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田中一村の展覧会を見て

 一昨日田中一村の展覧会に行きました。美術がわからないと度々書いているのにそれでも展覧会にちょくちょく行くのは一体何なんだろう。自分でも不思議に思います。田中一村についてはその名と代表作と大まかなエピソードは知っていましたが、今回の展覧会で田中一村の人生と画業の全貌を知りました。

 今回の展覧会に行って自分の知っていた知識がかなり間違っていたことがわかり、かなり恥ずかしい思いをしましたが、一村の父は木彫家の田中稲邨という人で幼いころからこの人にみっちり教育を受けいて、米邨の号も父から与えられたそうです。なんと最初は一村じゃなかったのですね。私はてっきり最初っから一村と名乗っていたんだと思ってました。一村は子供時代から神童と呼ばれて児童展なんかに入賞しているんですが、展示されていたその頃の作品なんか見ても水墨画だし私が現代人だからそう見えるんだろうけど、かなり老成した絵でとても子供が書いた絵には見えません。子供らしさが見えないという点ではピカソが子供時代に書いた絵もこんな感じなのでしょう。絵が飾られている脇に当時一村が父稲邨と共作した小皿が展示されていましたが、まぁ殆ど職人の作った民芸品のようでとても子供の作ったものには見えませんでした。

 子供時代の作品を一通り見終わった後、芸大時代から米邨から一村に改名する千葉在住時代まで一気見たのですが、南画風なものや水墨画など抽象画風に見えるものもあり、結構楽しめました。しかしざっと見た感想であんまりこういうのはなんだかなと思うのですが、絵は筆の力強さはあまり感じられず、どちらかといえば緻密に描いているなという印象でした。しかし千葉在住時代からガラッと画風が変わってきます。これはやっぱり時代の影響もあるのでしょうか。今までの平面な南画風のものから奥行きのある洋画風のものになっていました。こういう試みは他の画家も多分やっているのでしょうが、私は近代日本画には全く不案内なのでよくわかりません。でも掛け軸の画面で遠近法をやられるとなんか奇妙に感じますよね。それとここまで見てきて気づいたのですが、一村は人物画があまり上手くないんですね。仏画なんかを見てカリチュアが上手く出来ていないように感じますし、風景画の中に描かれている人物も風景の緻密さに比べたら非常に平凡です。それは奄美時代に描いた人物のスケッチを見たらハッキリとわかるのですが、一村は非常に上手い画家で写真のように正確に描けるのですが、どの絵も外側だけ描いていてモデルの内面、それに画家の内面が描けていないんです。話はそれましたが、西洋画を見慣れた私にとってはこの時期の一村の絵は試みは非常にわかるのだが、なんかもの足らないような座り心地の悪いような、これだったら普通に西洋画を描けばいいじゃないかとか、ファンの皆さんには申し訳ないですがそんな事を感じてしまいます。

 さて私はこの田中一村の展覧会を知った時、前期と後期で展示作品が変わると聞いていたのでじゃあ前期は千葉時代まで、奄美時代は後期でやるのかなと思ったのですが、なんと奄美時代も展示されているではありませんか。しかも有名な作品が立て続けに。私は奄美時代の展示コーナーに入った瞬間、それまでとまるで雰囲気が変わったのにびっくりしました。やっぱり奄美という土地は一村に決定的なインスピレーションを与えたのでしょうか。それまでのどちらかといえば小さな構図から、対象を画面いっぱいに大きく描いた構図へと変貌していました、まぁ私は何度か描いたように実物を見てもあまり感動しない人間なのですが、この奄美時代の絵の大胆な構図と色彩豊かな絵には圧倒されるものがありました。それだけでなく墨だけで描いた絵もあったのですが、それさえも色がついているようで美しかったです。有名なアダンの絵もありました。

 こうして田中一村の絵を年代順に見てみるとやっぱり目を惹きつけるのは奄美時代の絵で、やっぱり一村の画業の頂点は奄美時代であり、それ以前は前史であると結論づけてしまいたくなってしまいます。まぁこれは田中一村については大して知らず、また日本画についても通りいっぺんのことしか知らない人間の感想なのでお詳しい方にに出鱈目と批判されたら何もいえません。

 とにかく田中一村の展覧会は非常に内容のあるものでやっぱり行ってよかったと思いました。この展覧会は前期と後期に別れており、前期は10月24日までで、後期は10月25日から12月1日までだそうです。前期と後期で一部展示作品の入れ替えがあるらしいのですが、前期で殆ど代表作は展示されているので、後期は何を展示されるのでしょうか。後期も観にいきますが、楽しみですね。


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