9月 君が知らない君

10畳の部屋には夕陽の光芒らしき光の筋が映えており、限りなく海に似た青が地面に塗られている。住人の空想が部屋の背景に反映される。9月29日が住む世界は特殊である。愛書を開き静かな時間を過ごそうと思った矢先、コンコンと、ノック音が響く。

「どうぞ」

優しい声色に促されるまま、一人入室した。9月29日とは近しい存在の9月30日だ。

「お邪魔します」
「こんにちは、9月30日」

言わずもがな、9月30日は9月29日の後に続く存在だ。2人は同じマンションに住み、隣室同士だ。物理的距離の近さもあって、自ずと彼らの距離は近くなる。

「9月終わったね」
「うん、もう10月だ。何、今日は過ぎた日でも語り合いたい気分なの?」
「そんなところ。担当日が過ぎて、肩の荷が降りて」
「同じ気分」

サンドウィッチが入ったバスケットと、二つの小皿、オレンジジュースが入ったグラスをテーブルに添えて2人は斜め前に向き合う。

「9月29日のサンドウィッチ、食べて良いの?」
「もちろん。1人より2人の方が食事は楽しい。相手が君なら尚のこと」

たまごが詰まったサンドウィッチをお口に含み咀嚼する。9月30日は月末日という重責を担う立場であり、親しい人が作ったパンを心穏やかに食べられるのは至福そのもので。

「いつも思う。9月30日は幸せそうに食べるね」
「まあね」
「10月に入るとさ、もう今年もあと少しで終わるなと思うの。何でだろうね」
「10月になると残り100日もないから」
「9月時点で切っちゃうものね」
「9月は夏休み明けだから。そこまで焦らないかな」
「分かる」
「もうそろそろ寒くなるか」
「そうだね、カーディガンの季節かな」
「服、新調しなきゃ」
「付き合うよ」
「ホントに?」

9月29日は無言で頷く。

「ここから遠くへは行けないから。近場になるか」

虚ろな顔で9月30日は呟く。約束を交わしたばかりで目の前の表情、9月29日は訊ねた。

「どうしたの?9月30日は担当日が過ぎたばかりで心身ともに楽じゃない?」
「ときどき、思うんだ。誰もこの9月30日を思い返すことも、意識することもないのかなって。そう思うと怖くて」
「どうして?」

曇天が雨天に変わるかのような顔つきの変化。唾液を飲み込み話す9月30日。

「8月31日をみな意識するだろう。夏休み最終日だから。10月31日をみな心待ちにするだろう。ハロウィンだから。君の目の前にいる存在は?何があるんだろうね、31日でもないのにさ」

大粒の涙が零れる。9月29日はマグカップを棚から取り出し、ティーポットに入れたハーブティーをグラスに注ぎ、9月30日に差し出す。

「落ち着いてよく聞いて。君はとても素晴らしい存在なんだ」
「うん。うん?」
「9月30日に学生の身分と別れを告げる者だっている。そんなの、3月31日と9月30日だけだ。留学して半年卒業が遅れた人にとって君は思い出深い日付だろう」
「そうかな?」
「そうだよ。それにね。内定式は大抵10月1日だ。内定式前夜、若者に幾ばくかの緊張感を与えるだろう」
「それっていいことかな?」
「良い緊張感だから。君の長所はもっとあるんだ。聞く?」

一度目を閉じて、そして、開いた。聞きたいと、素直に言葉にした。

「9月1日から新しい物語が始まる人がいる。9月の気温が心地良いと思う人がいる。
9月にはご先祖様を供養する彼岸がある。9月にはお年寄りを敬う日付がある。そしてこの9月29日は数字の並びを見るとサンドウィッチだ。これだけ魅力的な9月に所属している。9月の日付と手を繋ぎ合える。それだけで誇らしくないか」

9月30日はゆっくりと口角を上げて笑う。差し出されたハーブティーを飲み、グラスをそっとテーブルに置く。

「単体では8月31日や10月31日に敵わないかもしれない。しかし、所属先が9月なんだ。9月のラストを務める。それが誇りなんだって、忘れていたよ。思い出させてくれてありがとう、9月29日」
「どういたしまして」
「今日のサンドウィッチも美味しかった。ご馳走様」
「また食べにきて」
「お言葉に甘えて」

それから小一時間談笑をして9月30日は部屋を後にした。一人になって9月29日は愛書を開く。本の中の世界と、二人の世界、どちらにも愛おしさを覚えながら。

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東雲そら
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