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息できないから、息をしつづける

穴だらけだから心なのだし、夢を見るからうつつなのだし、歌を歌うから言葉がある。あなただけのためではないから、ときどき私は息をしている。


できることははじめからやらないし、やろうとも思い立たないだろう
息ができるなら息なんてしない
息を止められるなら息を止めない
今この瞬間にしているこの息は本当に息なのか?
完全な息など不可能だから、私たちはこの息をしている

もしも、息に完全なものがあるとすれば、せめてその完成にもっとも近いものがあるとすれば
それは死ぬときに引き取られていくそれだろうという気がしている
そのあとに息はもう続けられないということは、やはりそこには究極がある

この胸の中に渦巻いている空気の流れは、息なのかもしれないし息ではないのかもしれない
私たちの息が仮に不完全なものなのだとしたら、完璧な呼吸が今は不可能なのだとしたら、その不完全だとか未完成はこのようなものだ
完璧な息ができないから私たちは息のようななにかを、息の真似をしている

穴だらけでない心も、穴がないという穴を持っているし、夢からうつつを抜かすことさえひとつのうつつをにおわせる
だから、歌を歌うことは未完成な言葉で、言葉はいつも未完成な歌をふるえる意味のどこかで歌ってる

完璧なまでに可能なことは、かえって不可能だ
書くことが描くことが完璧にできるなら、
その書くことも描くこともこの世界では可能ではなかっただろう
完璧な可能性の不可能性

たとえば、なにかをできたとき、それはできた、ではあったとはしても、完璧にできたではない
完璧な可能性とこの世界での可能性は重なり合わない
けれどもそれは、完璧な可能性があるというわけではなくて
そんなものが「あるかもしれない」し「ないかもしれない」、からだ

激しくからだを動かした後のあの苦しさのなかでの呼吸は、
私たちが完璧な息をしていないことを感じさせてくれる
どうしてもっと吸えないのだろう、どうしてもっと続いてくれないのだろう
どうしてこんなに息をしているのに苦しいんだろう

生きることはできないし、死ぬこともできないし、生きないことも死なないこともできない
息をすることも息をしないこともできないのだと言ってみて、これは呪いでも祝福でもないと言うとき

それでも、生きることの真似をすることくらいはできるだろう
それもできないのだとしたら、生きることの真似の真似の真似の真似の……

生きようという思いをめざしている


読んでくれて、ありがとう。

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