まじめがちょっとだけ好きになれた『わたしは、まじめちゃん。』
「まじめだね」と人から言われるのがずっと嫌いだった。呆れながらだったり笑いながらだったり、褒められたことなんかあったっけ? と首をかしげたくなるくらい、いい思い出がない。
「要領が悪くて面白みのない人間」そんなレッテルを貼られているような気がして、言われるたびにイヤな気持ちになることばかり。まじめは私のコンプレックスのひとつだ。
ライターでエッセイストの江角悠子さんが『わたしは、まじめちゃん。』というZINEを出されると知り、迷わず通販で購入した。
偶然SNSで江角さんの発信と出会い、繊細でやさしい文体や考え方に強く惹かれるものがあって、もう3年近くメルマガを購読させてもらっている。
私が捨てたくて捨てたくて仕方ない「まじめ」を、尊敬する江角さんはどう捉えていらっしゃるのか。まじめちゃんが得をするってどういうことなのか知りたくて、読んでみたら発見の連続だった。
タイトルにしっかり句読点があるのが、まじめだな~とまず思った。そして、目次には「まじめちゃんあるある」が並んでいて、たとえば
・白か黒かで考えない。グレーも選べると知っておく
・まず始める。始めてみてやりながら考える
・準備万端のときは永遠に来ない
・イヤなことは「イヤだ」と言っていい
・「こうあらねば」を「こうありたい」に作り替える
などなど「わかる~!」と共感の連続だった。
「まじめちゃん」は「こうすべき」が人より強いんだと思う。それが時々自分を縛って苦しくなってしまう。でもこの本は、そういった「まじめちゃん」のこだわりの強さや考え方の癖を否定せず、「こうすればいいんだよ」とヒントをたくさん教えてくれる。しかも、江角さんの実体験からのヒントなので、説得力がすごい!
特に『人の機嫌をとらない』は本当にびっくりしたから、どんな内容なのかぜひ読んで一緒にびっくりしてほしい。
中でも私が一番心を揺さぶられたのが、最後の『世界を信頼していない』のところ。読み続けるのがしんどいくらい胸が苦しくて泣きそうになりながら、でも一番胸に残った。
何度も何度も読み返しながら、私は今まで誰も信頼していなかったんだとなんだか悲しかったし、同時に世界を信じたい自分がいることにも初めて気づけた。
「まじめちゃん」が一人で抱え込みがちになってしまうのは、身に染みてよくわかる。江角さんの場合とは少し違うけれど、私は自分が限界までがんばっていないのに、誰かに頼るなんて失礼。自分にそんな資格なんてない、とずっと思って生きてきた。
私は他人のことも自分のことも信じていなかった。今この文章を書きながら、いったい何を信じて生きてきたのかと、悲しくなってきた。
いつかそんな感覚を味わってみたいし、私も誰かに信頼され、助けられる存在になりたいと思った。
まだまだ私はまじめを愛せないけれど、この本のおかげで扱い方がわかったので、前よりうまく付き合えそうな気がしている。「まじめなのが悪いんだ!」と自分に腹を立てるんじゃなくて、「まじめだからね」ってふっと肩の力が抜けたみたいな。
それでもまたいつか「まじめちゃん」な自分が苦しくなったとき、ページを開いて「こうすればいいんだ」を思い出していきたい。「まじめちゃん」でも大丈夫って励ましてもらえる、読むたびに心があたたかくなる素敵な本だった。
最後に、江角さんが何度も使われている「手放す」という言葉選びがすごく素敵だと思った。今の私には必要ないけれど、他の誰かには必要かもしれないし、将来また必要になるかもしれない。一度手を放してみて、必要だったらまた手に取ればいいし。そんなやさしさが感じられた。「捨てる」じゃなくて「手放す」。こういうやさしい心遣いがにじむ文章が書きたい!
江角悠子さんのnoteはこちらからどうぞ!