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元転校生と地元民の、いちばんの違い。【幼少期の経験による違い】

私は元転校生で、2箇所の幼稚園と3箇所の小学校に通っていた。

住んだ場所は、沖縄・埼玉・東京・北海道だった。

小さい頃の転校は心身ともにストレスが掛かり、子供の頃は友達と離れることも、新しい学校と生活に身を置くのも本当にイヤだった。

ストレスを感じたのは、環境が変われば自分自身を強制的に変えなければならなかったからだ。

しかし、大人になってから、メリットも多かったなと感じる場面も多々あった。

今回は、元転校生と地元民の違いについて、自分を深く知るためにも、あくまでも客観的にまとめてみようと思う。



私は、自分を深く知ろうとした時に、自分を客観的に見ようと思い、元転校生と地元民の違いを自分のテーマとしていた。(笑)

そして結論として、一番違うところは、環境に適応する必要があったかどうかだと私は考えている。

もちろん、環境に適応する必要があったのは元転校生で、環境に適応する必要がなかったのが地元民だ。

そして、この話はどちらが良い悪いという話では全くない。客観的に見たときにどんな違いがあるのかを記している。



もちろんこの話は、元転校生だけには限らない。

わかりやすいと思って元転校生という言葉を使ったが、言い換えると、"元転校生"とは「環境に適応する必要のあった人間」ということと同じだ。

なので、ここでは"元転校生"として、その辺の違いを明確に説明していこうと思う。


一つの場所に留まれないのが転校生
一つの場所に留まりたいのが地元民


私は、これを常々感じてきた。

私は、きっと多感な子ども時代に、自分と異なる環境で育った多くのヒトと触れ合ってきたからだ。

だから、新しい場所で新しい人に会う楽しさを知っているのだと思う。

だから、一つの場所に留まることにはストレスを感じる。

・・・

逆に、地元民は今まで同じ環境で生きてこれたから、新しい環境に行く方がストレスを感じる。

きっと地元民は多感な子供時代は、一つの場所にとどまっていて決まった人たちとコミュニケーションを図っていたからだと思う。

元転校生は、環境適応能力が高い
自分自身を変えて柔軟に生きる術を、経験から既に知っている。

これは、転校生で良かったと思った点だ。

子供の頃からいろんな環境に適応して、周りと溶け込まなくてはならなかった。

だから、強制的に自分を変える必要があった。

だから、他人を変えるよりも自分自身を変える方が合理的で賢い生き方だということも知っている。


私は、今これを実感していて、この学びを得られたのは大きいなと思った。

前は、地元民が心底羨ましかった。

私は、地元生まれ地元育ちが本当に羨ましかった。

自分には持っていないと感じていた、安心できる場所や友達や風景と共に生活しできていたから。

そして、自分がどんな時でも帰ってこれる居場所があったから。

いくら周囲と溶け込む能力が高くても、その自分は意図して作ってきた部分が大きかった。

だから、「自分の本当の気持ちは理解してもらえていないな...」とどこか一人で孤独を感じていたのも確かだった。

地元民の人は、溶け込もうと頑張らなくても良い自分でいられるんだろうなと思うと苦しく感じたことは凄くよくあった。

気負いせず過ごせるそのままの自分ではいられないことが日常的に多かったからだ。


新しい場所は、
刺激や学びが多くとも安心はできない。

転校を繰り返すということは、この連続だった。

だから、環境には適応できるのに不安はいつも尽きなかった。

周りに理解者がいたとしても、また転校した先には安心して話せる人は誰もいなかった。

そんな自分には、仲の良い友達と安心できる場所が必要だった。

しかし、ずっと同じ場所で育ちたくても、親の都合で強制的に転校しなければならず、自分の考え方を変え、物事の捉え方を変えるしかなかった。


元転校生は、自らすすんで変化を臨む。
地元民は、自らすすんで変化を臨まない。

元転校生は、自分を変えて自分を守ってきた。
だから、自己防衛本能的にも、自分を変えざるを得なかった。

しかし、新しい環境に適応する術を知る代わりに、特定の人と継続的に仲を深める術はよく知らずにきたのかなとも思う。

逆に地元民は、特定の人と継続的に仲を深める術を知っているが、新しい環境に適応する術は知らないのだろうなと思う。

・・・

きっと、人間関係におけるハードルの高さに違いがあると私は思う。

元転校生は、入り口のハードルは低いものの、入ると継続するハードルが高い。

一方で、地元民は、入り口のハードルは高いものの、入れてしまえば継続のハードルは低い。

つまり、

元転校生は、良い意味でも悪い意味でもヒトに継続的に愛着を持ちづらい。

一方で、地元民は、良い意味でも悪い意味でもヒトに愛着を継続的に持ちやすい。

・・・

何が言いたいかというと、互いが理解して補え合えば、能力は十二分に活かせるということ!

自分を深く知り、何を補うべきかを知れば組織に何が必要なのかもわかる。

そして、多様性が互いの欠点を補え合えるカギであることは間違いないなと言うことが言いたかった。


愛着形成は、ヒトが生き残ってきた術の一つ。

愛着形成は、ヒトの生存に関わるほどのものだったという。

なんの変哲もないぬいぐるみでも、10年以上自分と一緒に過ごしてきたおもちゃであれば、愛着は湧くもの。

そして、その愛着は集団の団結力を高める

愛着(あいちゃく、あいじゃく)・・・慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事を言う。(Wikipedia)

ホモ・サピエンスは、集団行動がうまくできたからこそ今日まで進化してきた。

しかし、現代社会は変化が早く、前に使えていた術が明日には使えなくなることもあるはず。

この先どんな未来がやってくるか不安定な現代社会だからこそ、自ら考える力が大事だと思う。

したがって、私たちは、現代に適応した愛着形成が必要だということになる。

現代に必要な愛着形成

今の時代は、世界の誰とでもつながれるグローバル社会。そしてテクノロジーの発達も物凄いスピードで発展している。

だから、変化に適応しながらも、適切な愛着形成ができることが人間関係で良い関係を結ぶヒントだと思う。

もちろん、理論だけではダメなので行動で感覚を身に着けなければならない話ではあるが、要はそういうことだとここでアウトプットしておきたかった。

こんな風に自分を知ることが私はベストなんではないかと思うので、こんなふうに見るのおすすめします。

読んでくれてありがとう!

ではまた!

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