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文芸サークル 序章:文芸サークル『犬文学』

「無能というのは。小説を書けない人のことではなく、書いてもそれを隠せない人のことだ。」

アントン・チェーホフ『イオーヌイチ』より

 私はとあるSNSの文芸サークル『犬文学』に入っている。『犬文学』は今人気急上昇中のサークルだけど、私が入った頃はまだ二十人ぐらいのサークルだった。でもここ一か月ぐらい前から急にメンバーが増えてきてあっという間に二百人を超えてしまった。このままのペースで行ったら三ヶ月もしないうちに五百人を超えてしまうだろう。このサークルは文芸サークルで小説だけでなく評論も投稿できる。それだけじゃなくてトークルームもあり、そこでメンバー同士で会話をしたり、二か月の間に一回行うオフ会の参加募集や打ち合わせをしたりする。サークルには毎日メンバーの投稿があり、非常に活気にあふれている。

 この文芸サークルがなんで急にこんなに人気になったのかを考えるとやっぱり他のサークルに比べたら気安く参加しやすく投稿に反応もあるからだと思う。万単位のメンバーがいるサークルは確かに簡単に参加できるけど、書いたものなんて誰も読んでくれない。逆に少数精鋭の、プロの作家や評論家もいるような、本格的な創作サークルだとぐうの音も出ないほどのダメだしを受けてしまう。

『犬文学』では自分の投稿が無視される事はなく、どんな駄文にも管理人さんや、メンバーから何かしらのレスポンスがある。それにダメ出しをされることなんて絶対にない。それはメンバーになった人たちが口々に言うことだ。「他のサークルではろくにコメントなかったけど、ここでは投稿する度に心のこもったコメントが来るからモチベーションが上がる」「前は他のサークルに投稿してたんだけど、投稿する度に批評だかクソリプだかわかんないコメントがきてウザかった。ここの人たちは優しいから安心して作品を投稿できる」なんて事をみんな書いてくる。

 それとこれは特に強調したい事だけど管理人の文弱さんがとてもいい人だって事だ。文弱さんはメンバーの投稿に必ずコメントするがそのコメントの内容が非常に的確なのだ。私は文弱さんのコメントを読むたびに普段の仕事もあるし、管理人としても忙しいはずなのによくこれだけ読み込めるなと尊敬する。この文弱さんは四十代前半という年齢より見た目がずっと老けた感じの人で、普段図書館に勤めているから職業柄いろんな本を見ている。だからよくみんなにあまり知られていない本を紹介してくれる。彼とはオフ会で何度かあっているけど、失礼だけど本当に名前通りのか弱そうな人で、何かというと僕は文弱の徒だからと自嘲している。

 私がこの『犬文学』に入ったのは子供が小学校に入って育児が落ち着いた頃だった。私は学生時代から趣味で小説を書いていて出来上がった作品を創作サイトに掲載したり、また時折遊び半分で文学賞に応募したりしていた。だけどそんな趣味程度の小説で賞など取れるはずがなく、どれも見事に第一選考で弾かれた。そんな才能のまるでない私だったけどやっぱり創作は好きだったから大学を社会人になってもずっと小説を書き続けていた。だけど今の旦那と結婚して子供ができてからは家事と育児に時間が取られて小説を書く暇なんてなくなってしまった。そうして小説から何年も離れていた私だったけど、子供が学校に行くようになって急に暇が出来た時、ふと小説を書きまくっていた学生時代の事を思い出した。

 昔のあの愚かしい程熱中して小説を書きまくっていた日々の事を懐かしく思い出していたらなんだか久しぶりに小説が書きたくなってきた。それで試しにとスマホでいくつか適当なコントを書いてみた。書き上げたコントを読んでみたら自分の腕が思ったほど錆びていないように感じ、というよりもしかたら昔よりもうまくなってないかとすら思えた。まぁ、勿論こんなのただの自己満足で、人からすれば全く面白くもない駄文にしか読めないだろうと思うけど。だけどそんな事は盛り上がりを振り切って、さらに盛り上がっている私にはどうでもよく、逆にだから何?って開き直ってもっと長いのを書いてみんなにアピールしたくなってきた。それで小説を投稿するためにググって某SNSに開設されているこの『犬文学』というサークルを見つけたのだった。

『犬文学』のメンバーは私を快く迎え入れてくれた。申請してすぐに参加が承認されると私は早速いくつか書き溜めていた小説から一番ましなものを投稿した。投稿した後でどれどれと他のメンバーの小説を読んでそのクオリティーの高さにビビッて、お目汚しごめんなさいとすぐに退会しようと考えた時、管理人の文弱さんが真っ先にコメントを書いてくれたのだ。文弱さんのコメントは何度も書くけど本当に的確で見事に読みどころを掴んでいた。その文弱さんのコメントに続いて他のメンバーたちも挨拶と温かみのあるコメントをくれた。そんなみんなのコメントを読んだら退会なんて出来るはずがない。そんなわけで退会を思いとどまった私は今に至るまで『犬文学』に在籍している。それから犬文学のメンバーは増え続け、上にも書いたように今では二百人を超える大所帯となったのでいつの間にか私は古参メンバーになっていた。


