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世の中の全部嘘だらけだが、"愛"だけは惹かれてしまう

私は、基本的に人間が好きだ。
だが、"愛"を放棄したままの人間には興味がない。

ただ、"愛を放棄したようでも、どこか愛を諦めきれずに藻掻く姿"にはどこか目を見張るものがある。

    

私が言う"愛"を放棄したままの人間というのは、

「"愛"と"独り善がり(エゴ)"を履き違えていて、もはや"愛"とはかけ離れた別物なはずの"独り善がり"を"愛"としている人」だと思ってもらいたい。

   

   

"愛"を放棄したままの人間は、独り善がりで至極哀れだと、私は思う。

自分を愛すことを諦め、
誰か(何か)を愛すことも諦め、
大事な"何か"を大切にすることを諦めているから。

そして何より、何が大事なものなのかを"見失っているということ"も"見失っている"からだ。

    

   

人の脳内から創り出される現実は、実際のところ、「自分が見たい世界」だ。
つまりは、ほとんどニセモノ(虚偽)なんだ。

しかし、皆、脳の特性やクセを知らずして、目の前の現実に苦しめられ、愛を放棄しようしている。
それを見て、私は、ただ悲しくなる。

    

そんな、目の前の現実に苦しい思いをしている人が、自分を振り返ってみて、自分の内の声を聴いてみて、そのとおり行動できたなら、目の前の現実に苦しむことはないのに、と思う。
それは、自分も含めてだ。

つまりは、「自分の心の声に正直になる」ということだ。

    

すべての言動を、
「自分の心の声に正直になる」のは無理だ。

完璧など存在しないのだから、仮にそれができてしまっても、人間らしくない。

    

しかし、「自分の心の声に正直になる」瞬間は増やせる。

ただ、"自分の心の声に正直になれているとき"が増えても、ときには正直になれなくて、目の前の現実に苦しめられる瞬間はある。

だが、"自分の心の声に正直になれないとき"が多かった頃と比べると、"自分の心の声に正直になれたとき"が多くなれば、"自分に正直になれた成功体験(自信)を持てる"というの決定的な違いがある。

    

つまり、何が言いたいかというと、
「愛を諦めないためにも、自分に正直になる方法を模索しろ!」と言いたい。自分にいちばん。

    

    

読んでくれてありがとう、ではまた!

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