見出し画像

靴下のかたっぽがみつからない ⑲カンちゃんとお義母さんとわたし

その間、家でも大きな変化がありました。

カンちゃんのお店が、危うくなってきたのです。
ただでさえ、お客さんが減っているのに、お店の家賃やらの経費がらかかりすぎて、網の空いたザルにお金を入れていると、カンちゃんはボヤいてきました。
私はそれなら、初期投資してこの今住んでいる家の庭にお店を移転してはどうかと、提案しました。
普通の住宅地の庭にポツンと飲食店です。
でもたまに、そういう隠れた銘店みたいなことをしているお店もありましたから、やれないことはないと思いました。
ただ、そう言いながら、大きな不安がありました。

今はひいばあさんと私と、アカネとアオイの4人暮らしのような生活です。
ここに、お義母さんとカンちゃんが毎日いるのかと思うと、その距離感はうまくやっていけるのだろうか、という不安です。
あんなに好きで結婚したのに、そんな不安が起きるなんて自分を否定したい気持ちになりました。

私の提案は見事に採用されて、本当に「あ」と言っている間に庭にお店ができました。
これは私だけでなく、お義母さんもカンちゃんも、生活スタイルから何から大きく変わりました。

私は当時、時間が不定のアルバイトをしていました。
子育てサークルがあったので、時間に融通のきく仕事は大変ありがたかったのですが、とにかく肉体労働でした。
夕方のうちに自分の車に決められた荷物を乗せ、翌朝子供が寝ているうちに配っていきます。
時間を見ていったん家に帰り、子供を保育園に送り出すと、また残った仕事をします。
荷物はとにかく重いので、大変ですが、絶対その日でなくてはいいので、やることさえやれば、前倒しで少し仕事量を増やしてもいいし、子供が熱を出せば次の日に持ち越すことも出来るので、自由に自分の力量で調節できるのがとても魅力的でした。
普通に働くことは、仕事の内容や人間関係が心配だったので、一人で動けるこの仕事はとてもありがたかったです。

寒い冬は、とにかく防寒をして運びます。
暑い夏は、とにかく汗だくです。
ふらっと家に帰ると、お客さん待ちのカンちゃんがいつもソファで寝ています。
私は汗だくで、朝暗いうちから働いていて、疲れて帰ってくるといつも寝ています。
本人曰く、夜はよく寝れないそうです。
そりゃそうだ、昼間そんだけ寝ているのだから、なんて言えません。
かと言って、自分からお金を作ろうとしません。
カンちゃんは、過去2度くらい、掛け持ちで仕事を始めました。
けどプライドがあるのか続きませんでした。
1個目は怒ってやめてしまいました。
2度目は体調不良だといってやめてしまいました。
お店でお客さんがこないなら、出張で出店したり、何かやりようがある気がするのですが、それは出来ないと理由をつけてきます。
そうなんだね、と、私は会話を終わらせます。
ケンカらしいケンカはしません。
カンちゃんも怒るとセミになってしまうからです。
子供の前で、それだけは見せたくありませんでした。
そして私自身、そういう争いをしたくありません。

そのうち、カンちゃんはゴルフを初めました。
運動にもなるし、交流が深まるので最初は私も賛成してましたが、どんどんカッコイイ道具と服が増えていきます。

その頃ガソリン代を二千円しかもらえない制度は本当に辛いと訴えて、週に1回5000円をくれることになりました。
もう夫婦生活が破綻する寸前の、救済方法です。
私はアルバイト代を家に入れなくていいといってもらえたので、自分のアルバイト代とその5000円で生活します。
家賃の心配はないし、冷蔵庫を開ければひいばあさんやお義母さんが買った食材を、使っていいか聞いてから使いますから、自由なのにとても不自由な生活です。

好きな物を自分で選びそれを使って暮らす日常に、激しく憧れました。
周りのママさんたちは当たり前のようにしているのにと思いました。

そのせいか、私はニュースで物を寄付を贈る団体に違和感が今でも湧きます。
食べるものはこれ、着るものはこれ、ランドルは赤のこれ、それは本当に困ってる人には助かるけれど、それが毎日となるとその人の日常生活は置き去りにされるのではないかと、漠然としたモヤモヤした気持ちになります。

自分のことを自分で決めれる幸せを知ってしまった私は、尊厳がないがしろにされている気がしてしまいました。

冷蔵庫をあけると、私はは高くて我慢ししているコンビニの、新商品のお菓子が相変わらず入っています。
いいんです。
食べたいものを食べればいいのです。
生きてるのですから。
そして、カンちゃんは自由に飲みにいったり、パチンコに行ったりします。
ゴルフを始めて道具はどんどん増えていきます。
私と子供と出かける時は
「今日一日で一万円も使っちゃったよ」
と言われるといつも、ありがとうね、ごめんね、と言っていたのに、その道具たちを見るたびにチクっとするのです。

