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文学とジャズ
この間大学時代の親友と久しぶりに会った。道端でバッタリあってしばらく立ち話をしていたら偉く盛り上がってそのままバーに行って互いの近況やら会社のグチやらなんやらそんな事を喋りあったのだ。僕とヤツは驚くほど共通点のない人間で、話の噛み合わない所も結構あったが、それでも妙にウマがあった。僕は文学青年で、ヤツはジャズにかぶれて本格的にジャズドラマーを目指していた。ジャズをそれなりに聴いていた僕はそれを聞いてヤツにボリス・ヴィアンとかビートニクスとかを絡めてジャズを語ったのだが、ヤツは僕の話に全くちんぷんかんぷんでなんの話をしているのかさえわかっていない様子だったので僕は呆れて「お前はいくらなんでも教養がなさ過ぎる。ジャズミュージシャンを目指すんだったらそれなりの教養を身につけなきゃダメだろう。ほらドストエフスキーとかカミュとかああいうグッと重いやつを読んでさぁ」と説教してやった。したらヤツは半ギレしてこう言い返してきたのだ。
「あのな、ジャズは文学じゃねえんだよ。ジャズってのはビートとリズムが全てなんだよ。本読んで必死こいてお勉強したからってジャズを理解した気になってんじゃねえよ。ジャズはビートとリズム感にあとはセンスだぜ。お前のようなガリ勉野郎にはわかんねえだろがな!」
僕らはジャズの事になるといつもこんな感じで対立していたものだ。僕はヤツの文学的な素養のなさに本当に呆れたが、しかし実際にジャズドラムを叩いてライブなんかにも出演するほどのやつの意見だし、ヤツの言うこともも正しいかもしれないと思ったりした。
結局ヤツはジャズドラマーになれず大学卒業後しばらくして親のコネかなんかで某大企業に就職したと風の噂で聞いた。ヤツの話では今では家族も出来て長男は来年国立大を受験する予定だという。しかし実際に会ってこうして話してみてもヤツは全く昔と変わっていないように思えた。確かに互いにそれなりに年を食って老け込んだが、その能天気なまでの顔と口調はガキの頃そのまんまだった。ヤツは昔のように機関銃みたいに喋っていたが、不意に黙り込んでため息をつきだした。僕が気になってやつを見たが、ヤツはその僕に顔を向けグラス片手にしんみりした顔で話し始めた。
「昔、俺お前にジャズは文学じゃねえんだよってアホなこと言ったよな。ジャズはビートとリズムとセンスだって。おまけにアホ呼ばわりまでしたな。俺今になって自分の考えが間違っていた事に気づいたんだ。この間家に帰って来たらうちの長男が台所で分厚い文庫本を熱心に読んでたんだ。俺は何読んでるんだて聞いたらドストエフスキーの『罪と罰』とか言うじゃないか。俺はその時一瞬お前のことを思い出したよ。俺は息子に難しいもん読んでるなって言ってやったよ。したら息子のヤツ偉く真面目な顔で言うじゃないか。『父さん、ドストエフスキーなんて必読中の必読だよ』ってさ。さらに息子は生意気にも俺に説教なんかしやがったんだ。『父さんの好きなジャズミュージシャンだってジャズしか聴いてこなかったわけじゃないんだよ。クラシックだって聴いていたんだ。それに彼らは音楽の他にも文学や美術とかから深いインスピレーションを得ていたんだよ。父さんはそれがわからなかったからジャズミュージシャンになれなかったんだよ』。俺はこの息子の言葉が昔お前が言ってたのと全く同じだったんで驚いたよ。俺は当然頭に来た。このガリ勉野郎が勉強しか出来ないくせにってさ。だけど冷静に考えたら息子の方が正しいんだよな。俺は今までジャズを上っ面しか聴いてなかったんだ。その奥にあるものを聞けなかったんだよ。ドラマセットなんか買えないで代わりにその辺の木とか新聞紙とか誰かが捨てたハードカバーの本なんか叩いていたジャズマンたちの悲しみなんかまるでわかってなかったんだ。バカだな俺は、俺はお前に説教された時にそれに気づくべきだったんだ。なのについこの間までそれに気づかずにいたなんてさ」
こんなヤツは初めて見た。いつもふざけまくっていたヤツなのに今夜は真剣に自分のことを曝け出している。僕はヤツを見て人間って成長するんだなと思った。人生ってヤツは本当に人を変えてしまう。ヤツももう親で、そして我々は人生の半ばを過ぎたオヤジなんだ。いつまでも子供じゃいられないさ。
「そうだ。俺息子に叱られてからドストエフスキーの長篇全部買ったんだよ。昔お前が勧めてくれた五大長篇だっけ?それブックオフの二百均コーナーで買ってさ、片っ端からページ捲って目を通したんだ。したらさ、すげえんだよ。こりゃジャズじゃないかと思ったね。ページを捲る度にシャッフルするんだよ。時々パズドラの強烈な音が響いてきてさ。俺はドストエフスキーの小説に向き合っている間ページを捲っては閉じたりして無茶苦茶ハイな気分になってた。俺は後悔したよ。こんなパズドラみたいな重い音の本があるならもっと早く手にしてればよかったのにってさ」
