色眼鏡をかけずにいたい
こどもは成長するにつれ、
大なり小なりトラブルはつきものだ。
思春期にさしかかり、予想しなかったようなことが起こる。
私は抱えきれなかったとき、周りの人に話してなんとか自分を保って助けてもらう。
トラブルの内容が大きいほど、話した相手の記憶に残る。
あの後どうなった?
少し経ってから心配して聞かれることがある。
解決して前に進んでいて、気持ちを入れ替えて、今を過ごしていることがほとんどなのだが、正直に相手に伝えたら、一緒に悩んでくれたから申し訳ない気がする。
本音をぐっと飲み込むけど、ネガティブなイメージのまま記憶に定着するのは避けたい。インパクトのある出来事だけが印象に残ってしまうのは違う気がして。
抱えきれなくて話を聞いてほしかったのに、解決したら忘れてくださいなんて虫が良すぎるのはわかっている。
でも、40年以上生きている私も未だに失敗はするし、配慮に欠けた言葉で人を傷つけてしまうことがある。
だから10年ちょっとしか生きていない子どもの失敗は、きっとこれからも起きる。
ちゃんと向き合ったなら私は心の奥にしまって、ずっと引きずっていくのではなく、同じ失敗をしないように見守っていくのが親としての役目なのかなと思う。
だから、こんなトラブルがあったけど、こんないいところがあるんですよで、どんどん塗り替えていきたい。
偏った見方の記憶ではなく、良いところを伝えていけるように。
親の発する言葉の大切さを思い知らされる日々。
私が子育てについてモヤモヤ悩んでいても、もっと速いスピードで子どもは自分自身で成長していく。
トラブルが起きるたびに涙を流しながら話し合いをして、お互いの気持ちをぶつける。
ママ、また泣いてるの?
よく娘から言われる。
強くておおらかなどーんと構えているような母ちゃん像に憧れるけど程遠い。
不器用なりに娘たちと向き合う繊細なママでも、泣き虫なママでも、もうなんでもいい。
私も私なりに必死にもがきながら、子どもたちを大切に守ってきた。
ママー
今日学校でこんなことがあってね
笑顔で話してくれる娘が大好きだ。