃僕がドヤ顔で音楽や映画で間違った知識をひけらかす度に笑いながら間違ってるって教えてくれたように。君はどこで何してるんだい?多分結婚して高校生かあるいは大学生くらいの子供がいるのかな。僕は今も一人だよ。でもなんとか生きているよ。君と別れてから他の女性と何人も付き合ったけど、みんな上手くいかなかった。彼女たちとは大した思い出もないよ。僕が今まで付き合ってきた女性の中でこんなに泣けるほど思い出すのは君だけだよ。君のため息、君の言葉、君の愛。そのすべてが懐かしくて胸が掻きむしられるんだ。嵐の夜。改札の涙。だけどそんな思い出もいずれどこかに置き忘れるんだろう。

 まだ回り続けるCD。そこから流れてくる曲はあの頃の僕らにとって最高のBGMだった。君との日々と今の僕との距離。断絶。ふと涙に濡れた目で見る窓に映った平凡なまん丸い月。途端に思い出すつまらない日々。そう、すべてはモノクローム 。ただあの頃の君だけがカラフルに輝いている。

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