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【第8回】学校に行けない息子の「言葉の壁」|言葉とこころの解剖室

言葉から人の心やコミュニケーションのヒントを紐解きたい。その思いから『言葉とこころの解剖室』というシリーズものを書いています。

無意識に使う言葉や、言葉に対する感覚から「自分」を知り、言語コミュニケーションを通じて「相手」を知ることができます。決して正解のない世界ではあるものの、言葉という高度な道具をできる限り大切に、そして有用に使いたい。

執筆業に携わる者としても、いち人間としても、言葉と心をもっと追求したい!ここは言葉やコミュニケーションを分解、分析して明らかにする「解剖研究」のお部屋です。

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小学校6年生の長男は、よく学校を休んだり遅刻したりする。うちの子は不登校とまではいかない……と思っていたが、不登校の定義とされる年間30日の欠席日数は超えているだろう。

長男は、小学校生活に慣れるまでに約2年かかり、3年生頃からようやく「小学生」という立場が板についてきたように見えた。

3年生の頃から既に、定期的に学校を休んでいた。お腹や頭が痛い、足が痛い、気持ちが悪いなど理由はいろいろだ。

わたしは「今日は行きたくないんだろうな」と思って、たまの休みを良しとしていた。

しかし今から2年前、4年生になってからその頻度が格段に増えるようになった。この頃は人間関係で苦しい思いをしていた時期でもあった。原因はそこなのだろう、それが解決すれば欠席も減っていくだろうと思っていた。

学校の先生と話したり、本人と話したり、病院を巡ったりしているうちに、新型コロナウイウイルスの感染拡大が始まり、全国一斉休校になった。学校再開後も、環境や活動が大きく変わってしまった。これも一つの要因なのかもしれない。

結局2年間の間、何かが劇的に改善するとか、原因がはっきりしてきれいさっぱり解決!なんてことはなく、状況は変わらないまま。学校へは行ったり、行かなかったりの繰り返しだ。

5年生の頃は、集団行動の困難さが多々あった。登校しても別室でひとりで過ごしたり、ひとりで給食を取りたがったり、授業に集中できずイライラしていることが多かったそうだ。当時の担任の先生は根気よく付き合ってくださっていたし、仲の良い友達が手助けしてくれていた。

スクールカウンセラーの先生から発達障害の可能性を指摘され、能力検査も受けた。しかし医師の診断では「傾向はあるけど発達障害とは言い切れない」とこのと。いわゆるグレーゾーンということになるのだろう。傾向があることは、前からわかっていたしグレーと言われることも、正直想像がついていた。

学校に行ける・行けないも、発達障害かどうかということも、母親であるわたしは重要視していなかった。幼いころから、本当に何かと手のかかった子だ。この子のペースを親が理解すれば、それでいいのではないか。

そう思っていたのだが、当の本人は何を思っているのかわたしにはずっとわからなかったし、苦しそうな姿をわたしひとりで見ているのもつらかった。

言語化の苦手さと、落差の激しい特性

6年生になると、相性の良い担任の先生、クラスメイトなどに恵まれた。1学期の長男は、これまでの数年間でもっとも輝いた顔で学校へ出かけて行った。担任の先生との面談では「昨年までの様子を聞いていますが、僕の見ている〇〇君からは想像もできないです」とのことだった。

弟が同じ小学校1年に入学し、一緒に登校したり、校内で顔を合わせたりすることも、良い影響を与えたと思う。

でも、2学期になると途端に雲行きが怪しくなった。

朝起きて朝食をとるものの、身支度ができない日。靴を履くことができない日。

靴を履けたと思っても、家から数メートル先で立ち止まってしまう日。通学路を半分まで進むも、それ以上進めない日。

そうかと思えば、早朝に起きてシャワーを浴び、ハイテンションで出かけて行く日もある。わたしより先に起きて、何やら勉強や作業をしていることも。

朝ごはんの支度をしているわたしのところにきて「包丁を研いでおくよ」なんて言う日もある。

わたしは毎日、長男の状態を、目で見て感じ取らなければいけなかった。

調子がいい日以外は「今日はどうする?」「今日の体調は?」と聞いても、明確な返事が返ってこないのだ。

コンディションが悪い日は「わからない」「気持ち悪い」と言うか、声にならない声を上げるだけで、自分の状況や気持ち、意思を言葉で表現できない。

思えば、小学校3年生のときからずっと、自分の気持ちや意思を言わなかった。「途中まで歩いたけど転んだ」と帰ってきてそのまま泣いていたり、お腹が痛い、頭が痛いといってグズリ声を出しているだけだった。

正直この時間がとても苦しかった。わたしが状況を見て判断するか、ひたすら意思決定に付き合うかのどちか。わたしの対応の仕方も、きっととてもへたくそだった。

最近は、今決めるべきことの選択肢を2~3つほどに絞って提示し「決まったら教えてね」といって促すと、比較的すんなりいくようになった。状況やコンディションによってはそれも選べず、癇癪を起こすこともある。

母親であるわたしは、毎朝「今日はどのパターンなのだろう、わたしはどう行動すればいいのだろう」と様子を探ることしかできない。今もそれは変わらない。

「ちがい」から見えた子どもの得手不得手

一方、小学校1年生の次男は、言葉で気持ちや意見を伝えるのが得意だった。2番目の子だから、言葉を覚えるのが早い……というだけではなくて、もともと持っている言語理解の能力がおそらく高い。学校の担任の先生からも同様に言われている。

