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フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第九回:悲劇の顛末

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 ああ!これが諸般の悲劇の始まりであった。もはや悲劇のトリガーはロマンティックに弾かれていたのだ。ホセははじめは諸般をロマンティックに愛していたが、元々営業ゲイであるホセはだんだん諸般を疎ましく思うようになった。確かに初めのうちは自身の360度フル回転のロマンティックに悶える諸般に興奮しまくったが、諸般がもっともっととさらなる弩級のロマンティックを要求して来たのでうんざりしてきた。おまけに諸般は女以上に嫉妬深かった。ロマンティックホールに放出したロマンティックミルクがちょっとでも少ないと「すぐ浮気したのね!僕以外の男とロマンティックしたのね!誰とロマンティックしたか正直に言いなさい!」と一晩中喚き散らした。ホセはそんな諸般に誤解だと弁明し、お前を想像してミルクを放出していたからこんなに少なくなっちまったんだと弁明したが、諸般はそれでも信ぜず発狂したかのように彼を責めた。ホセはもうそんな地獄の毎日から脱出したかった。だが、諸般の元を離れたらまた昔に逆戻りだ。離れるなんて出来ない。

 ホセがイザベルに例の冗談を言ったのはそんな状態の時だった、しかしそれはあくまでも冗談でしかなかった。あんなデブがダイエットなんて出来るわけねえだろ。もし仮に出来たとしても痩せた不細工が現れるだけだと彼は思っていた。ホセはボロ小屋の窓に映るダイエットの本を必死こいて読むイザベルを見て無駄な努力と嘲笑った。

 だが奇跡は起こってしまった。ロマンティックが突然に始まるように奇跡もまた突然に現れてしまったのだ。なんと実家に帰っていたイザベル・ボロレゴがまるでディーヴァの如き美人に生まれ変わって戻ってきたのだ。これは諸般もホセも驚愕した。ホセはこの奇跡に興奮し目を充血させたが、諸般はそのホセを見て愕然となった。まさかホセ。もしかしてこの痩せたビッチに惚れてしまったのかい?僕というロマンティックな恋人がいながら!

「ふふふ、私メキシコに帰ったら何故か痩せちゃったの。不思議ね」

 不思議もクソもなかった。この元デブはメキシコの田舎に帰ると嘘ついてロスで脂肪吸引手術を受けてきたのである。全く女の美貌に対する執念は恐ろしい。イザベルは貪婪な視線でホセを見た。ホセもまた欲情を丸出しにしてイザベルをガン見した。諸般はその二人の互いをむさぼるような目を見てもしかしたらホセがこの美人に生まれ変わったイザベルに奪われぬかもしれぬと怯えた。

 諸般はこの思わぬ事態に不安に陥ってしまった。彼の愛するホセがこのメキシコのバカ女に魅入られてしまった。ここで彼が浮気をしたら家から出て行ってもらうと脅しつければホセは今も彼の元にあっただろう。だが諸般にはそれが出来なかった。自分がもしそうしたらホセはイザベルの元にいってしまうと思ったからだ。

 ホセはその諸般の不安を巧みに利用した。彼は諸般に対して急に強気になり、ロマンティックの時も何もせず諸般に対して果てしなきロマンティックを要求したのである。諸般が嫌がるとじゃあお前と別れるぞと脅しつけた。それで仕方なく諸般がいやいやのロマンティックをしたのだが、ホセはピシャリと彼の頬を叩き、「もっと優しくロマンティックに舐めろ!」と怒鳴りつけた。諸般は一瞬にしてホセの奴隷になってしまった。だが諸般はそれでもホセを追い出さず、彼に尽くしたのである。ああ!ホセをあまりにもロマンティックに愛するがゆえに!

 こうして諸般をロマンティックに屈服させたホセはさらなる要求をした。メトロポリタン歌劇場で自分とイザベルのリサイタルをやれと言い出したのである。諸般はこの無茶にも程がある要求を「君一人だったらブッキング出来るけど、あんなコアラ以下の歌しか歌えない女はダメだ」と言って拒否したのだが、ホセはそれを聞いて笑いじゃあ俺とお前はここで終わりだと言って出て行こうとした。諸般はそれを泣いて止めた。

「お願い!僕を捨てないで!君に捨てられたら僕は死ぬしかないんだ!」

 こうしてメトロポリタン歌劇場で全く無名どころか完全なる素人のホセ・ホルスとイザベル・ボロレゴのリサイタルが開かれることになったのだが、いざチケットを販売しても殺人的に売れなかったので、プロモーターは諸般に向かってこれじゃうちは大赤字で破産すると捲し立てた。それではと諸般がピアノの伴奏で参加する事になったが、肝心のホセとイザベルがそれを嫌がった。二人はゴージャスなオーケストラの演奏じゃなきゃ歌う気になれなと頑強に主張したのだ。だが肝心の主役が素人ではチケットが売れるわけがない。それではと諸般は愛するホセのためにコンサートを成功させようとあらゆる媒体でホセ・ホルスとイザベル・ボロレゴのコンサートを宣伝した。彼はあらゆるメディアに向かってホセの素晴らしい歌唱を讃え、聴いていたら気を失うほど素晴らしいんだと語り倒していたが、その姿はもういじましい程だった。

