【エッセイ】感情から逃げて
消えたいと思うときほど、自分の存在を感じるときはない。ここにあるとは、逃げられないということだ。
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ゆっくりと深く呼吸しながら、その呼吸か全身に押し広げていく感覚のどこかに、痛みが潜んでいないか探す
おそるおそるそうやって息をするうちにいつしか息を潜めているみたいだと思う
まるで痛みに見つかるまい、隠れようとしているかのよう
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私たちが何かを感じるというよりも、感覚のほうが私たちを見つけて捕まえるのだ。最後にはしゃぶりつくされて吐き出される。冷静さはこの吐き出されたものに群がる獣のたぐい。
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不安に襲われる。なぜ不安は襲ってくるのかというと、それが感情として得体の知れないものだからだ
けれども実際のところ、得体の知れた感情なんてあるのだろうか
喜びも悲しみも必ずどこかに言いしれないものを凶器のように隠し持っている。穏便に済ましてくれることが比較的多いというだけだ
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喜怒哀楽のいずれとも、ほかのどんな感情とも、結局はわかりあえそうにない。彼ら彼女らがぴったりと寄り添ってくるときの、まるで慣れ親しんできたかのようなあたたかさは、いつも真の部分に冷たさを秘めている。
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どういうわけか、どんな感情にも懐かしさを覚えずにはいられない。この懐かしさこそ、もっとも見つけたくないもので、つまり見つかりたくないものだ。
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全くの他者から逃げ出すように、あらゆる感情から逃げ出そうとする。感情から逃げきることができないのは、それらが自分のものでありつつ自分のものでもないからだ。
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心から喜んだとき、心から悲しんだとき、心からある感情に感じ入ったとき。そんなときにこそ、私たちは突然冷静になる。まるでどっぷりとその感情に沈みきったとき、その底で、なにかよそよそしいものに遭遇したかのように。
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喜びの絶頂で唐突に涙がこぼれるとき
死んでしまいたいと感じるとき
あまりに純粋な感情は、その極みで混沌にたどりつく
あたかもそれ自身が混沌であるかのようだ
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追い詰められた混沌のなかに、身を隠そうとして見つかった
涙も、死にたいという願望も、そうやって「私」のものになる
逃げたかった私たちに「私」自身が追いついてしまった
読んでくれて、ありがとう。