次男は「今日は学校行かない」とはっきり言う。「行きたくない」「行かない」を明確に言葉にする。気持ちや理由を話すときの語彙が豊富で、詳細である。

だから親のわたしたちも理解がしやすく「じゃあ、今日は休もうか」「それなら少し遅れて行こうか」など、次に取るべき方法や手段の選択がスムーズにできた。

これは、次男が長男に比べて優れていると言いたいのではない。(確かに理解しやすいので楽だとは感じる)

ただ、次男との関りから「長男の苦手」にはっきり気づけるようになったのだ。5歳も歳が小さな次男の方が会話がしやすいと感じるのは、やはり長男の言葉の苦手さを象徴している可能性があると思ったのだ。

長男はというと、目で見て判断する能力に長けている。(長男は能力検査WAIS‐Ⅲを受けている)言語を理解する能力も年齢相応の力をもっているが、目からの情報が飛びぬけていることによって言語処理が追い付かない部分は多々あるようだった。

そのことと、気持ちを言葉にするのが苦手なことが直結しているかどうかはわからない。心理的なものやわたしたち親の関わり方のせいもあると思う。ただ、長男の「言葉の苦手さ」は他の面でも強く感じる。

わたしは実に10年以上もの間、長男の得意不得意をよく知らないで育ててきたのだ。

わたしは、この2年間ずっと、長男は学校に「行きたくない」んだろうと思っていた。学校が嫌いなのかなとか、行きたくない「何か」があるんだろうなとか、合っていないんだろうとかわたしの解釈で言葉をかけていたなと思う。

だから「行きたくないときは、休んだらいいよ」と言い続けていた。

でも「行きたくない」は彼の気持ちを言い当てるのに最適な言葉ではないのだと、最近になってようやく気が付いた。

長男は、毎日登校したいのだと思う。それができているとき、コンディションを保ってバランスがとれているときの彼は、とても輝いて見える。

でも、実際はコンディションの悪い日が続く。わたしにもそういう部分がある。

「これはいつまで続くんだろう。こんなに休んで、さすがにお父ちゃんに怒られるかも。ほどほど頑張ればいいって、一体何日のことなんだ?学校休んでゲームしているなんて…。好きな授業だけ出て、自分はこれでいいのだろうか。弟は学校に行ったのに。みんなは毎日朝から行っているのに、自分はそれができない。友達に「なんで来ないの?」「休むなよ~」と言われるときの気まずさ。学校に行かない日は友達とも遊びづらい。家の中で悶々と考える時間が増える。情けない。どうしたらいいかわからない」

この2年間、長男が発した断片的な言葉、単語を、つなぎ合わせてみると、こんな感じだろうか。

きっと「行きたくない」という言葉では片付かない気持ちと事情がたくさんあるのだろうと、ようやく少しわかった。

わたしも不登校だったことがあるのでよくわかっていたつもり。でも、わたしと長男は違う人間で、家庭環境もまったく違う。「同じような経験があるから」とわかったような気になっていただけで、本当はわかっていなかったと思う。

彼のすべてを知っているのは、彼自身なのだと改めて痛感した。

「言葉の壁」を登り続けていく

気持ちを伝えるのが苦手な長男は、わたしに「行きたくないなら、休んでいいよ」と言われることすら「わかってもらえないつらさ」になっていたかもしれない。

「行きたくない」という言葉だけでは表現しきれないものがあるから。

わたしがいくら言葉で気持ちを引き出そうとしても、安心させようとしても、安心や納得をしないどころか彼の気持ちを乱して、火に油を注ぐ結果になったりもした。

でも、そうやってジタバタするしかなかったし、たくさんぶつかって失敗して、ようやく解けた謎や発見がたくさんあった。

不思議なことに、12歳の長男と接しているうちに、3歳の長男の気持ちがわかったりするのだ。「もっと早くわかってあげられたら」と後悔してしまう気持ちはもちろんある。

実はわたし自身も、自分の気持ちを言葉にするのが苦手なのだ。自分の気持ちにぴったり当てはまる言葉が見つからない、咄嗟に出てこない。その気持ちは痛いほどわかる。

同じ不得意さを持っているから、余計に壁ができやすいのかもしれない。球技が苦手な者同士でサッカーをやるようなもので、うまくいかないに決まっているのだ。

時間がかかったけど、解明できてよかったという気持ちで今は胸いっぱいである。

小学校生活もあと3ヶ月で終わる。長かったのか短かったのかわからないが、本当に濃い時間を過ごしてきたと思う。

長男とは言葉の壁を感じることも多いが、言葉がなくても理解し合える瞬間や、抽象的な表現でこころが通うこともたくさんあって、とても不思議なのだ。

言葉の壁は高いのに、こころの周りに壁はない。どこか別の裏口があって、それを見つけてスッと入ると難なくコミュニケーションがとれる……という感じ。その裏口はよく観察して、よく考えないと、どこにあるか見つからない。そんな感じがしている。

いろんな問題を通して子どもを知り、以前より少しは気持ちを汲み取れるようになったかな。

なぜか言葉が通じない長男と接するなかで、わたし自身の「言葉」や「コミュニケーション」への向き合い方、捉え方も変化していった。

簡単に理解できなかったからこそ「目に見えないいろんな気持ちがある」ということを、痛いほど思い知らされた2年間だった。

まだまだこの先も、言葉の壁を登り続けていくのだろう。





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