 その甲斐もあってどうにか半分以上は埋まったメトロポリタン歌劇場でホセ・ホルスとイザベル・ボロレゴのリサイタルは無事開演を迎えたが、それはもう地獄の光景であった。ゴージャスなオーケストラが全く意味がなくなるほどの美声は客の耳を突き刺し次から次へと気を失わせた。だが、どうにか無事に美声に耐えた客たちは一斉にステージの二人に向かっていろんなものを投げつけた。ステージは空きビン、空き缶、燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ごみ、生もの、プラスティック、産業廃棄物、危険物などゴミの分別もしようがないほどのゴミで埋め尽くされた。だが、ステージの二人はそんなことを全く気付かずにメトロポリタン歌劇場に朗々とその自慢の美声を響かせた。

 ピアノを弾くことさえ禁じられた諸般はホセの美声にうっとりし、イザベルのコアラマーチのゲップ声には吐き気を催しながら、なんとかホセを救おうと思っていた。ホセはイザベルに洗脳されているだけに過ぎない。だから僕のロマンティックラブパワーをホセの体に注げば彼の洗脳は解け、再び僕の元に帰ってくるだろう。だが、今自分はステージにすら上がれず客席に閉じ込められている。ステージの二人は現実を超えて完全に二人の世界に入って行ってしまった。諸般はホセをイザベルから救い出そうと思ったが、しかしそうしたらホセが怒って自分の元から永遠に去ってしまうことを恐れて立ち止まった。ああ!今、リサイタルのプログラムの最後の曲ワーグナーの『愛の死』のオーケストラが鳴りだした。

『愛の死』だって!と大振は諸般が愛の死の件を口にした途端、胸が串刺しになる程の痛みを感じて崩れ落ちた。ああ!イリーナ!僕のイリーナ!あの時全裸でステージに駆け上がったのはただホルストから君を救いたかったからだ!ああ!諸般まさかお前も俺と同じように!

「その時突然ステージのライトが消えたんだ。僕は一瞬電源が落ちたのかと思ったけど、その時ライトは二人の顔だけを映し出したんだ。ああ!その時のイザベルの顔は人を海へと溺れさせるあのメドゥーサそのものだった!このメキシコのメドゥーサは僕のチカーノの天使ホセ・ホルスを地中海の海に沈めようとしていたんだ!僕はロマンティックラブパワーでホセを救おうと全裸になってステージに駆けだした。もうリサイタルがどうなっても構わなかった。ただ僕はホセを永遠に地中海に沈めようとしているこのイザベル・ボロレゴというメキシコのメドゥーサから救いたかっただけなんだ!」

 ああ!全く同じだった!まさかこのバメリカンの自称ロマンティックピアニストがここまでフォルテシモに人を愛することが出来るとは!もう諸般の性癖への偏見など完全に吹き飛んでしまった。愛する人を救うために全裸でステージに駆けるなんてことをする奴が俺以外にいたとは!

「僕は全裸で暗闇の中ホセめがけて飛び込んだんだ!メキシコのメドゥーサの前で僕らの愛を見せつけて退散させるために!僕はホセを捕まえてそのままありったけのロマンティックを注いだんだ!久しぶりのホセとのロマンティックは新鮮だった。まるで初めてロマンティックしているみたいだった!だけどステージの明かりがついたとき、僕はそこにホセじゃなくてただのデブの警備員を見たんだ!ああ!僕はなんてことをしてしまったのか!ホセとイザベルは冷たい目で僕を見下ろしているではないか。僕は警備員をほっぽりだしてホセに向かって誤解だと必死に弁明した。だけどホセはイザベルを抱きながら僕にこう言ったんだ。『この野郎散々俺に浮気するなっていてたくせにてめえはやりまくりかよ!人のステージ台無しにしやがって!そんなにやりたきゃ外でやれ!』ってさ。それからホセとイザベルはメキシコに旅立ってしまった。しかも僕の財産を丸ごと奪ってだよ!」

 諸般はこう語り終えると号泣して天井に向かって絶叫した。大振もまた号泣した。ここにいるのは俺そのものではないか!まさかあのプロモーターの言うことが当たっているとは思わなかった!ハッピーセットなバメリカンのコイツがここまで俺と瓜二つだったとは!ああ!この指揮者とピアニストの二人はまた世界一ピュアな涙の二重唱を歌いだした。その二重唱は再び病院を突き抜けた。看護師の注射の針がが患者の動脈を刺し、心電図の電源が落ち、手術中のメスがいらない所を切り刻み、もう助かる命さえ助からない状態になったが、奇跡的なことに誰も死ななかった。

