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サウナと安西水丸

サウナブームには目を見張るものがある。テレビドラマ「サ道」やインフルエンサー(笑)の影響もあってか、近所の銭湯は「チル」や「整い」を求める若い人たちで埋め尽くされつつある。

椅子などがあるととのいスペースでは静かにしろ!や、大人数でサウナに出入りすると水風呂がパンパンになるだろ!といった心の靄については本稿とは逸れるので別の機会に。

かく言う私もサウナが大好きである。というかぶっちゃけ銭湯というあの空間自体が大好きである。同じ「風呂」という機能を持ちつつも、自宅の浴槽では得られない感覚を銭湯は満たしてくれる。

効用の分からない電気風呂、髪を洗いながら演歌を歌うお爺さん、中学校や高校を彷彿とさせるウォータークーラー、少なくもなく、多くもないいい感じの量のコーヒー牛乳。全部ひっくるめてハレを感じるのは私だけだろうか?個人的にはディズニーランドといって差し支えないだろう。

サウナに話を戻す。最近、「サウナは体に悪い」という話をTwitterで見かけた。心臓や血管に大きな負担をかけるという真っ当な意見である。しかし世のサウナーたちは一切そんなことを気にしないだろう。日々のストレスをサウナで解消できない方がよっぽど体に悪いと思う。嫌なことがあってもサウナに入れば頭をスッキリさせてくれる。そこに健康か否かを問うのはお門違いではなかろうか?

そんな魅力あるサウナだが、人それぞれにこだわりがあるはずだ。私は京都の名湯「梅湯」のサウナを経験してから、低温のサウナでじっくり12分程体を温め、水風呂に入るのがルーティーンになっている。


1回で満足する日もあったり、3回やっても道足りない日もあったり、コンディションはその日の体調と相談である。

水風呂に入ってからおぼつかない足でととのいスペースに向かう。椅子に座ると、ぐるぐるとした感覚が襲ってくる。これはサウナ経験者にしか通じない表現だと思うが、洗濯機に入れられた感覚になる。目を閉じていると上下左右前後の感覚が掴めなくなってくる。あの感覚からの回復が私なりの「整い」である。

1人メリーゴーランドの感覚を味わっている際にさまざまな色を感知する。(これは私だけだろうか?)日によってはカッと焼けるような赤色、鮮明な青色、その中間の紫などである。

瞼の裏に感じる青色についてふと思い起こすことがあった。安西水丸の『左上の海』という短編小説である。

安西水丸というとイラストレーターという印象を受けると思われる(私もその1人であった)が、エッセイストや作家としての顔を持ち合わせている。ちなみにこの本は軽井沢ニューアートミュージアムで買ったもので、ここはそんじょそこらの本屋よりも癖の強い本が並んでいた。軽井沢に行ったら必ず寄るべし。

フリーライターの「ぼく」と出版社の総務で働く「文江」の2人の人間関係を簡潔かつ濃密に描いた話である。文江という女性は夢の中で海を見つけるらしい。

「わたし、よく夢見るのよ。きれいな海の夢。その海って、わたしのいるずっと上の方にあるの。泳いでいる人もいるし、ボートを浮かべている人もいるの。西陽で海もみんなの顔もオレンジ色に染っているの。それでね。それで…」

安西水丸『左上の海』

この本を初めて読んだときはなんのことを言ってるか飲み込めなかった。しかし、サウナに入って瞼の裏に浮かぶ鮮烈な青色が、夢の中で文江が見た上の方にある海にどこか重なるような気がした。

日常で意識的に見ようとしてもそれらは見えないものだが、夢やサウナの後という無意識と向き合う機会で初めて触れることのできるものなのかもしれない。なんかスピリチュアルっぽい話になってきたのでやめよう。私はその手のものが一番嫌いだからだ。

うだうだ語ったが、サウナは配慮を持って好きなように楽しもうという話である。今日もサウナー達は左上の海を目指して灼熱のサウナへ向かうのである…

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