ネガティブにならない『自虐ネタ』
『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』を読んだ。
元から薄い文庫本であるが、軽快な読み口に思わず一晩で一気に読み終えてしまった。
阿佐ヶ谷姉妹のことは今まで、「歌がうまいらしい」とか、「姉妹ではないが二人で暮らしている」とか、「玄関開けたら、いる人」くらいの認識しかなかったのだが、(そしてそれは全部合っていたのだが)、
読み進めるうち、二人の間の絶妙な距離感、意外と違うそれぞれの性格を完全に理解した気になれてとても楽しかった。
本作は、webメディアにリレー形式で発表されたエッセイを、書き下ろしとともに1冊にまとめたものだそうで、リアルタイムでその存在に気が付けなかった自分を悔やむ。
日々更新される二人の面白おかしすぎる日常を心待ちにする生活は、さぞかし心躍る毎日であろう。
本作の読後感はかなりフラットだった。
読み始める前に期待していた面白さを一切裏切らない、
めちゃくちゃおもしろいおばさんたちのめちゃくちゃおもしろい日常を覗き見させてもらってどうもすいません!!という感じ。
エッセイの面白さというのは、一見ネガティブな話題
(家族のこんな行動が迷惑とか、仕事でこんな嫌なことがあったとか。)
をいかにポジティブに伝えるかというのが鍵だと思うが、
本作は特にそれが上手だと感じた。
『じわじわと自宅に居座るようになった友人が最早家主の自分より広大なスペースで寝ている』
『どちらか一方に近い窓しか開けられないので毎晩の快適さに格差がある』
など、パーソナルスペースの広い人間からしたら耐えられないような日々を、
本当になんでもないように、「そういうもん」だとして書いている。
二人の奇跡的な仲の良さなのか、
中年女性のおおらかさがそうさせるのか、
これが小説だったらいますぐ大喧嘩に大発展して、そこから思いも寄らない大冒険が始まるような出来事なのに、
特に何にも繋がらずただ雲のように流れていくのだ。
二人は喧嘩もほとんどしないのだという。
多少ムッとすることはあれど、そのムカつきを無理して伝えたり、強制的に直させようとはせず、
しれっとエッセイのネタにしてしまうその豪快さに憧れる。
ネガティブにならない自虐ネタとはいったいどうしたら書けるのだろう。
私は学生時代結構いじられキャラだったので、
そのときの経験を面白おかしく話してみたりもするのだが、
どうしても「闇が深すぎる」みたいな評価になってしまう。
たぶん、私の自虐ネタは「人からこうされた」が主軸であるのに対し、
おもしろいエッセイの自虐ネタは「こうされた結果自分がどう思ってどうした」が主軸になっているから面白いのだ。
「この前、コンビニの店員に舌打ちされてめっちゃ傷ついた」より
「この前コンビニの店員に舌打ちされて思わず傷つきかけたけど、最近乾燥してきたしのど飴でも舐めてるのかもしれないな、と思って「お大事に」って伝えたら「は?」って言われた」
の方が(面白いかはさておき)ポジティブに聞こえるうえ、
前者は単なる出来事なのが、後者はれっきとした「お話」になる。
ネガティブ人間にとっての永遠の命題である「人の言動に左右されちゃダメ!」が、こんなところにも生きてくるとは、なんとも世知辛い。
よく、内向的で胸の内に憎悪の念を燃やし続けている人こそ面白い文章が書けるなんて言うけれど、
その煮えたぎる恨みつらみを整えずに外に出してしまったらそれは呪詛でしかないのだ。
読み手が気持ちよく受け取れるよう、固めて角を取ってやすりをかけて伝えなくては。