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【物語】まだ見ぬ宝石
もう、何のアイディアも出てこない。
今すぐ、ここから逃げ出したい。
期待を寄せる声からも、作らなければいけない作品からも、目の前に佇むパソコンからも。
私は薄暗い自室に光る、パソコンを見た。
メール画面。本文は短い。
「締切から1週間経ちました。原稿の進捗はいかがでしょうか?先生。」
心臓がドクドクと騒ぐ。
アイディアを探しに行かないと。
私はメールに返信もせず、コートに身を包み手提げカバンをもって町に出た。
心臓はずっとドクドクしてる。
白く小さな雪がちらちらと降る町の商店街を、あちこちに目をやりながら歩く。とにかく、小説のアイディアが欲しかった。
小説家は、私が小学生の時から憧れていた職業だった。何度も何度も出版者に応募して、4ヶ月ちょっと前、やっと1社声をかけて貰えた。そこで、2週間に1回、短編小説を雑誌に載せてもらえることになった。
小説家としての夢が叶った。
雑誌の掲載が決まった日、秋の風に散るもみじが紙吹雪のように舞っていた。私を祝ってくれているようで、誇らしかった。
それから3ヶ月、私は何でも書けた。
どれほどにだってアイディアが浮かんだ。
私の中に確かな希望が見えた気がした。
そんなある日。
編集の方から電話があった。
「一本、連載で長編小説を書いてみませんか?」
私はその話に飛びついた。
長編を書くことが決まれば、しばらくは仕事が来る。それに、もし成功したら本が出せるかもしれない。
期待に胸が膨らんで、すぐにその依頼を引き受けて、長編小説を書き始めた。
そうして1ヶ月。
私はまだ長編の冒頭さえ描き上がっていない。
原稿の冒頭部分の締切は、先週だった。
それさえ満足に書けなくて、1週間待ってもらった。それでも書けなかった。
サクッサクッと新雪を踏む。
誰の足跡もない、まっさらな雪の上を歩く。
分かってる。
本当は自分に才能がないことくらい。
分かってる。
しょせん、夢は夢なのだ。
分かってる。
分かっていたはずだった。
それでも、何かがあると信じたくて。
この場所に、何かがあると信じたくて、1人商店街を歩く。
人気もない、平日の商店街。
しばらく歩いたが、何もなかった。
悲しいことに、発想の欠片も降りてこなかった。
何もない。
何にも、ない。
今の私にお似合いの、何もない場所だった。
まだ諦めきれず、商店街を何度も歩き回る。
空っぽなんかじゃない。
何かはきっとある。
そう思いたくて、見渡して、見渡して、、、
小物屋さんと服屋さんの間に、通路を見つけた。そこには「魔法道具、売ります」と書かれた小さな看板も見えた。
―ここになら、何かがあるかも。
小物屋さんと服屋さんの間にある通路を、体を横にして通った。アンティークな扉の前に立ち、祈るように扉を開けた。
扉を開けると、ハーブの香りがした。
店内を見渡すと、美しいガラス瓶の中に鮮やかな色をした液体が入っている。マニキュアのような、惚れ惚れする程の色。
お店の中が少し白っぽい気がする。湯気?何かを沸騰させているのだろうか?
「いらっしゃいませ。」
女性の声にハッとして顔を上げる。
少し暗い店内の奥に、黒いマーメイドドレスを着た女性が1人立っていた。
底知れぬほど暗い黒い瞳と長い黒髪。肌は病的なほど白いのに、儚さも脆さも感じない。
こちらを向いて微笑む姿は、この世のものではないほど艶やかで美しい。この人が、『魔法道具』を作っている『魔女』だと言われたら、納得してしまいそうだ。
「お探しのものはございますか?」
女性は穏やかに、けれど全てを見透かしたような雰囲気のまま続ける、
「いえ、「魔法道具」という言葉を見かけて、どんなお店だろうと思って、、、」
静かな店内。こぽこぽとお湯が沸騰する音がする。やっぱりお湯を沸かしていたのか。
いい場所だ。落ち着くし、ここならアイディアが浮かびそうだ。もう少し、ここに居たい。
「そうですか。もし良ければ、おすすめの商品をご案内致しますが、いかがでしょう?」
私は女性の言葉に頷き、店内に足を踏み入れた。
お店の窓の近くにある黒い木の机と椅子に案内された私は、店主に入れてもらった薄紫色のハーブティーを一口飲み、ほっと息をついた。
スっとする爽快感と、控えめな華やかさが落ち着きをくれるハーブティーだ。心にあった澱みが、少し払われた気がする。
「ハーブティーはお気に召しましたでしょうか?」
手に持っていた小さな小箱を机の片隅に置いて、店主が、ゆったりと私の向かいに座る。
「はい。ありがとうございます。これもなにか、『魔法道具』にまつわる商品なのですか?」
アイディアになりそうなものは、全て聞こう。
「はい。これは、歌う花から作ったとびきりのハーブティーです。飲んだものは、一晩中歌いたくなります。」
「え!」
私は思わず立ち上がり、透明なカップに注がれた薄紫のハーブティーを見る。歌いたくなる?え?どういうこと?歌いたくなってくるのかな?
