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靴下のかたっぽがみつからない ㉙離れていく人とわたし

仕事の方は、勤続年数もそれなりになり、仕事の内容は、もう長くいたので多少のアクシデントは乗り越えれました。
貴重な体験も仕事を通してさせてもらいました。
定期的に足運んでいると、自然と同じ顔をみることがあり、ちょっとした立ち話をする仲の人もいて、そのたった何分の立ち話で、えらく深い話になったりして、人って面白いなぁと思いました。

入社して8年目で、社長の息子さんが、新しい社長になりました。
私を妖怪みたいなあだ名で呼んでいた人です。
どうしても距離を縮めることは出来ませんでした。
2部屋程度の小さな事務所です。
他の従業員は基本現場なのですが、社長は事務所に残ることが多くなりました。
衝突が多くなり、大きくもなりました。

私は辞表を出しました。
社長は、私の封筒を見ると、「はい」といって受け取りました。
ものの10秒のやりとりでした。
あっけない、という言葉は、こういう時に使うんだということを知りました。
この10秒のやりとりは、正直へこみました。

わたしは42歳で、この会社に勤めて丁度10年が過ぎた時でした。

今思うと、あの頃からわたしは少しネジが外れてたのかもしれないです。

それからしっかりと、見事にひきこもりになってしまいました。
10年勤めていて、10秒の辞表のやりとりはさすがに落ち込みました。
それだけじゃなく、身体も心も疲れていました。

3ヶ月遅れの失業手当をもらいながら、就職探しをするのですが、また働ける気がしないのです。
目は求人情報が、するすると滑っていきます。
頭にちっとも入りません。

しばらくひきこもりながら、少し前から興味があった、何かを作って売る仕事を、始めました。
かなり気持ちが楽になるのですが、それは現実逃避だと分かっていました。

ひきこもりになってすぐのことです。
姉から一通のLINEをもらいました。
「心が折れました。もう連絡できません」
みたいな言葉だったと思います。
あまりの突然の絶縁宣言に驚いてしまいました。

姉とは歳が離れていたので、一緒に遊んだ記憶がありません。
私が中学の時にもう嫁いで家を出てましたし、あんまり私の人生で姉は登場しません。
でも気にかけてもらってたのか、大人になってから時々ご飯を食べたり買い物をしたり、姉にも子供がいたので、交流がありました。
土曜日仕事の時など、どうしようもない時アカネとアオイを見てもらった時もありました。
姉の子供が私の家に泊まりに来ることもありました。
そういう距離感でした。

歳が離れているせいか、肝心なことはなかなか強く言えませんでした。
基本私はワガママなのでしょう。
肝心なことは全然言えないのに、要らないくだらないことは、沢山言っていたのかもしれないです。
言い方がキツかったりしたのでしょう。
きっと自分勝手だったのでしょう。
優しい人ほど、突然離れると聞いたことがありますから。
姉なりに傷ついてたのかもしれません。
私の方がずっと我慢していたような気がするのですが、いきなりそんなLINEがきました。

私はどうやら、姉の気持ちも、丸めてしまったようなのです。
これは落ち込みました。
私は頭がおかしいのかと真剣に思いました。
そんなつもりじゃないのに。

それから間もなく、大事な人と生き方の分岐を知ることにりました。
その人とはかれこれ10年以上お付き合いをしてる人でした。
いつかの就職活動でお世話になったパソコンの講習会の先生が、紹介をしてくれた人でした。
すみません、どのタイミングで話をどこから切り出したらいいか分からず、このタイミングになりました。
私はもう学生の頃から結婚願望がある人間でしたから、再婚をしたかったのですが、相手は結婚願望が無い方でした。
それでも、2回、3回、再婚話が出たのですが、流れちゃいました。
その度に、私という存在は、この人の人生には必要とされてないんだなぁと、悲しかったです。

最後に結婚をしようと約束した時は、2年後の、アオイが高校卒業する年にしようという話でした。
でも、、いざ卒業が目の前に来た秋に、あぁ、本当に彼は結婚する気がないのだな、と、言葉尻でわかりました。
「困ったことがあったら、なんでも言ってね、僕にできる事があったら。」
と、よく言ってくれてました。
困った時って、沢山あったけれど、いつ言えばよかったのかな。

まぁこんなに拗らせれる人間なので、お付き合いできただけ奇跡かもしれませんね。

と、分かっていても、当時の私の中で大打撃でした。
なんと言っても交際は10年を超えてましたから。
再婚する気がないなら、もっと早くに別れてたら違う人生があったかもしれないのに、と思ってみたり
いやいや、最初からないのはわかってたことじゃん、と思ってみたり。
なんとも、情けない話です。

彼とはもうダメなんだ、そう分かった日の夜は、隣にその人がいて寝ているのに、私はずっと泣いていました。
彼も似たようなことを感じ取ったのかもしれません。
もう聞けませんけどね。

続けて色んなことが、離れていってしまいました。

そもそも、なんで私は何をやってもこんなに上手くいかないんだろうと、思いました。
思い返せば子供の頃から、よく泣く子で、かけっこでいつもビリでした。
人にされて嫌なことはしない、人の悪口は言わない、守ってきたつもりなのに、、気がつくと誰かを傷つけてる自分がいます。

これまで本当に沢山の人を傷つけてしまいました。
あんなに大事なアカネにすら、あんな酷い怪我を負わせてしまいました。
なんでこんなに生きにくいのか、頭がおかしいんじゃないかと思いました。
子供の頃はフサコさんの元で育ったから、色んなことがしょうがないと思ってきました。
けど、どうもそれだけじゃなくて根本的に私の頭がおかしい気がしました。

その日は、アオイは普通に学校に行く日でした。
私はふと、アオイに
「今日学校さぼって、どこか一緒に遊びに行っちゃおうか」
と誘いました。
アオイは、今日はテストだからそんなの無理だよと言いました。
そりゃそうですよ。
何か小さなケンカもしました。

アオイが学校へ行ったあと。
ふとつい先日見たテレビを思い出しました。
季節は雪が降るのを目前にした11月でした。
新潟のどこかに、白鳥がみれるところがある、とやってました。
その映像がとても綺麗で、見に行ったら元気なるかもと思いました。

車泊は子供と海に遊びに行っていた時に体験をしているので、慣れてます。

アカネは当時はもう短大生で家を出てたので、アオイと二人暮しでした。
私はアオイに、簡単な置き手紙をしました。

簡単に身の回りのものと、布団を詰めて、新潟へ車を走らせました。
もう二度とこの家にと戻ってこないかもしれない、みたいな気持ちにもなってました。
いや、ちょっと見に行くだけだから。
自分に言い聞かせました。

ちょっと心の整理をしにいくだけだから。

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