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《妄想実録風小説》サッポロ一番感動物語 サッポロ一番を作った男の一代記! 前編:少年の命を救った奇跡のラーメン

 戦後間もない頃の話である。冬の北陸道の札付市の通りを一人の少年が歩いていた。この少年は北陸道の冬にはまるで似つかわしくない薄い生地の服を着ており、誰が見ても地元の子には見えなかった。道ゆく人もこの少年が気になって彼をチラチラと見、そのうちの誰かが心配のあまり声をかけようとしたが、少年はそれを避けて小走りで逃げたのだった。

 この少年は北関東の田舎から家出して北陸道まで来た。彼の家出の原因は思春期の人間にありがちな人生への迷いであった。成金の息子として生まれそのせいでずっと地元の人間から嫌われていた。だから今まで友と呼べる人間は一人もいなかった。親は受験にうるさく、一流大学に受からなかったらチャーシューにしてやるとのたまうような毒親だった。明るい未来などはなく、このまま親の跡を継いで好きでもない女を押し付けられて不毛な人生を送るぐらいなら死んだほうがマシだと思って家を飛び出して北へと向かったのだった。

 家を飛び出した少年は着の身着のまま裏表日本へと向かい、そこからさらに北へと進んだ。そして本州の最北端の青林にたどり着いた少年は北陸道へ運航する青函連絡船に乗って、ではなく本人が後に語った話によると海辺に浮いていた小舟に乗って渡ったという。この話の真偽は不明であるが今となっては本人含め関係者の殆どが亡くなっているのでもう確かめようがない。とにかく北陸道に着いた少年は自死への決意を胸に札付の街を彷徨いていたのであった。少年は先日玉川上水で心中した太宰治を思い浮かべた。無頼派作家太宰治の名は道端で拾った雑誌で知った。少年はそこに連載されていた太宰治の『人間失格』を読みたちまち彼に夢中になった。彼はこの小説の主人公に自分を重ねて現実に深く絶望したのだった。その『人間失格』を書き上げた太宰治は入水してこの世に別れを告げた。少年もまたこの雪国でこの世からオサラバしようとしている。

 少年は雪の降る札付の街をこの世の見納めと思って歩き回った。あたりは純白の雪景色だ。この僕も死ねば全ての醜さから解放されてこの雪のように純白になれるのだろうか。そうして死のことを考えながら歩き回っていたらいつの間にか夜になっていた。少年はまだ降っている粉雪と肌を突き刺す空気にもう逝かねばならぬと思い最後の晩餐をしようと食堂が立ち並ぶ路地へと入ったのであった。

 路地に入ってしばらく歩いていた少年はふとほんわかとした地元のそれよりももっと甘味のある味噌の香りを嗅いだのであった。少年は立ち止まり味噌の香りの出どころの店を見た。看板には『さっぽろらーめん壱番』と書かれていた。

 少年は最後の晩餐はここで迎えようと決めた。彼はこのまるで母のような味噌を体に入れて死にたい。そう思ったのだ。しかし店に入る前に少年ははたと立ち止まった。田舎育ちの彼はラーメンなど一度も口にしたことはなかった。果たして自分の口に合うだろうか。満足に最後の晩餐を終えれるだろうか。だがと彼は店に向かって一歩足を進めた。こんないい味噌を使った料理が不味いわけがないきっと美味しいはずだ。最後の晩餐に相応しいものであるはずだ。少年は暖簾を潜って店に入ったのであった。

 店に入った瞬間少年は味噌の母の温もりのような香りが全身を包むような錯覚に囚われた。カウンターの奥にいたオヤジはその少年を見て驚いた。少年が雪に覆われて真っ白になっていたからである。

「おい坊主どうしたんでい。お前さん真っ白白スケじゃねえか」

 少年はびっくり顔のオヤジの問いにハッと胸元を見てコートにビッシリ雪がかぶっているのを見た。彼はすみませんと謝り踵を返して店から立ち去ろうとしたが、後ろからオヤジが声をかけてきたので立ち止まった。

