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エッセイ

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冬の馬・六月の春によって書かれたエッセイ、といいつつ、ここには雑文状の文章たちが収納されていく予定です。
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#感覚

エッセイ:世界はあった、かのように、うしなわれて

線より下は、本当のなかに嘘を、嘘のなかに本当を、まじえて書かれる。  以前、「感情移入」…

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【エッセイ】思い出の表裏

なにかをそのなにかとしてあらしめるために、私たちはそれについて思考している以上に、それに…

終わらない音、未完の感覚【エッセイ】

いつも心臓の右の端が鳴り損ねている とぎれとぎれで、そのとぎれとぎれが今鳴ったものなのか…

「自分」という破砕事

息が苦しいとか、痛みが耐えられないとかいうとき、 ふと、そういった感覚にある体を、他人事…

まぼろしの鼓動、鼓動のまぼろし

いつも心臓の影で鳴ってる別の音 苦しくなるほどにあなたのほうが激しくなる たがいに重なり合…

コドク

たとえば。お蕎麦をすすりながら流れ星のことを考えているとき 自由を感じる。孤独とともに。 …

快さ調和、ドロッとした幽霊じみた

快さは、それを感じているひとときをドロッとさせてくれ、そのドロッとした感じによって、時間の歯車の滑りを良くもしてくれるものだ。快さは、時間のはやさとおそさをよく調和させてくれる。そのひとときはおそすぎもしなければ、はやすぎもしない。気持ちよく流れてくれる。時間が私たちの感覚と調和しているとき、私たちは快さを感じる。 * そもそも「時間」というのも私たちの感覚のひとつにすぎないのではないか。たしかにそうかもしれない。五感と同じような六番目の感覚なのかもしれない。とはいえだと

ため息支え憂鬱重ならないさよなら

ため息を別の言い方をするなら、それは「そこに寄りかかろうとする息」、それか「支えにする息…

生きるデジャブ知る忘れる動物

走るなかで、息が体に追いついてしだいに慣れていくなかでそれでも慣れないであるもの。それが…