 先日その『犬文学』のメンバーで恒例のオフ会を行った。場所は東京だった。参加メンバーは勿論管理人の文弱さんと、それに私も含めた古参新人メンバー合わせて7人だった。古参メンバーの栞さんは九州に住んでいて私と同じように主婦だけどいつもオフ会のためだけにわざわざ東京まで来てくれる。もう一人の柿爪さんも地方の人で、栃木の方に住んでいる。彼女は私と同世代の女性だけど独身だ。あと女子大生が二人。一人はバカっ吉って変にも程がある名前の子で、私と同じ古参にあたるが、彼女は我が犬文学のオフ会の盛り上げ役だ。もう一人は手弱女ちゃんという名前の真面目な子で本格的に小説家を目指しているらしい。彼女もサークルに入って結構経つけど、オフ会には今回初めて参加する。このメンバーたちとはLINEでもつながってもう友達といってもよかったけど、今回はさらに最近サークルに入った巖石という男性が新たにオフ会に参加する事になった。

 この巖石さんは最近『犬文学』に入ってきた人だけど、この人がオフ会に参加申請していると知った時、私たちは不安になってLINEで彼の事について話し合った。別に顔も知らない男性が参加する事について不安がっているわけではない。男性だったら管理人の文弱さんだって男性だし、もう一人男性が増えたところで何をされるわけではない。不安の理由は別でそれは彼がサークルでメンバーの作品について度々批判めいたコメントをしてくることだった。単なる誤字脱字の指摘だったらまだいい。文法の誤りの指摘でもまだいい。そうではなくて彼はもっと作品の根本的な部分に深く突っ込んでくるのだ。例えば主人公の行動に違和感があるとか、この場面の心理描写をもっと書きこむべきだとかそういう事を、差し出がましいですがなんてなんて言葉を頭に乗っけていちいちコメントしてくるのだ。また評論についても同様で、もっと論旨を明確にしないと読者には伝わらないとかコメントしてきて時々本当にうざくなってしまうのだ。この巖石さんは人の小説や評論についてあれこれ言う癖に自分の作品は殆ど投稿せず、たまに短いエッセイみたいなのを投稿するだけだった。

 私たちはみんなで文弱さんに巖石さんを参加させて大丈夫かと聞いたけど、文弱さんはでも巖石さんは知識が豊富な人だし、多分みんなが気づかずにしてしまっている誤りに気づいてもらいたくて書いているんじゃないかと彼を庇った。

「それに言葉だけだと多少きつく感じるかもしれないけど、言っている事は真っ当だと思うんだ。それにあんまり文章から人を判断するのはよくないと思うよ。多分さ、実際の巖石さんはもっと普通の人なんじゃないかな。こうしてオフ会に参加したいって言ってくるんだから、あの人だって僕らとコミュニケーションを求めて参加しようとしてるんだと僕は考えてる。みんなあんまり人を疑うのはよくないよ」

 文弱さんの言葉にはそれなりの説得力があった。私たちは彼の意見に納得して巖石さんが参加する事を承諾した。


 オフ会は連休の中休みに行うことになった。今回はバカっ吉ちゃんの提案で二次会をするので日にちに余裕を持たせたいと考えてそう決めた。昼は上野付近の文学スポットを回る文学さんぽで、夜になったら居酒屋を借りての二次会だ。これはバカっ吉ちゃんがもっとみんなで親睦を深めたいと思って提案したことだ。そのオフ会の前々日、文弱さんから送られてきた参加確認のメールに参加可能と返信し、リビングでテレビを観ていた夫に明後日にサークルのオフ会に行くから子供をよろしくと伝えたのだけど、夫はそれを聞くと憮然とした顔で私にこう言うのだった。

「はぁ~ん、オフ会ねぇ~。お前は呑気でいいよね~。こっちは毎日夜まで必死に残業してお前らのために生活費入れているのにさ。お前ときたら一日中能天気にずっとネットで遊んでいるんだから。もうサトシだって小学校上がったし、一日中暇なんだろ?だったらいい加減外出て働けよ。これから中学、高校、大学、さらに家のローンってさ、何かあるたんびに金が飛んでくんだよ。そうなったら俺の給料だけじゃ満足に暮らせねえよ。お前にもはした金でいいから家に金入れろ」

「別に毎日能天気に過ごしているわけじゃないけど……」

「はぁ?なんか文句でもあんの。俺、当たり前の事言ってんだけど」

「別に……」と答えて私はリビングから出た。夫とは最近ずっとこんな調子だ。何かあるたんびに働け働けと言ってくる。まぁ確かに彼の言うことはよくわかるし、私自身このまま何にもしないで主婦業なんてやっていいはずはないと思っている。こんな夫だって付き合ってた頃は私の小説を読んでくれたし、感想だって言ってくれた。だけど結婚してからだんだん私が小説を書いていることを蔑むようになっていった。それはきっと彼が所帯を持った事を自覚し始めたからだろう。そんな彼から見れば私なんて子供もいるのにいつまでも小説に浮かれている夢見る乙女にしか見えないのかもしれない。だけど、甘ったれだけどもう少しだけこのままでいたいと思っている。やっと育児から解放されて好きなように過ごせるようになったこの時を自由に過ごさせて欲しいと思っている。そんな私はただのわがままなんだろうか。いや、答えは決まっている。そう夫の言う通りお前はわがままなんだと。

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