見出し画像

SpheryRendezvous 旅の果てに待ち合わせた人

BUMP OF CHICKEN Tour2024 Sphery Rendezvous が完結した。東京ドームは冬だった。
蒸し殺されるかに思えた埼玉ベルーナドームで始まったときは、こんなに長く走る旅だとは思っていなかった。約3ヶ月、彼らは音楽を引き連れて、色々なところで待ち合わせを行った。私達も音楽を目印に、色々なところに会いに行った。そして出会った。

誰に?

これを、夏から冬にかけてBUMP OF CHICKENと共に駆け抜けた、私の旅の最後の1日の記録とする。

DAY2 セットリスト
1 Sleep Walking Orchestra
2 Answer
3 なないろ
4 pinkie
5 記念撮影
6 邂逅
7 Strawberry
8 太陽
9 メーデー
10 レム
11 SOUVENIRSl
12 アカシア
13 GRAVITY
14 RAY
15 木漏れ日と一緒に
16 窓の中から

全体を通して、藤くんはずっと
「心臓がすげえ動いている」
というMCを繰り返し、
「鼓動」という歌詞を強調して歌っていた1日だった。今日のライブが彼の命を、彼のからだの奥から表面近くにまで押し上げていたのだろうか。それくらい、今日という日に懸けていたのだろうか。

「 Sleep Walking Orchestra」
今日のライブは熱の籠り方が桁違いだと、この曲を聞いた瞬間思った。そして藤原基央の喉が絶好調なことも。ライブで聞くとこの曲は、冒険の唄なのだと感じた。BUMP OF CHICKENの旅路の、もう引き返せない、進むしかない音楽の唄だった。音楽が彼らのもとを離れ、望まれ、時には違う解釈をされ、それを止めることはできず、暗くても寒くても進む旅路。そこに私達リスナーが待ってると信じて進む旅路。姿のない「音楽」というものを介してしか存在し合えていなかった私達が、今回のツアーで「会って」初めて互いを確認する。オープニングにピッタリだ。

「Answer」
私はこの曲の、光の矢のような進行が好きだ。
気づかなければ存在していないことと同じになってしまう「生まれる前の歴史」「気づかなかった流星」のようなものたちが、無数に存在する。その全てと出会うことは不可能。で、BUMP OF CHICKENの音楽である。
音楽も、いくら鳴っていても聞く人がいなければ存在しないのと同じだ。気づけて良かったなと思う。彼らの音楽の鳴る世界に生まれ、ライブにいけるような人生で良かった。

「なないろ」
本当はなないろの、でも普段はそんな風に見えない日常のお話。使わなかった傘は、未来の自分を守りたかった過去の自分の優しさ。もしくは、「持っていきなよ」と言ってくれた誰かの優しさ。その思いやりが鞄の中に入って、一緒に明日へ向かう。転んでも起きられることを教えてくれる、未来の転んだ人を守る唄。

「pinkie」
冒頭の歌詞変え
「未来のあなたが笑ってないなら 私との今夜を思い出してほしい」
今日がツアーファイナルだからか、明日から待ち合わせの予定のない私達のために、今夜を共有しようと言ってくれた。藤くんは私のことを知らないから、彼の曲は私のための曲じゃない。それでも彼は「あなた一人に届いてくれたらそれで良い」と歌う。未来の私が笑えも泣けもしない時、この2024.12/8を思い出してほしいと、未来の私を守ろうとしてくれている。

「記念撮影」
BUMPのライブは集中して聞きたいのに、どうしても余計なことが頭をちらつく。カメラを向けたとき、逃げちゃうアイツ。上手く笑えないあの子。今度写真を取るときは、絶対に笑わせてやろう。下手くそで良いから笑え、未来の自分がその写真を見て「ぎこちねぇ~」って笑うから。未来に向かって笑えって言おう。そんなことを、アイツやあの子の顔を、ずっとずっと、考えてしまう。

「邂逅」
歌うというより叫んでいるのではないか?と思うほど、力の籠った「そばにいて」「消えないで」「消さないで」だった。ベルーナで初めてライブで聞いたときから、一番違う曲に感じている。私は、ここまで思うほど会いたい、会わなければ死んでしまうかもと思える人は誰かいるかな。あ、BUMPか。

「Strawberry」
BUMPの最近の曲には、黒猫もライオンも冒険に出る船乗りも星を見に走る少年も登場しない。出てくるのは言わば、普通の人である。故に、特別なことは起こらない。親友の手紙を届けるため死ぬまで走ることも、雷に打たれ崖下に落ちてなお叫んだり、そんなことは起こらない。私達と同じように、身を削って動き、削れた部分に少しだけ手を当てて、それもなかったことにしている。だって「削れちゃった」って言ってもどうにもならないし、ぼろぼろでも何とか動けちゃってるし。でもそんな日々を、きっと本来唄にすらならない普通のことを、一人にしないと歌った唄だった。

「太陽」
まさかライブでこの曲をやるとは。BUMPの中の暗い部分、きっと最近は全面に出さないようにしてるんじゃないかと思ってた。やってくれて嬉しい。今回のセトリ、どんなリスナーも何時のリスナーも全員取りこぼさない気だな。

