一人の青年が大通りを歩いていた
と、十九世紀風の小説の書き出しでこの物語は始まる。青年はその田舎くさい服装からするに彼は上京したてなのだろうか。青年は都市のざわめきに慄きながらも、その眼で大通りを見据えながら日の差す方に向かって歩いていた。古典小説好きな作者は彼のような青年を見るとどうしても昔の小説の登場人物を思い出してしまう。彼は未来のラスティニャックなのだろうか。成り上がりの田舎もののラスティニャックは貴族を目指したが、彼もまたセレブという現代の貴族を目指して上京したのだろうか。そうして興味深く観察していて私は青年の顔に暗いものを感じてハッと目を止めた。この男はもしやラスコーリニコフかも知れない。ラスティニャックのように立身出世を目指して上京したものの、夢敗れて殺人まで犯したあの男だ。いかんぞ君。バカな優生思想に取り憑かれて人生を誤ってはいかん。せめてヒースクリフのようにまたギャッピーのように恋愛対象でも見つけてとりあえず危険は回避するのだ。しかしそれでも彼は救われないであろう。彼のような陰鬱な青年が恋愛したとしても待っているのはこの二人のような悲劇だからだ。ああ!青年よ!どこに行くのだ。この水の代わりに人が流れるような大都会で流されぬように生きるのは容易いことではない。漱石の三四郎には教授がいた。日本は滅びるね。なんてあの時代にこんな気骨のあることを言えるだけの勇気のある人間がいた。だが、彼は一人で自らの道を決めなければならぬ。生きることだ。ただ生きることだと二十世紀ドイツの大詩人は言った。しかし人は生きるだけではいけないのだ。道を切り開き未来へと歩んでいかねばならぬ。青年はとある建物の前にだった。彼は体の震えを必死に抑えて建物を見上げる。この建物の中で彼を待っているのは希望か絶望か。青年は耐えきれず大きく息を吐いた。行かねばならぬ。ただイカねばならぬ。そのためにこの都会まできたのだ。彼は故郷の家族を思ってつぶやいた。父さん母さん俺大人になります。彼は建物へと歩き出しそして入り口から中に入った。
「は〜い、お客さん。ようこそいらっしゃいました。ご指名はありますか?」
「みかんさん……」
「ああ残念ですね。みかんちゃん空いてないんですよ。今日は予約全部埋まっちゃいましてね。よかったら他の女の子案内しますがどうですか?」
「……いえ、結構です」