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いつだってさよならのやり方を知らない
私たちはいつだってさよならのやり方を知らない
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なぜなら、さよならがさよならであるためになにが必要なのか、私たちは知らないからだ
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その言葉を放った瞬間から、新しい出会いが始まるようでさえある。その出会いを、人は思い出と名づけた
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「思い出す」という営みは、いつも別の「さよなら」を探す試みと、一緒に起こる
思い出のそばではいつも、数えきれない「さよなら」が、その出会いをそっと見ている
私たちと思い出の出会いに、影のように寄り添って
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思い出を撫でた、あるいは撫でられた瞬間から、「さよなら」がはじまる
気づけば、そこにあった「さよなら」が万華鏡のようにくるめいて、別の「さよなら」が化身する
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ひとつの思い出との出会いは、
常にその思い出であったかもしれない無数の思い出との、別れだ
さよならとの、さよならだ
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いちばん美しい「さよなら」といつも会いたがっている
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私たちは、別れ直すために何度も出会い直そうとし、出会い直すために何度も別れ直そうとする
今よりもっとキレイな断絶と喪失を求めて。思い出はけれど、いつもその失敗としてある。廃墟
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もう思い出されなくなってしまったとき、「さよなら」は終わるのだろう
その思い出との、ありえたかもしれない数えきれない「さよなら」と一緒に。
終わったことに気づいてはいけない
気づけば、また始まってしまうだろう
さよならは未完であることによって、終わらずに終わる
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忘却という、断絶でもなければ出来事でもない、ある種の余白化
それ以外の方法で別れる術を探している
思い出でないものが存在するのかを知ろうとして。出会ってみたくて
読んでくれて、ありがとう。