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靴下のかたっぽがみつからない ⑰また、ひいばあさんとわたし
ひいばあさんと、生活を共にしていると、ひいばあさんは沢山面白い話をしてくれました。
といっても、ひいばあさんは、別に私を面白がらせようとして話をしてくれてるわけではなく、単に私にとって興味深いはなしばかりだったのです。
爪をパチンパチンと切りながら、
「楽してるからこんなに伸びてしまった」
と言います。
爪は勝手に伸びるものじゃないのかと聞くと、
「昔は、昼間は畑仕事をするし、夜は夜で縄をなったりするから、爪はどんどん削れていって、伸びる暇が無かった」
と言います。
なんということでしょうか。
昔の人って本当に働きもの……
ひいばあさんが小さかった頃は、本当に川で洗濯をしていたそうで、それも大変だった、今は洗濯機があって楽になったとも言っていました。
もともと、ひいばあさんが生まれた家は田舎の田舎の山の中の家で、冬に生まれても、雪で役所に行けないから、雪が解けた頃バスに乗って役所に出生届を出すので、誕生日は自然と「語呂合わせのいいこの日にしよう」とか、「この日は縁起が悪いからズラして提出しよう」とか、かなり自由だったらしいです。
たくさんの兄弟の中の何番目かの娘として産まれて、こんな田舎でこんな兄弟が、わんさかいるなかで生活するなんて嫌だなぁと思っていたら、
ある日親戚に自分は貰われていったとのことで。
親戚の人曰く、子供が沢山いるから貰いに行ったら、膝の上にぴょこんと座ったのが、ひいばあさんだったらしく、そのまま貰ってきたそうです。
今じゃ信じられないですね。
そんな話を沢山聞かせてくれるのです。
中でも1番印象深かったのは、
昔の人はとにかく忙しかったという話からだったのですが。
夫婦で日が出る前から畑に行かなくては行けないので、赤ちゃんがいれば、囲炉裏の近くの柱に、おむつを何重にも当てられて、長い帯びて少しハイハイが出来るくらいにして縛り付けとくそうなのです。
おっぱいを沢山上げて、オムツでカチカチになったお尻の赤ちゃんを残して、畑仕事にいき、帰ってくると赤ちゃんは、涙と鼻水で顔がカピカピになって泣き疲れて寝てるそうなのです。
昔はそう言う時代だったと、ひいばあさんは言いました。
今だったら虐待で通報ですよね。
でも、今は簡単火がつくコンロはあるし、お風呂はボタン1つで沸くし、洗濯も川に行かなくていい、こんな便利な世の中になったから、今のお母さんたちは可哀想だと言われました。
なんで、可哀想だと思うのか聞くと、
その分子守りという負担が増したというのです。
その時は意味がわからなかったけれど、子育てを終えてみると、なんだかわかってしまう自分がいます。
ネットでたまに、学生がふざけてやった動画が炎上して、殺人事件と同じ並びのニュースになるほどになるときは、ネットコメントでは当たり前のように親の話も出てきます。
わたしは、調子に乗ってしまった子どもも、その親も、みんな気の毒に見えてしまいます。
むしろ、世の中のみんなは、そんなにみんな、立派な生き方をしてるのかと感心してしまいます。
そして、子どもも。柱に縛りつけられて、涙でカピカピな顔になっても、当時は戦争があったりして、死んでいく人は大抵「お母さん」と心に思い浮かべて戦死をしてたりするのですよね。
今は毒親や親ガチャという言葉があるのに、その差は一体何なのでしょうか。
未だにふと思う時があります。
そんな私は、ひいばあさんに、人としていろんなことを教えてもらいながら、そりゃもう可愛いアカネを一緒に子育てできて、本当に有り難かったです。
私はと言うと、アカネは本当にママっ子で、わたしにぺったりで子育ては大変でしたが、すごく幸せな時代を過ごしました。
2年後には2人目が生まれました。
「アオイ」といいます。
私は24歳で2児の母になりました。
本当に大変でしたが、今思い出しても胸がいっぱいになって涙が出そうになります。
山の中を子供と散歩している風景が今だに残っています。
夏は暑くて水筒をもっていきます。
トウモロコシ畑の横を歩くと、少し遠くに中学校がみえて、吹奏楽の音がします。
冬はアカネもアオイも顔を赤くして、それでもススキの穂を元気に振り回しています。
干し柿が枯れた山を背景にして、鮮やかに見えます。
もう昔の私はそこにはいませんでした。
お風呂に入らず、お腹の当たりを黒くした体操着を着ている私、前髪をビニールテープで縛られてる私、靴下の片方がみつからなくて学校を休む私、ゴミを投げられて「死ね、むかつく」と言われた私、どれもここにはいません。
そんな中、たまたま立ち寄った本屋さんで、衝撃の本を見つけます。
「片付けられない女たち」
というタイトルの本だったと思います。
フサコさん??!と思って本を読むと、学習障害というものがあって、片付けられない人がいると、大人になってからその障害に気づく人がいる、と書いてあるのです。
チェックリストをみてると、9割方フサコさんです。
もはや、フサコさんの説明をしてるような項目です。
ちゃんとアルコール依存や買い物依存になりやすいとも書いてありました。
そこで、ようやく私は腑に落ちたのです。
あぁ、フサコさんは学習障害だったのか……と。
そうなると、全ての行動に納得が行くのです。
私、大変だったわけだ……
しばらくその日は余韻に浸りました。
今思うと、そんな人の心配をしてる場合じゃないのですけどね。
二人目が生まれた頃から、私はカンちゃんとあまり顔を合わせなくなりました。
カンちゃんがセミになるからです。
カンちゃんはお店の店員さんにもセミになるし、保育園の他のお母さんたちがいる前でも、私にセミになります。
正直カンちゃんがセミになる理由は、
「たかだかそんなことで」
と思う理由ばかりでした。
店員さんの態度が悪かったから、保育園で使う私の作ったお面が下手だったから、そんな程度です。
あんなに好きだったのにな。と、自分の気持ちが信じられない気持ちにもなりました。
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