落ちのない話
現在の漫画の始祖である手塚治虫は、山なし落ちなし意味なしといわれる、雰囲気だけで描かれた漫画をやおいと言ったが、文学で同じような傾向の作品を探せば十九世紀ロシアの文豪のアントン・チェーホフあたりが適当であるかもしれない。チェーホフが文学活動をはじめた十九世紀後半のロシア文学界はトルストイやドストエフスキーのような壮大な世界観を描いた長編小説が主流であったが、チェーホフはそういう風潮に逆らって普通の人々の日常を描いたのだった。彼の作品は殆ど短編であり、その小説は徹底的にドラマを排し、ただどんな人間にも起こりうる人生の出来事の瞬間を切り取ったものだ。さて、ここで私が何を言いたいかと言うと実は何も言いたいことがないのであり。これが落ちのない話だと言うとそうであり、そうでもなく、とりあえずなんか書いておかなきゃと思ってこれを書いているわけであり、書いているうちに自分の気持ちを押さえられなくなってるわけであり、どのように自分の気持を押さえられないかなんて説明できないわけであり、とりあえず経理の光子さん、あなたの飲みかけのジュース飲んだのは僕なわけであり、しかもそれを上司に見られたので明日会社に行ったらまずクビなわけであり、もう人生終わりなわけであり、だからもうここでやめます。
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