「ちょい待ちな!今は店には俺っちと坊主しかいねえんだ。雪をはたきたいなら中でやんな。そこの隅っちょの拭きもんあるだろ?それ使っていいぜ」

 このオヤジの江戸っ子のような気さくさに少年は動揺した。彼は幼い頃から成金の一人息子として恐れられ蔑まれてきた。皆が遠慮がちにしか声をかけて来なかった。皮肉にも死を前にして初めて人の温かさに触れるなんて。少年はオヤジに例をいうとすぐに雪をはたき始めたが、しかしすでに雪は殆ど溶けていた。さすがの雪もこの店の温かさには勝てなかったらしい。雪をはたき終わった少年はオヤジに拭きものを返したが、オヤジはカウンターの椅子を引いて少年を呼んだ。

「ここに座んな」

 オヤジに促されて少年はカウンターの席に座った。彼はもしかしたらオヤジが自分の自死への決意を勘繰っているのではないかと思った。よく考えてみれば雪まみれのまんま街をフラついていた自分みたいな人間が怪しまれないわけがない。彼はオヤジを見て反応を伺った。しかしオヤジは彼に何も聞かずただこう言った。

「ラーメン食いに来たんだろ。何食べるんだい?」

「味噌ラーメンありますか?」

 震えながらの問いであった。これが生前最後の晩餐。そう覚悟しての言葉だった。

「勿論ノ助よ!味噌は俺っちの大得意だい。今すぐ作ってやるから待ってろい!」

 オヤジはこう言ってすぐラーメンを作り出した。少年はカウンターの向こうの厨房でラーメンを作っているオヤジを見て最後の晩餐をここで迎えられてよかったと思った。この遥離れた北陸道で生まれて初めて人の優しさに触れた。それだけでもう悔いはないと思った。その態度からオヤジは自分の死の決意に気づいていないようだ。ならばこのまま食べて立ち去れるだろう。心の中で深く感謝を述べと雪降る死地へと旅立ってゆこう。少年はそんなことを考えながら味噌ラーメンという彼の人生にとっての最後の晩餐を待った。

 そしてとうとうオヤジが少年の前に最後の晩餐となる味噌ラーメンを置いた。少年は目の前に出された味噌ラーメンの香りの温かさに包まれて恍惚となった。ラーメンはキャベツとじゃがいもを軽く炒めたものでその上にとろりと溶けたバターが乗せられていた。少年はこれを見て故郷を思った。しかしそれは彼の住んでいる北関東の田舎ではなく、心のふるさとであった。一通りラーメンを見た少年は恐る恐る箸で麺を挟んで、そして啜った。

 一口啜った時に浮かんだのは札付の街であった。雪が降っているのになぜか温かく感じる。そんな光景であった。少年は味を確かめようともう一度啜った。するとよりはっきりと札付の人情あふれる街の光景が浮かんでくるではないか。ああ!なんてことだろう!このラーメンにはこれまで自分が味あった事のない肉親の愛情があるではないか。少年はこの愛情に溺れたくてさらにラーメンを啜ったのであった。啜れば啜るほどラーメンから愛情が込み上げてくる。なんだろう。この麺に絡みつく味噌は夕焼けの太陽みたいに僕の周りを包んでくれているようだ。このさっぽろらーめん壱番の味噌ラーメンは初めて食べたのに懐かしい味がした。少年はほとんどなくなりかけたラーメンを見て涙が出た。このラーメンをもっと食べたい。最後の最後になって命が惜しくなった。このラーメンを味わい尽くすまでは死にたくない。少年は切実に行きたいと思った。生きてこのラーメンを食べ続けたいと思った。ラーメンを食べ切った少年は堪えきれずカウンターに伏して号泣した。

「なんでこんなに美味いんだよ!これじゃ食べ飽きるまで死ねないじゃないか!なんなんだこの赤ちゃんみたいなモチモチした麺は!なんなんだこの茫漠と広がるこの札付の大地の採りたて新鮮の野菜とバターは!そして極め付けがこれだよ!この母親の愛を凝縮したような味噌だよ!コイツらがどうしようもなく僕を生へと引き止めるんだ!コイツらが僕にお前は孤独じゃない、この地上から愛されているんだって懸命に説得するんだ!」

 少年は我を忘れて叫んでいた。もう彼の心から死の絶望は消えていた。今少年の心には太宰治よりもこの札付のラーメン屋の親父が作ってくれた味噌ラーメンがあった。我に返った少年はオヤジに向かって取り乱した事を謝った。するとオヤジは少年いいってことよとにこやかに手を振ってしみじみとした顔でこう言った。