ヤツのジャズに寄せた青臭い文学語りに少々気恥ずかしさを感じたものの、僕はヤツと真に分かち合えたような気がして目頭が熱くなった。僕はヤツに今五大長篇の何を読んでいるのか聞いた。するとヤツは指を一つづつ上げていき五本数えてから手のひらを突き出してニンマリと笑った。僕はこれには流石にヤツを疑った。五大長篇なんて簡単に読めるもんじゃない。ましてやヤツはついこの間までまともに本を読んでなかった男。僕はおいおい永遠の十七歳もいい加減にしろよ的な口調でヤツにじゃあどこから出ている文庫本で読んだんだと問い詰めた。するとヤツは慌てるどころかよくぞ聞いてくださいましたと余裕のニンマリ面で僕に答えるではないか。
「まぁ、ブックオフで買ったのは新潮文庫版かな?でも本に満足出来なかったからまたブックオフで今度は岩波文庫版を買ったんだ。なかなかに古めかしい固い音したやつでな。歯応えあるよ」
コイツ文学なんてつい最近読み始めたばかりなのに岩波文庫版の米川政夫の翻訳の特徴まで掴んでやがる。なんて読解能力だ。やっぱりこれはジャズを演っていたからなのか?僕はコイツが今までちゃんと本を読まないでいた事を残念に思った。コイツがジャズじゃなくて文学に夢中になっていたら今頃は一流作家、あるいは評論家として活躍していただろうに。
「ドストエフスキーだけじゃなくてカミュの『異邦人』も手に入れたんだ。これはスネアで一見薄い音だけど後に残るような感じだった。最近ヘミングウェイとかフォークナーとかいろいろ買ってジャズのビートが聴こえるか確かめてるんだ。まさか文学にジャズがあるだなんて思わなかったぜ。俺、今更だけどお前に感謝したい。お前の言葉がなかったら俺は多分文学なんか手にすることはなかったんだから」
僕はヤツの感謝の言葉に照れくさくなってそんな昔のことどうでもいいぜ。まぁとにかく老後の楽しみが増えてよかったなと声をかけた。僕らはそれからヤツにたくさんおすすめの本を紹介した。ヤツは昔からは想像できないぐらい真剣な表情でメモまで取り、そして単行本を手に入れた方がいいのかとまで聞いてきた。そして僕らはバーを後にしたが、その別れ際にヤツはあっと声を上げて僕にこう言った。
「今度の週末井の頭公園に来ないか?俺最近そこでストリートライブやってるんだ。今度からラップもやろうと思ってさ。いやぁ文学を手にしてから演奏欲が久方ぶりに出て来てさ。仕事中もライブのことばかり考えているんだ。なぁ絶対に来いよ」
僕はヤツに対して絶対に行くさと言ってさよならを告げた。僕はこの通り義理堅い男だから約束通りヤツのライブを見に井の頭公園に行った。公園に入るとどこからかドラムらしき音が聞こえた。僕はジャズ好きだと言っているがライブとかで実際に生演奏を聴いたことがないので音にかなりの違和感を持ったが、しかしそれは自分がCDの音源でしかドラムを聴いていないからだと思ってドラムの音の方へと向かった。
ドラムの音が出ている所の周りには少し人だかりが出来ていた。僕はこの意外な人気っぷりに少し驚いて確かめてみようと前の人の肩越しからヤツの演奏を覗いたのだった。
ノリノリでドラムスティックを叩いているヤツと、そのヤツが叩いているものを見て僕はあまりの信じがたい光景に卒倒しかけた。なんとヤツが叩いていたのはドラムじゃなくてドストエフスキーとか文学の文庫本と単行本だったのである。ヤツはパズドラでドストエフスキーやらトルストイを叩き、スネアでカミュやジッドなんぞを叩いていた。ああ!しかもドストエフスキーは新潮文庫版と岩波文庫版を使っている!ノリまくりのヤツはマイクがわりに巻いたガルシア=マルケスの『百年の孤独』に向かってこう叫んだ。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!こちら新入荷の本!文庫本から単行本まで一揃え!本なんか読むのめんどくせえとお嘆きのあなた!本は別に読むだけのものじゃありませんよ!見栄に書斎なんぞ設えて飾るのもいいし、本なんぞで見栄なんか張ってもしょうがねえとブー垂れてるあなた!本はこんな風にも使えるんですよ!見てくださいよこのドストエフスキーの文庫本!新潮文庫はなんだかくぐもった湿り気のある音だけど、岩波文庫はシャキッとした固くて乾いた音がしやす!どちらがいいかな気分次第ですが、この二つの音を混ぜるとホントにジャジーな音が叩けるんですよ!カミュにちょこっとヘミングウェイ足しゃ立派なスネアドラムも叩けます!さぁどうですか?十冊セットのドラムスティック付き!今なら大サービスで五千円ですぜ!」
僕はこのラップというよりただの口上が聞こえる中上機嫌のヤツに叩かれまくるドストエフスキーの表紙を見てすっごく悲しくなった。僕はヤツの前に立ってそのドラムスティックを取り上げてからこう叫んだ。
「バカヤロウ何が文学はジャズだ!お前のやってることは本の叩き売りじゃねえか!」