「ふふ。」
店主は口元をおさえて笑った。
「冗談です。あまりにも必死にハーブティーを見つめるものだから、つい。」
からかわれたのだと知って、少し顔が赤くなる。
必死。
必死か。
「悩みがあって、切羽詰まった顔をしていたかもしれません。」
私は、もう一度椅子に座った。
ハーブティーを覗くと、淡い紫色の水面の向こうに、隈ができた化粧もしていない女が見える。
私だ。
「ここは、なんでも手に入る『魔法道具』を売るお店です。あなたにピッタリな道具を見繕ってきました。」
え?
まだなんの話もしていないのに、、、?
狼狽える私に構わず、店主が小さな箱から何かを取りだした。
箱からでてきたソレは、夏の海のような深い青をしたガラスペンだった。
「これは、『天地のガラスペン』です。手にしたものが頭の中に思い描いた景色を、絵にしてくれる魔法のガラスペンです。インクがなくても、このペンを持ったものは自然と様々な風景がかけるのです。何も思いついていない時は、『海』『空』などの単語を思い描けば、すぐに美しい風景を描いてくれます。」
え?
私は食い入るようにガラスペンを見た。
そんなものがあったら、物語の舞台をすぐに作り出せる。いくらだってアイディアが湧くに違いない。
欲しい。
いや、これよりもっといいものが出てくるかもしれない。
私は緊張をほぐすようにハーブティーを一口飲んだ。
「いい商品ですね。ほかにありますか?」
店主は「ええ。」といって微笑みを浮かべて、ガラスペンを机の脇に置いた。そして小箱に手を伸ばすと、次に鍵がついた辞書のような本を取り出した。
古いがアンティーク調の文様が美しい。
アルファベットでもラテン語でもない謎の文字が、本の縁を飾っていた。
「この本は、『お話し好きの本』です。たった一言でも右側のページに文字を書くと、左側のページに物語が浮かび上がってきます。もちろん、一言だけではなく、文章でも物語が浮かび上がります。昔、このノートに浮かび上がった言葉を元に物語を書いた人もいたとか。まあ、噂ですけどね。」
喉から手が出るほど欲しかった。
物語の冒頭だけで、いや、一言だけで物語が書ける?そんなものがあるのであれば、いくらだってアイディアが尽きることなんかない。
けれど、慎重に。
一つ確認しておきたいことがあった。
「右側にキーワードになる言葉や文章を書いて、浮かび上がるのは左側のページだけですか?」
ノートの右左だけでは、文章が短すぎて短編にもならない。
「ええ。この本では、物語を書いてくれるのは左側のページだけです。」
少しがっかりした。
その様子を察したのか、店主が私に尋ねた。
「もう少しお時間はありますか?良ければ、あと1つ、商品をお見せします。」
どこまで私を見通しているかわからない瞳で、店主は私を覗き込む。
私は首を縦に振った。
小説を書けるようになるなら、死神に縋ってもいい。
「少々、お待ちください。」
店主はそういうと、マーメードドレスの裾を翻しながら店内の奥へと姿を消した。
店主がいなくなって、少しがらんとした店内。
静かな店内の居心地が悪くて、私は優しい紫色のハーブティーに両手を添えて、水面を覗いた。
そこに、不安げな表情をした私が映っていた。
何が出てくるだろう。
値段はいくらだろうか。
そういえば、今は何時だろう。
編集者に返事をしないと。
いや、アイディアが湧くまで返事などできない。
不安でハーブティーの向こうにいる私の顔が歪む。
いや、違う。
歪んだのは、私が震えているからだ。
ティーカップを持っている手が、震えているのだ。その震えが伝わって、ハーブティーの水面が歪んでいる。
心のどこかで、私は怯えている。
気づきたくなくて気づいている事実に、怯えている。
何に怯えているの?
ー私に。
どうして私に脅えているの?
ー私が、私を失おうとしているから。
私を失うって、なに?