「まっ、この札付の町は色々と事情があるヤツが来る町だからな。で、お前さん、これからどこ行くんだい」

 少年はオヤジの問いに答えられず、返事もせず立ち上がり金を出そうとして懐の財布を掴んだ。彼はその厚みのある財布を掴んだ瞬間、ある考えが雷のように閃いて呆然と立ち尽くした。オヤジは少年に向かってどうしたのか尋ねた。すると少年は財布から出した万札とドル札を突き出してこう叫んだ。

「オヤジさん!今食べた味噌ラーメンの麺とスープを有金分全部売ってください!僕はこの味噌ラーメンに命を救われました!お願いです!僕はこのラーメンがなかったら生きていけないのです!」

 少年は万札とドル札を手に涙ながらにこう叫んだ。この金は家出する時に家中からひったくってきたものだった。全部使い果たして死のうかと考えて家中からかき集めたものだったが、いざ出てみると金の使い方がわからず食費と移動費以外にほとんど使わなかったものであった。

「おいおい、どうしたい。いきなりそんな大金突き出されて売ってくれなんて言われたって売れるもんじゃねえよ」

「売って下さい!この味噌ラーメンには僕の命がかかっているんです!」

 オヤジはこの少年の真剣な眼差しに圧倒された。オヤジは少年の曇りなき目を見て彼が本気でラーメンに救いを求めている事がわかりすぎるほどわかった。

「いいぜ」とオヤジは言った。

「流石に全部はやれねえけど、余りもんならくれてやらあ。ちょっと待ってろい!」

 このオヤジの返答を聞いて少年は前のめりになりにこやかに顔を輝かせてこう言った。

「あの、もう一つお願いがあるんです。これから毎月僕のところに麺とつゆの素を送ってくれませんか?勿論お金は毎月きっちり支払います。こんなお願いは不躾なものだってことはわかっています。だけど僕はこのラーメンをずっと食べていたいんです!」

 オヤジはこの純粋な目をした少年を信じ込んだ。この少年にとって今何より必要なのは自分のラーメンなのだと理解した。オヤジはにこやかに少年に答えた。

「いいぜ」

 少年はそれから間もなくして家に帰ったのであった。彼は自分を叱り飛ばす両親をガン無視して屋敷の離れに篭ると早速オヤジから買ったラーメンを作り始めた。オヤジから貰っていたレシピを見ながらどうにかラーメンを作り終えた少年は箸を手に早速麺を啜って食べたのだった。一口食べるごとにあの札付の町の光景が蘇ってくる。彼は食べながら自分の命を救ってくれたこの味噌ラーメンに感謝して涙を流した。死ぬ前にこいつを存分に味わい尽くさなきゃ。だけどいくら味わっても味わいきれないような気がする。ひょっとしたら永遠に……。


 少年はそれからオヤジが毎月送ってくれるラーメンと共に幸せな日々を送っていた。高校を卒業し東京の大学に進学した彼はそこでもオヤジの送ってくれるラーメンを食べながら暮らしていた。オヤジは手紙でラーメン上手くなったかと尋ね、そしてまた札付の街に来いよと誘っていた。青年となった彼はいづれまた札付のオヤジの元に行こうと思っていた。行ってオヤジの弟子になることさえ考えた。

 しかしその夢は一瞬にして崩れた。それは青年が二十歳になった時である。ある日東京の青年の家の元に一通の手紙が届いた。青年はラーメンを送って貰ってから一か月も経っていないのに何事だろうと、彼はもしかしたら弟子入りの誘いかもと思いながら封を開けた。だがそこに書かれていたのは弟子入りの誘いではなく、オヤジの親戚だという人間によって書かれた死の報告であった。手紙によるとオヤジは一週間前に突然店で倒れてそのまま亡くなったという事らしい。青年はこの突然の報告に呆然として立ち尽くした。彼はオヤジの死によってこれから二度と味噌ラーメンが食べられない事に絶望した。という事はもう味噌ラーメンは食べられないってことなのか。僕はどうしたらいいんだ!これからどうやって生きていけばいいんだ!



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