 大振はその果てしない号泣の二重唱の中で諸般を絶望から救わねばと決意した。この男はかつての俺と同じだ。俺もまた失恋の苦悩の果てに命まで捨てようとしたのだから。この男は一刻も早く救わねばならぬ。でなければ確実に枯れ木のように死んでしまうだろう。諸般はその大振に諦めきった顔でこう言った。

「こうして全財産を失った僕はそれからずっと死に場所を求めてさまよっていた。そんな僕に君から日本のコンサートの仕事が来たのは僥倖だったよ。これで思い残すことはないとね。最後にグランパパの故郷でピアノを弾いてそしてフジヤマの山頂でロマンティックにセップクして息絶える。最高の死に方だと思ったんだ。だがそれもダメになった。借金取りが僕のピアノまで奪ってしまったんだ!日本に着いたとき空港でたまたまその借金取りを見つけてピアノを返してくれと取ったらいきなり殴ってきた。君も見ただろ?ロマンティックに髪すら靡かせられなくなった惨めな僕を!もう終わりさ。あとは惨めに餓死するしかないのさ」

 諸般の悲痛な叫びがショパンの葬送行進曲のクライマックスのように響き渡った。大振はこの全てに絶望した諸般を救わんと我知らず声を張り上げた。

「バカ者が!貴様それでもクラシックのピアニストか!芸術家の端くれか!芸術家は困難な時ほど一層己が才能を輝かせるものだぞ!ベートヴェンを見ろ!チャイコフスキーを見ろ!貴様のレパートリーのラフマニノフを見ろ!みな降りかかってきた苦悩を乗り越えてあれほどの芸術を生み出したのだ!なのに貴様はなんだ!苦悩に立ち向かおうとせず、それどころか己が苦悩に押しつぶされるがままに泣きくれている!情けないと思わないのか!自分を憐れむより大事なことがあるだろう!貴様が今なすべきことはピアノを弾くことだ!貴様のロマンティックなピアノを俺のために弾くことではないのか!貴様はさっき死ぬために日本に来たと言ったな。だが俺はそんな奴と共演なんぞせぬ。なぜなら俺の曲は死んだピアニストになど絶対に弾けぬものだからだ!貴様はただ甘ったれているだけなのだ!ハッピーセットのバメリカンの薄っぺらな連中にちやほやされ、それで調子に乗って芸術の厳しさを忘れたがゆえに、芸術は苦悩を乗り越えて生まれるものだという事を完全に忘れてしまったのだ。さあ目覚めよ!今からでも遅くはない!苦悩を乗り越えて貴様の芸術を輝かせて見せろ!」

 ああ!なんという事だ!あの大振がここまで他人を叱咤激励するとは!あの傲慢で人を人とは思わない皇帝大振拓人が涙さえ浮かべて人の命を救おうとするとは!諸般リストはこの大振の激高ぶりに驚いて彼を見つめた。だが、すぐに顔を背けてこう呟いた。

「せっかくだけど僕はもう無理なのさ。僕は君みたいに強い人間じゃない。君の言う通りアメリカのハッピーな風土に染まり切った哀れで滑稽なロマンティストに過ぎないのさ。こうしてすべてが奪われて惨めに裸にされてすべてを悟ったんだ。ロマンティックのない僕なんてただの髪の靡かない枯れ木でしかなんだって!」

「この愚か者がっ!」大振はこう叫びながら諸般を殴り飛ばした。そのパンチのあまりの勢いに枯れ木の諸般がベッドの外に飛び出してしまった。諸般は折れた枯れ木のように背中を折って床に蹲っていた。そのまま動かないので大振は死んだかと思い慌てて諸般を抱きしめて呼びかけた。

「諸般!しっかりしろ!まだ死ぬんじゃない!」

 その大振の言葉が届いたのか諸般はしばらくしてからゆっくりと目を開けた。大振は死ななかったことに喜んで潤んだ目で彼を見つめた。すると諸般は歓喜に震える声で大振にこう言ったのである。

「僕、パパにさえ殴られたことなかった。こんなに、こんなに熱い気持ちで殴られたのは初めてだ。ああ、君の想いが痛いよ……」

「諸般!」大振は思わず彼の名を叫んで思いっきり抱きしめた。ああ!ついにこの兄弟のような男たちは初めて互いを分かち合ったのだ。ともに音楽家として、芸術家として、男として!

「とりあえず飯でも食わんか。さっき医者から貴様が栄養失調だと聞いたのだ。今から近くの高級レストランに電話をしてコックを全員呼び寄せてやるから待ってろ」

 この大振の唖然とするぐらい優しい言葉に諸般は涙ぐみ頬を真っ赤にそめて泣き出した。

「でもいいのかい?今の僕には全くお金がないんだよ。ドルも円もすべてないんだよ」

 その諸般に対して大振は男らしくこう答えた。

「バカ者が!金の事は気にするな!あとは全部俺に任せて貴様は体調を回復させることに専念していろ!」

 諸般は大振のこの男らしい照れを見て胸がキュンとなった。それは彼にとって新たな恋の予感であった。

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