ー私が私でいられなくなることだ。
そうだ。
これらの道具を使って私が小説を書いたとして、それは私の小説なのだろうか?道具を使えば誰でも書ける小説など、私が書く必要はない。
「私」が、「私」の言葉で綴るから、意味があるのだ。一度でも「私」が「私じゃない作品」を書いたら、「私」は「私の言葉」を失うだろう。
そう思っても、アイディアが浮かばない。
いまの私には何かに頼るしかないのだ。
このままでは、私は私の言葉を失う。
誰でもいえる言葉しか、言えなくなる。
それがわかっていてなお、私は縋る。
小説が書きたい。
何を失ってもいい。
私の中の全てを失ってもいい。どうせ大した価値などない。今小説が書けなければ、それこそ私に価値なんかない。
書く才能が、欲しい。
「お待たせいたしました。」
顔をあげると、店主が私を見ていた。
凛々しい表情の中に、少しだけ心配するように眉をゆがめている。
「切羽詰まった表情をされていますが、大丈夫ですか?ハーブティーが、お体に合わなかったでしょうか?」
いつの間にか、眉間に皺を寄せて厳しい顔をしていた私を、ハーブティーの向こうの私が見ていた。
「いや、、、心配おかけして申し訳ありません。大丈夫です。」
店主はそれ以上は何もいわず、私の向かい側に座った。そして、唐草模様が彫られた美しい小箱を私に見せた。そして、私に見えるように箱を開いた。
何が入っているのだろうか。
徐々に開く箱を覗く。
箱が開いた。
が。
そこには何もなかった。
空っぽだった。
「あの、何も入っていないのですが、、、」
私が恐る恐るいうと、店主は私を見た。
私と店主の目が合う。
相変わらず感情が読めない目。
でも、まだ心配の色が浮かんでいるような気がした。
「この箱の中には、『宝石』があります。」
店主が指先を揃えて箱の中を示す。
何も入っていないのに、貴重品が入っているような仕草で、箱の中を示し続ける。
「ここに、『宝石』があります。まだ入っていませんが、あなたがこの箱を買ったなら、ここに『宝石』が仕舞われます。」
店主が何をいっているかわからない。
私は目線を泳がせた。
ハーブティーが目に映る。
冷え切ったハーブティーからは、湯気も上がっていない。急に、部屋の温度が下がったように、寒さを感じた。店主が息を吸う音がした。
「この箱は、箱の持ち主が望む才能以外のすべてを『宝石』にして仕舞うことができます。」
どういうこと?
「この箱に、『あなたが望む自分の才能』以外のすべてを仕舞うのです。そうすれば、『あなたの望む才能』だけが、あなたの中に残る。他の全てを仕舞って、強制的に才能を開花させるのです。」
ゾッとした。
私という器の中に、1つだけ才能を残す。
他のもの全てを取り除けば、私という器は、残された1つの才能だけを持って生きることになる。
なるほど。
自分の中にたった1つしかないのならないのなら、それ以外なにもないのなら、私は『自分の才能』だけに生きることができる。
これがあれば、自分を見失うことはないだろう。
だって、『自分の中にある』『自分が望んだ』『才能』なのだから。
それ以外、全て失っているのだから。
悪魔のような道具だ。
そして、優しい店主だ。
私は、ふっと息を吐いた。
息を吸う。
そして店主に一つ聞いた。
「店主さん。」
店主は、私の眼をまっすぐ見たまま瞬きする。
「『宝石』は、ありますか?」
ー私には見えない。
ー今の私には、どんなに目を凝らしても見えない。
ーそれでも、あると言うのか。
ー私の中に、『宝石』が。
「あります。」
店主は、断言した。
目線を逸らすこともなく、言い切った。
事実を告げるように力強く、店主は言った。
私が望むものではないかもしれない。
けど、あるのか。
『宝石』といわれるような、なにかが。
何も無いだろうと思っていた、私の中に。
「書く才能」さえあるか疑っていた、私の中に。
『宝石』と言えるほど大事なものが、あるのか。
それなら、私はまだ仕舞えない。
渇望も絶望も失望も葛藤も、何も仕舞えない。
仕舞ったものの中に、『宝石』があるかもしれないのだ。
まだ私が見つけていないのに、
魔法に見つけられて仕舞われるのは、いやだ。
私の中の『宝石』は、私が見つけたい。
薄い紫色の私を見つめる。
そこにいた私は、ほんの少しだけ笑って見えた。
私は肩の力を抜いて、店主に聞いた。
「店主、このハーブティーは売っていますか?」
店主はにこやかに答えた。
「お気に召したようで何よりです。ハーブティーなら、こちらのコーナーです。」
店主はまだ空っぽの箱を閉じて、机の隅に置いた。そして、私をハーブティーのコーナーへ案内した。
「ありがとうございました。」
丁寧にお店の扉を閉めて、私はお店の外に出る。
呼吸すると胸がチクリと痛み、息が白くなって空に上がった。
私は、買ったばかりのハーブティーと透明なティーセットを抱えなおす。寒い冬の商店街に戻った。
雪が降る町の中で、私は閃いた。
そうだ。
優しい紫の物語を書こう。
揺れる水面の向こうにいる私に、エールを送れるくらいとびきり優しい物語にしよう。
主人公は、魔女。
自分を見失いそうになる人にそっとハーブティーを入れてあげる、心優しき黒い魔女。
私は、足早に家に向かった。
少しだけ積もった雪を、蹴り飛ばしながら。
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