家に誰もいない時にたまたま新聞屋さんが集金に来て、私が立て替えて払うのはいいけれど、その立て替えた分のお金をカンちゃんに欲しいというと、またいつもの、渋々な顔で手渡されます。
よく分からないけど、
ありがとう、ごめんね、といってしまいます。
相手が不快になったなら、まずごめんねを言いたいですから。

お店が家に建たってから、お義母とも距離感がおかしくなりました。
そうでなくても、
「ナツゴロウちゃんは家事が苦手」
と言われています。
お義母さんは、明らかにあたりがキツくなりました。

おかしいな、わたしはやっぱり、靴下のかたほうを探すような気持ちになります。

ある時、保育園のシステムが変わって、兄弟間で保育園に預けていると、一定のお金が免除されて返金されることになりました。
ある程度のまとまったお金です。
他のママさんたちは、歓声を上げました。
棚からぼたもちのような気持ちですよね。
わたしも一緒に喜びました。

でもわたしの家では、お義母さんとカンちゃんで、そのお金をどうするか話をしています。
お店の支払いをして、残ったらカンちゃんの服を買うんだよ、とお義母さんは言いました。
そもそも、保育料はわたしのアルバイト代からではないので、もらう権利はありません。
分かってはいたけれど、夫婦ってなんだろうなと思いました。

そのうち子供達が身体が弱いからと、身体を使った習い事を始めさせたいとわたしは言いました。
カンちゃんとお義母さんに納得してもらわないといけません。

承諾してホッとしたもらったものの、少しゾッとしました。
これから子供にそういった悩みはどんどん増えていくと思います。
習い事はもちろん、部活は何がしたいと言ってるよ、
自転車を買いたいんだけど、
(歯並びが悪かったので)歯の矯正をさせたいんだよ、
きっとその先、進学させるか、大学に行かせるか、

その度に、ひいばあさんから言われた「ごめんね、カンちゃんはケチで」という言葉が頭をよぎります。
お義母さんにもいちいち言われるだろうか。

カンちゃんはたまに
「今時大学に行っても就職率は低いらしいよ」
とか
「この家では贅沢させてあげれないから、進学させなくていいよね、それが全てじゃないし」
と念を押すように言ってきていました。
あなたは贅沢しているのに、なんて言えませんでした。
どうして言えなかったのでしょうか。
セミになるのが分かってたから?でも、セミになっても話をすればよかったです。

その頃から、夜になるとわたしは子供を寝かしつけたあと、よくわからないけれど一人で泣くようになりました。
この家ではわたしの存在は無くてもいいんではないか、人権がない、生きている意味があるのかなとか、
とにかく何か悲しいのです。

どんどんすれ違いをが出てしまいました。
お互い見る角度が3度でも違えば、進むと日に日にどんどん離れてしまいます。
気がつくと、私とカンちゃんは、全然違うところに立っていました。

そして、夫婦の足元がもう壊れかけていな中でのちょっとしたアクシデントで、もう完全に壊れてしまいました。
(すみません、未消化中です)

ここまでお話をすると、本当に自分こそ、酷い嫁だったとおもいます。
友達と好きなことをして、
好きなように働いて、
文句は言ってこないで、何を考えてるのか分からない、
ぶつかろうとしてこない、
貧困で食べるものがないわけでないのに、何贅沢言ってるんだ
って話でしょう。
でも、何が悲しいのか、よなよな一人で泣いてしまいます。
仕事で車で運転をしていて、夜明けが綺麗だと泣いてしまいます。
空が綺麗だと、泣いてしまいます。
テレビを見ていても、普通のCMを見てるだけでも、涙が出てきます。

一体私はどうしたかったのでしょうか。

あと半年で10回目の結婚記念日を迎える、そのくらいの時期に、私は
「ごめんね、もう無理だよ」
と、カンちゃんに言いました。
半年後に出て行くと言いました。
そうは言っても、迷いは残ります。
カンちゃんも、考え直して欲しいと言ってくれました。

それからかなり迷い、あと、1ヶ月でタイムリミットがくる、そんな時に、カンちゃんに
「出てくなら携帯の契約が家族になってて支払いが自分の方にきちゃうから、契約変えといて。ほら、携帯代って1ヶ月くらい遅れて来るでしょ?」
と言われました。

あっさりしました。
私の迷いは嘘みたいに晴れました。

結果、私は30歳で離婚をしました。
20歳で結婚したので結婚生活は10年でした。


いいなと思ったら応援しよう!