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浮いたり沈んだり


昔から、一喜一憂することが多かった。
すごくよく覚えているエピソードがある。
小学生の頃、朝の通学路で、左右で違う靴下を履いてきたことに気付いて、みんなにからかわれたらどうしようと、 半泣きで学校に行ったのに、その日の給食は揚げパンだと知ってすぐに「今日ちがう靴下履いてきちゃったんだ!」って色んな人に笑顔で見せびらかした話。

あれからもう20年弱くらい経つわけだけど、未だに、一喜一憂してしまう性格は治ってない。

浮いたり、沈んだり。
空まで舞い上れそうになったり、ベッドにめり込んでしまいそうになったり。

ただ、最近になって気が付いたことがある。
人間の感情や行動には、「どう感じるべき」とか「どうするのが正解だった」なんてことはない、ということ。

例えば、僕の意思を知って、相手ががっかりしたような気持ちをぶつけてきたとする。

その意思は、僕にとっては思い悩んだ末に決めた事で、嘘でも偽りでもない、揺るぎない思いなわけで。それは相手から見たら「私ならこうする」があるのも当然で、(私)とは違う思いに触れて「がっかり」と思ってしまう。

これってきっと、僕も、相手の(私)も
どっちも悪くないし、どっちが正しいなんて決められない。

そう思うようにすると、一喜一憂の“一憂”のダメージが減る気がする。

気が付いたらもう深夜1時。
夜は、いつも色んなことを考えさせてくるんだよなあ。何か恨みでもあるのか...
只々、穏やかに眠らせてほしい...

明日は、沈んだ回数より多く浮かべたらいいな。

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