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【エッセイ】確かに不確かに

誰も知らない嘘が、この世界のどこかにある。人の数よりもずっと多いかもしれないくらい。

なにかを信じることで、そのなにかを傷つけてしまうことはわかっているけれど、それでも信じないではいられないのだ。信じることそのもののどうしようもなさが、このそれでものなかにある。

信じることは、嘘をつくりだすことととても近い
ふたつはお互いに浸透しあっている
その浸透を見極めて区別することが、本当の意味で信じることだ、とも言えるだろうし、
もっとも美しい配合を探し当てようとすることも、信じることだと言えるだろう
信じることのなかでなにが起こっているのかを、信じる者は知ることがない

感情の中には私たち自身の知らないほど私たちの深くまで届くものがある。そんな感情を通して、私たちは自分たち自身の奥深くを知る。なにかを深く感じることは、自分自身を、自分自身のなかのまだ自分でない誰かを、感じることだろう。

なにかを信じることと許すことの近さ。信じるとは、ある世界に、それが存在する許しを与えることかもしれない。許可じゃない。その許しは、もっとこんがらがって、ぐしゃぐしゃになっている。

許すことと嘘をつくりだすことのあいだにはどれくらいの距離があるのだろう。このふたつも私たちが思う以上にきっと近い。けれどもこの近さのわけを本当に知ることはできないのだろう。

嘘になりきれないまま、本当からも取り残されて、
ただ空を見上げているそれは、私たちに似ている
ひょっとすると私たち自身なのかもしれないが、それは多くを語らない
私たちの確信の手前でなにかを、なにもかもを、言い落とす

なにかを信じ続けられるかと問うことが、それを疑い続けられるかと問うこととふと重なる瞬間がある。きっとあの誰も知らない嘘が、そばを通り過ぎて行ったのだ。

嘘がからだに染み通るほどに、そのなかでまたたく本当がある。そのまたたきが苦しみの喘ぎなのか、安らぎの寝息なのかはわからない。きっとずっとわからない。ただ知りたいという気持ちだけ確かだ。

知りたいという思いの中で信じたいと疑いが生まれて、私は引き裂かれて散り散りになっていく。自分自身が不確かになっていくほど、確かになっていくものがある。


読んでくれて、ありがとう。

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