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いつから怖気づいたのか

小学生のころ、休み時間に一輪車であそぶことに夢中でした。学校にある一輪なので休み時間にはいつも遊んでいました。

もちろん最初から乗り回せたわけではありません。特に運動が得意なわけでもなく器用なわけでもありませんが、純粋に乗ってみたい、自由に乗り回せたら楽しそうだな、と思って自然に乗りはじめていました。

最初は鉄棒につかまりながら、おそるおそる手を放したりしながら、その周辺をぐるぐる回っているだけでした。

コケたりもしましたが、少しずつできるようになることがうれしかったのか、あきらめずに続けていました。その後、徐々に距離も伸びていき、気付いたら校庭1周ぐらいは難なく乗れるようになっていました。

子供のころは何も考えずひたすら練習を繰り返していました。乗れるようになることを信じて、いつできるかなんて考えもしてなかったと思います。そこにはスケジュール表やマイルストーンなんてありません。

今では「一輪車の乗り方」、「一輪車 うまくなるコツ」などでググったり調べたりするのでしょうが、そんなことは考えもしませんでした(考える頭もなかった!)。

実践することで学べることはたくさんあります。頭ではわかっていますが、いつからか自然とできなくなってしまったんだと感じることがあります。

座学できちんと理論を学んでから、間違えないように型やお作法を学んでから、とインプットを重視してしまいます。インプットは2割程度で、アウトプットは8割でちょうどよいと言われるのはまさにその通りだなと思います。

本の中で気になった部分を読んだら、その一部分をすぐ試してみたり感想を書いてみたり、くらいの感覚です。

頭にインプットする作業は大事ですが、感覚が刺激されたほうが体で憶えられ、成長も早まります。

  • 試してみることでつまづく

  • うまくいった成功体験からより楽しくなってくる

  • 試した結果をみた第三者からの反応やアドバイスが得られる

などなど、得られることは多くあります。

実践できる状態なら経験を重ねれば良いですし、行き詰ったら学びなおせば良いですし、必ずしも正攻法を探す必要はありません。自分にとっての正攻法とも限りません。

子供のころはノウハウを知らないので、やってみるという選択肢しか取れませんでした。一見非効率ではありますが、子供のように無邪気にやりたいようにやってみる方が、感覚的には、何にも縛られず自然と正解にたどり着ける近道になるのかなと思います。

今日はここまで。おやすみなさい。