【エッセイ】ただそばにいること
「Aであるかのように」、どこまでも突き詰めて行けば、それは「Aでないかのように」と区別がつかなくなるだろう。
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さらに「Bであるかのように」と「Bでないかのように」
最果てまで突き詰めることが仮にできたなら、
「Bであるかのように」と「Aであるかのように」の区別、
「Aではないかのように」と「Bではないかのように」の区別さえ、
いつか破砕されるだろう
≒
「Aのように」の「ように」はどこかで必ずaを裏切る。Aにたいしてどこまでも忠実に付き従おうとするために。
≠
「ように」、「ような」、で結びつけられたものたちは互いに互いの幻になる。完結しない幻だ。お互いに結びつけられたこと自体によって引き裂かれてしまう。互いに似ているまさにそのために、彼ら彼女らが出会うことはない。
≠
たとえば今ここにいる私からはじめて、比喩で結びつけて、世界を一周してわたしに戻ってくるなら、そうやって繋がれた比喩の重みに私は押し潰されているだろう。
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地球の回転の上にある私たちは、その回転のある一瞬間になにかを置き去りにして、別のなにかを迎えに行く。
≒
かつての私のような私。かつての私のように私であること。このようにという深淵みたいな隔たりのなかで、なにが起こっているのか知る由もない。
≒
時間は完結することのない比喩だ。かつてのような今、今のようないつか、今のような今。
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おたがいを否定することも、肯定することもせずに、互いのあいだに開いた隔たりに、ただ言葉を流しこみつづけている
どうしてこうやってそばにいるのか、本当のところをどちらも知らない
外からながめるとすればなおさら
「ように」はいつも、その「ように」自体を見失う
どれだけ言葉を費やしても、その正体を言い当てることはできない
≠
どんな目的もどんな理由もどんな情緒も、つまりどんな絆も消尽して、ただそばにあることだけが残る。愛という言葉さえ使い物にならなくなるほどのただそばに。
読んでくれて、ありがとう。