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1513 #2日目
はじめましてこんにちは
このnoteを開いてくれてありがとう。
今日はこの題名にしようと意気込んで文を書いている。
今日のお話
2つの話を書いているが、不思議と通ずるものがある。
Youtuberの引退
いつもみたいにsnsを見ていると、見知った配信者の方が引退を発表していた。少し見てみると、かれこれ半年以上活動を休止していたらしい。
元々ファンという程でも無かったので、その話すらも今日知ったのだが、不思議と悲しくなっていた。
もし、感情が権利によって主張されるものだったとしたら、今日の僕に悲しむ権利は無かっただろう。
ただ、もうその配信者を見れなくなってしまうのかと考えると、悲しくなってしまうものだ。
昔、好きなバンドがいた。もちろん今でも好きだが、肝心のバンドがもういない。10年以上前にボーカルがいなくなり、今年バンドも解散してしまった。
バイト先の解体作業
実は今日、バイト先が無くなった。昨年の終わり頃に無くなることが決まっていたらしい。
当然のように今後もあるものだと思っていた場所が消えることに驚きはあれど、深く考えることはあまりなかった。
しかし案外、寂しいものである。どう頑張っても泣くなんてことはないのだが、それなりの長い付き合いも相まって、多少の虚無感は当然のように感じていた。
今日も今日とて、少し早く家を出る。
イヤホン越しに聞こえる踏切の音を頭に刻みながら、もう見ることのないバイト先へ向かうその道は、特に変わらずいつも通りであった。
最後に
もし、今日知らない誰かの引退発表や、どこかのお店が潰れたニュースを見ても、僕はあまり悲しんでいなかっただろう。多くの人もそうかもしれない。
ただ、なぜだろうか。考えるのもおかしいかもしれないが、理由を少し考えてみた。
多分それは不可逆性の感じ方なんだと思う。
誰かの引退だって、その人が死ぬわけでもないから、傍から見たら何かを失ったという気持ちにはあまりなれない。ただ、その活動を知っていた人にとっては、そのバンドとしての誰か、配信者としての誰かを失う事になってしまう。
結局感じ方は人それぞれってことだ。
p.s. 少し話は逸れるが、1つ目のnoteにいいねが2つついていた。率直に嬉しい。加えて僕を見つけさせてくれた「#」は凄いなと。
ただ、その人達がまた僕の記事を見つけてくれることは奇跡みたいな確率なんだろうなと思うと、一つ一つの出会いを大切にしなくては、とも思った。
noteで見てくれてるから「一期一見(いちごいちみ)」なんて語呂を考えて、今回の題名にしてみた。
長くなってしまったが今日はこの辺りにしようと思う。
ここまで読んでくれた君に幸あらんことを