不安になることの無駄さ
不安を感じるって、めちゃめちゃ無駄な行為だということに最近気づいた。
私は今年で22歳になる大学生だ。早いもので今年の4月からは4回生。今は所謂「就活生」と呼ばれる立場にある。
去年、3回生になったときから嫌でも自分の卒業後の進路について考えるようになった。
卒業後の身の振り方については、去年のときよりかはイメージが固まってきたが、まだまだ不明瞭・不確定なことが多い。就職先が決まっていないことも大きな理由の一つだと思う。
私は昔から色んなことに関してすぐに不安を感じる人間だった。
大学受験など進路に関わることから、大学であの授業の単位が取れてるかとか、締め切りまでにレポートの作成が間に合うかとか、今日はツナマヨのおにぎりが食べたいけど行く先のコンビニで売ってるかなとかいうめちゃめちゃ些細なことまで心配していた。
もちろん、卒業後の進路や就職についてもめちゃめちゃ不安を感じた。何度塞ぎ混んで憂鬱になったか分からない。
でも、今までの経験を含めて不安について改めて考えたとき、一つの結論にたどり着いた。
不安になることほど無駄なことはない。
「上手くいかなかったらどうしよう。」「望んでいたものが手に入らなかったらどうしよう。」「思い通りにならなかったらどうしよう。」と、今まで色々なことに不安を募らせていたが、その不安が良い方向に作用したかと言えば、全くそんなことはなかった。
むしろ私の場合は落ち込みすぎて何も手につかなくなることも多々あって、それはむしろ自分の望む結果から自分をより遠ざけていたと言えるだろう。
たまに不安に駆られて何かを始めるということもあったが(勉強など)、そういうことは大抵長続きしなかったし、何より苦痛だった。
それよりも、なんとなくでも「やってみようかな。」と前向きな気持ちで始めたことの方が何倍も自分の糧になった。
考えてみれば、 明日どころか1時間後の自分が何を考えて何をしているかすら分からない。今まで自分の思い通りにならないときのことを考えて心配していたけど、思い通りにいかなくて普通だと思う。
不安は原動力にならないし、何も生み出さない。感じるだけ無駄である。20年ちょっと生きて、何度も落ち込んでやっとこの事実に気づくことができた。
だから最近は、自分の中で不安がムクムクと膨らみそうになったときは、「大丈夫だよ。不安になってもならなくても結果は同じだよ。だったら不安にならない方が心地良くない?」と、何度も自分に言い聞かせている。
根拠のない不安に駆られるくらいなら、根拠のない励ましの言葉を自分にかけた方が穏やかに生きられると思う。