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とある讃岐うどん屋の閉店日に起こった奇跡

 長らく親しまれていた讃岐うどん屋が閉店することに決まった。別に店が経ち行かなくなったわけではない。ただ店のオーナーの老夫婦が年齢の限界を感じで店を閉店することに決めたのである。オーナーの夫婦は「うちにも子供がいればよかったんだけど」と寂しい笑みを浮かべて語っていたが、こうして長らく親しまれていた店がなくなっていくのは悲しいものがある。

 今回はその老舗の讃岐うどん屋の閉店日に起こった出来事を書こうと思う。さて長らく親しまれてきた店の最終日だけあって店内は満杯になった。オーナー夫婦はひっそりと店を閉めるつもりであったが、閉店の貼り紙を貼った途端昨ネットでたちまちのうちに拡散され常連客どころか長らくこなかった客、あるいは今回ネットでこの店を初めて知った人間が大挙として店を訪れたのだった。オーナー夫婦はそんな客たちに向かって申し訳なさそうにウチにも後継者がいたらと謝っていた。その客たちの中に若い男女の二人組がいた。二人は常連客ではなく、今回ネットで初めてこの店を知ったのだが、この店のいかにも老舗らしい雰囲気に感嘆して顔を見合わせていた。

「凄いな。やっぱり長く店をやっていたお店は違うね。木のテーブルも椅子も高級なもの使ってるし、ちゃんと磨き込まれているよ」

「ホントね。これが本場の讃岐うどん店なのね。いつもチェーン店しか行ってないからなんかビビっちゃうよ」

「チッ、もう少し早くこの店を知りたかったな。せっかく店を知ったのにこれが最後だなんて」

 二人はそのまましばらく店内に立っていたが、席が空いたようで割烹着を着た老いた婦人が二人をテーブルに案内した。二人はテーブルに座ると早速メニュー表を手にとった。女は男に向かってメニューを指差してあれがいいこれがいいと相談していたが、男はメニューを決めたらしくパッとメニュー表を閉じて婦人に尋ねた。

「あの、ここにないメニューなんだけど頼まれていいかな?僕のオリジナルのメニューなんだけどさ、かけうどんと一緒に今から挙げるものを持って来て欲しいのさ。エベレストぐらいボリュームのある天かす。次に海の潮のようにピリッとくる生姜。そしてイカの墨のように黒光する醤油。頼まれてくれるかい?」

 このあまりの突飛な注文に婦人は驚き声も上げられず、思わず奥の厨房にいる主人に助けを求めた。そして食べながら彼らの会話を聞いていた客たちも思わず箸を止めて彼らを見た。店内の視線が一斉に自分たちに注がれているのに気づいた女は慌てて男に言った。

「ちょっと、こんなところでいつもの注文しないでよ。ここははなまるうどんでも丸亀製麺でもないのよ。個人店なんだからやめてよ!」

「そんな事言われたって僕は讃岐うどんをこういうやり方でしか食べられないって君だってわかってるじゃないか。メニュー通りに食べたって讃岐の美味さなんか全く感じられないよ」

 男の言葉のせいで店内は気まずい空気に包まれた。もしかしたら追い出されるかもしれない。そう思った女は婦人に懸命に謝って男に向かって早くメニュー表から選べと説得するが男は聞き入れず、逆に君も僕のやり方で食べたら美味かったと言ったじゃないかと言い返す始末だった。常連客は男のあまりにも不作法な態度に苛立ちあんな客さっさと追い出せとつぶやいた。本来なら涙と感動で終わるはずのフィナーレがこの男女のせいで全てがぶち壊しになりかねなかった。婦人は男のあまりの強情さに何も言い返すことが出来ず、慌ててちょっと主人に聞いてみますと言って厨房に行って主人と相談を始めた。しばらくして婦人が男女のところに戻ってきて言った。

「お客さん、大丈夫ですよ。大盛りの天かすと生姜と醤油のセットすぐに持って来ますよ。なんならお連れ様も同じメニューにしますか?」

 男は笑顔で頷いた。婦人は注文を受けると厨房へと向かった。男はその婦人の後ろ姿を見送ると恥ずかしさのあまり俯いている女に向かって言った。

「これでやっと讃岐うどんが食べられるな。君も僕のオリジナルの讃岐うどんが一番美味いって言ってたじゃないか。遠慮しないで一緒に食べようぜ。ああ!最高だよ!こんな老舗の店の讃岐うどんをオリジナルのメニューで食べられるんだから」

 やがて婦人は盆に二人分のかけうどんと山のような天かすとこれも山のような生姜と醤油を乗せてやってきた。その盆に乗っているものを見た他の客たちはそのあまりにも胸のムカつきそうな物に思わず口元を押さえた。しかし男はそんなことなど気に留めずメニューを受け取るなり早速かけうどんに山盛り天かすの半分をふりかけた。

「まぁ、何度も言うけど讃岐うどんはこうするとありえないぐらい美味くなるんだ。まず今のように天かすをかけうどんにドバッとまるでエベレストのように山盛りに振りかけるんだ。次に生姜さ。これも同じようにドバッとつゆが海の潮を感じさせるぐらいに振りかける。最後に醤油さ。これは丁寧にまるでトグロを巻くように五回転ぐらい注ぐんだ。それで最高の讃岐うどんは完成さ。さぁ君もやってみなよ」 

 女は散々聞かされた男の説明に少しウンザリしながら同じようにやってみた。そして出来上がったものを見たが、何度見てもこのグロテスクな形状は見慣れないものだ。しかし男はそんな事を気にも止めずうまい、うまいと美味しそうにうどんを食べているではないか。女も周りの目線を気にしながら一口食べた。やはり美味い。一口食べた途端箸が勝手にうどんを摘み出し、口がどんぶりに吸い寄せられていく。

 店内の客たちはこの男女二人があまりにも美味しそうに自作の天かす山盛りぶっかけかけうどんを食べているので自分も食べてみようと次々と天かすと生姜と醤油のセットの注文を始めた。そして彼らは一式ぶっかけて食べたのだが、皆あまりの美味しさに大騒ぎし始めた。そしていつの間にか全員山盛り天かすセットを注文する事態になってしまった。皆うまいうまいと山盛りセットを食べ、早くこの食べ方に気づくべきだったと嘆いた。オーナー夫婦も客たちの真似をして食べてみた。なんて美味しいのだろうか。今まで讃岐うどんを作ってきてまだ知らない食べ方があったとは。

 男女はいつの間にか店内の人間全員が自分の真似をして天かす山盛りの讃岐うどんを食べているのを見て、もう少し早くこの店を知ってればよかったと後悔した。この最高級の讃岐うどんで作った天かす山盛りセットが二度と食べられないなんて。食べていると切なさのあまり涙までこぼれてくる。

 老舗の讃岐うどん屋はこうして閉店したのだが、その日中ずっと店内にはうどんを啜る音と、名残惜しさのあまりの啜り泣きの声が鳴り響いていた。



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