「メーデー」
何度聞いても、この曲に引き上げられる自分がいる。同時に、自分の中に「誰か助けて」と思っている部分があることに気づいて驚く。この気持ちがなくなるまで、私はずっとBUMPを聴くのだろう。いつでもメーデーを聞いて、自分の出す沈黙の救援信号に気づく人たちが、BUMPリスナーなんだろうな。

「レム」
まさかこの曲をここでやるとは2。
この曲をここまでアレンジするほどの熱量をもって演奏するとは。藤くんは「それとも既に飽きたの」で少し笑っていた。私が私を嘲るときの笑い声に似ていた。この曲の持つニヒルは、時を超えて健在。

「SOUVENIR」
恥ずかし島は、基本的にリスナーに近づきたくて来るらしい。だったらその期待に応えてやろうじゃないか。渾身のハンズクラップ&合唱。全リスナーの挙げた腕がドームの中心に向かう。音源では、曲の最後は「ヘイ」と言っているように聞こえるが、ライブでは力強く「Yay!」と言っている。走ったり歩いたり、藤くんも楽しそうである。

「アカシア」
なんとなく、BUMPは自分達の曲を平等に扱おうとしていると思っている。でも、今日のアカシアは、まるで親が子を自慢するような、リスナーに愛されてるこの曲を誇るような雰囲気があった。
この曲を、俺たちと私達の曲だと言った。他の曲もそうだろうが、魂の居場所を選んで進むこの曲を、みんなで叫び歌うこの曲を、彼らが愛していることがわかって嬉しかった。

「Gravity」
余計なことか頭をよぎる歌2。
歌詞変えで「わりと同時に、くしゃみしちゃうでしょ?」と少し笑った藤くんは、この曲を過去ではなく今も一緒にいる人に向かって、その一緒にいる今にこそ「泣きそうになったよ」と歌う。BUMP OF CHICKENが今日まで続いて本当に良かったと思う。

「RAY」
生きるのは最高だと口にすることはない。だって最高じゃない思い出が必ずあるから。でも、私は私の人生で、ライブでこの曲をやっているときだけ、全力で「生きるのは最高だ」と叫ぶ。
ただひたすら光から自分の意思で遠ざかって行くこの悲しい歌だからこそ、悲しさも寂しさも抱え込んだ上で、それでも今夜みたいな夜がある「生きる」ということを全肯定する、強い唄だ。

「木漏れ日と一緒に」
なんか、コロナの頃の人との距離が開いているときの唄なのかなって感じがしてる。何気ない日常に、懐かしい唄を思い出し、恐らく特定の誰かの涙を思い出し、もう少し頑張れるだろうかと自問する。この曲は光の線が印象的だった。まっすぐ、飛んでくるみたいな光だった。

「窓の中から」
最後のサビで「いつの日か止まる鼓動を」と2回繰り返して歌った。リスナーと一緒に歌うことを想定されて作られた、目的をもって生まれたこの唄は、藤くんにとっての「生きる意味」のひとつの答えなんじゃないかと思った。それくらい、彼の全てを込めて歌っていた。いつの日か止まる鼓動。止まったら歌えなくなる鼓動。今は動き、歌いたくて血を送ってくる鼓動。彼の音楽を受け取った私達と待ち合わせして、一緒に歌うための鼓動。一緒に歌うための唄。

アンコールは3曲だった。
1 You were here
2 ガラスのブルース
3 花の名

生まれた時期も歌う内容も全然違うと思っていた3曲だったが、今日は全て繋がるひとつの物語みたいだった。

「You were here」
ライブが終って、日常が戻る。BUMPの曲から離れる人もいるかもしれない。それでも私たちのそばにいたいと言う。全て超えて会いに行くよと、会いに来てよと歌う。

「ガラスのブルース」
BUMP史上、たぶん一番リスナーが歌う部分の多い曲。藤くんは「歌を歌う」という歌詞を「君と歌う」「君を探す」と歌った。僕の前に暗闇が立ち込めても、君を探し、共に歌うと。暗闇の中では何も見えない。でも唄は、自分達の唄は届くと、私達リスナーは必ず気づくと、信じてくれている約束の唄。原点にして頂点、BUMPの全てがつまった、始まりの唄。

「花の名」
なんだか何度も聞いてきたような気がする。今日の歌いかたは、「涙や笑顔を忘れたときだけ」という部分を初めて聞いたような気持ちにさせた。

アンコールの3曲は、全て「僕らの音楽は、諦めず君を探す。必ず見つける」というメッセージだ。
泣けるときや笑えるときは忘れてて良い。でも、そのいずれもできなくて、ただ暗闇に座り込んでいるとき、BUMPの音楽は必ずそばにいる、君を一人にしないと。
もしかして藤くんは、沈んでいく人を誰一人そのままにしたくなくて、その手段として音楽をやっているのかもしれない。
だとしたら神様、藤原基央に音楽の才能と音楽の仲間を与えてくれてありがとう。私たちは必ず気付き、唄う。今夜の彼らと、そして私と、音楽を介してもう一度待ち合わせして、唄う。

この旅で最後に会ったのは、なんでもない、写真が嫌いなあのこや、同時にくしゃみして笑ったあいつや、助けて貰いたがってたもう一人の私や、いつか訪れるだろう暗闇の中の私、あるいは暗闇の中の大切な人。

なんだ、ずっと一緒にいた人に、気づいただけじゃないか。

いいなと思ったら応援しよう!