下手でもイイじゃん。
うまくできないとダメ!
努力しないとダメ!
人の気持ちも考えなきゃダメ!
ちゃんと自力でやらないとダメ!
結果を出さないとダメ!
「ダメ!」
「ダメ!」
「ダメ!」
って何でもかんでも
自分にダメ出ししてない?
私はいつもそうだった。
鬼コーチよりも
意地悪な上司よりも
口うるさい身内よりも
世界の誰よりも一番
自分に厳しかったのは
自分自身だった。
永遠に達成できない
神レベルの試練を
自分に課してきた。
そして予想通り
試練が達成できなかったら
「やっぱ、あんたダメだね〜!」
って速攻ダメ出し。
たま〜に
ものすごく
運が良かったりして
試練をクリアしちゃって
「めでたし、めでたし」
ってなるかと思いきや
喜んでるヒマもなく
「じゃあ、これはどうだい?」
ってレベルアップした
課題をすぐさま出す
っていう虐待ぶり。
いつまで経っても
自分にオッケーが
出せなかった。
何をしても
どんなに頑張っても
自分はダメだった!
そんな風に
自分にイヂワルしてきたから
周りの人に
優しくできる余裕まで
なくなっちゃってたみたい。
何回も同じ間違いをしてきて
今更なんだけど
やっとわかってきた。
「わかった」っていうのは
知識が増えるコトじゃない。
実際に行動が変わるコト。
完璧にできないのが人間。
だから下手でもイイじゃん。
完璧になるまで
待っていても
そんな日は来ない。
だったら
上手にできなくても
やりながら成長していけば
イイじゃん。
やりたいなら
たとえカッコ悪くても
やっちゃえ〜。
っていうか
そうやって勇気を持って
自分を出しちゃってる人が
私はカッコいいと思う。
そうやって続けていけば
ちょっとずつ
成長していく。
自分を愛することは
ハードルが高くて
なかなか
うまくできない私にとって
うまくできなかったり
同じ間違いを何度も犯しちゃう
自分をゆるすことが
「自分を愛する」への
一番の近道
なのかもしれない。
ちょっとずつだけど
できなかったり
いたらなかったりする自分を
ゆるせるようになってきてる。
「クリエイティブなコトをする」とか
「自分を表現する」
って一部の才能がある人
のためだけじゃない。
何かを作ったり
自分らしさを表現したい欲求は
私たちみんなのDNAに
組み込まれている。
生存のためには
必要ないのに
詩を書いたり
絵を描いたり
歌を歌ったり
ダンスを踊ったり
人間って
太古の昔から
クリエイティブなことを
楽しんできた。
みんながみんな
プロにならなくても
趣味レベルでも
イイじゃん。
賞をもらったり
お金をもらったり
仕事にしたりするコトだけを
自分を表現する理由
にしなくてイイ。
「楽しいから」
「夢中になれるから」
「好きだから」
「上達したいから」
それで十分。
「もしも叶うなら…」
みたいな仮定法は
スキじゃない。
そんなコトばかり言って
何もしないよりも
叶うか叶わないかは
お構いなしに
自分がやりたいコトを
やるスタイルがスキだから。
自分が自分にオッケーを
出せてれば
他の人に認められなくても
バカにされても
嫌われても
気にならなくなってくる。
おじけづいて
何もしないよりも
怖くても
自分がやりたいコトを
やりとげたい。
昨日も今日も明日も
同じように過ごして
ただ惰性で生きていくよりも
たった1度の人生だもん
心が揺さぶられたり
恐怖心を感じたりしても
自分らしく生きていきたい。
な〜んて
相変わらず
口ばっかりは達者で
またかっこよく
言い切っちゃったけど
ゆるせない間違いもある
ってわかってる。
注射する人や箇所を間違うのは、ダメだよね。
道路標示のスペルを間違えるのもダメかもね。
こんな風に髪切られたら、
絶対怒って、やり直しかけさせるわ〜。
「間違いをゆるす」けど
「ゆるせない間違いもある」
なんていう
2つの矛盾する考えを
自分が同時に持つのを
受け入れるコトこそ
最強の「自分をゆるす」
っていう行為なのかもしれない。
だからそんな矛盾しちゃう
自分をゆるすのさ〜。