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【物語】楽しみは今

海に連れて行ってくれるって言ったのに。

僕は、うきわや水着が準備された自分の部屋の中、ど真ん中で体育座りをしてふてくされていた。雀がちゅんちゅんの機嫌よさそうに鳴いている声さえうっとうしく感じる。

そう。
僕は今、盛大に拗ねている。

今日は、海へ出かける約束をお父さんとしていた。

お父さんはまだ35歳なのに、みんなに慕われてこの村の村長をしている。お父さんは優しいから、困っている人がいると必ず手を貸す。
優しくて頼もしいお父さんは、僕の憧れであり、自慢だ。

でも、今回は許さない。

今日この日だけは、お父さんが仕事を休んで僕を海に連れて行ってくれるはずだった。

お母さんが体調を崩してから家に一人ぼっちの僕は、それをずっと楽しみにしていた。

この日のために、夏休みの宿題も頑張った。
この日のための準備だってした。

しかし、村でトラブルがあったらしく、朝一番でお父さんが家を出てしまった。

お父さんは、申し訳なさそうな顔をして僕に言った。

「早めに終わらせてくるから。」

僕は、唇を尖らせてお父さんを見送った。
そして、準備万端の部屋の中で一人、体育座りをして不貞腐れた。


約束してたのに。
------いらっとする。
楽しみにしてたのに
------寂しい。
後回しにされた。
------悲しい。
夏休み、海に遊びに行った子がいたのに。
------羨ましい。
お父さん、早く帰ってこないかなあ。

その時、僕はいいことを思いついた。

作業が早く終われば、お父さんはすぐに帰ってくる。
もし荷物を持ってお父さんの仕事場の近くで待っていたら、仕事が終わったお父さんと、すぐに海に行けるんじゃないかな?
そしたら、ちょっとでも早く海に行けて、ちょっとでも長く遊んでいられる。

僕はバタバタと準備万端だった荷物に、2つのペットボトルと小型扇風機、保冷剤をもって、家を出た。
玄関を開けると、夏にしては涼しい風が吹いてきた。
これなら、外で待っていても大丈夫だ。


僕は身支度をして、家を出る。
お父さんの仕事場の近くにある花畑でお父さんを待つことにしたのだ。
村役場をのぞき見したら、窓越しにお父さんと目が合った。お父さんがびっくりして目を見開いたあと、手のひらを合わせて小さく「ごめんな。」を作った。僕は小さく頷いて、両手に握り拳を作り、「頑張って。」をした。

村役場の人が中で待つように言ってくれたが、外の風が心地よかったので、断った。色とりどりに咲く花を見ながら、僕はお父さんを待った。

村役場が、ばたばたとより一層騒がしくなった。






私が仕事を終えたのは、憎らしいほど美しく星が輝く時間だった。
村役場の裏にある花畑に向かう。

ホーホー、とフクロウがなく。
夏にしては少し肌寒い。秋の気配を感じた。

柔らかい土と優しい花畑、満天の星と満月の下に、息子がいた。

遥斗はると。」

私は、小さな背に呼びかけた。
遥斗はるとは、白いTシャツの袖でごしごしと顔をぬぐった。
ぐすっとはなすすった。

私に涙を見せまいとする健気さと、楽しみにしてくれていた気持ちを台無しにしたことへの申し訳なさで、私は次の言葉をためらった。

この子は、「今日」海に行きたかったのだ。
「今日」のために、たくさん準備をして楽しみに待っていたのだ。

別の日にお出かけをしようといっても、「今日」を楽しみにしていたこの子の気持ちは報われない。



だって、「今日」を、
楽しみにしていたのだから。


私は、後ろ手に持っている買い物袋をぐっと握りしめた。
買出しに行く職員にお願いして買ってきてもらった、「今日」を楽しみにしていた息子への贈り物。

息を吸う。
涼しい風が胸いっぱいに広がって、少し痛んだ。
それを振り切って、腹に力を込めていった。

精一杯の謝罪と、「今日」を楽しみにしていたこの子へのお礼を込めて。

遥斗はると、今日は本当にごめん。お出かけは、別の日に必ず行こう。でも、今日を台無しにしたりはしない。実は、花火を持ってきたんだ。」

私は買い物袋いっぱいに入ったたくさんの花火を遥斗はるとに見せた。
振り向いた遥斗はるとは、タタっと私のもとに駆けてきて、袋の中をじっと見た。

涙を貯めた目に、花火が映る。
そして、私を見た。

その目には、涙と、涙に浮かぶ月明かりが宿っていた。
月が映る水面が、はらりと頬を伝った。
頬は少し赤らんでいる。

「待っていてよかった。」

息子がそう言って、私に抱きついてきた。
私は、息子を抱きしめ返した。

風が吹いて、花弁がふわりと舞った。
色とりどりの花を見ながら、どこで花火をしようか考える。

すぐ近くにある小川沿いにしようか。
海の代わりにはならないけど、水面に映る花火もきっと綺麗だから。




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勿忘草(わすれなぐさ)
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